「人を喜ばせるために音楽を作りたい」。ソロとして歩き始めたVelladonが語る、未来への決意。

「ブルータル・オーケストラ」を標榜し、大阪から世界へと存在感を放ち続けるVampillia。そのVampillia、派生グループVMOを、去る5月に脱退したVelladon(ヴェラドン)が、去る5月にバンドを脱退し、ソロ活動をスタートした。ハイペースで楽曲を発表するだけでなく、様々なコラボや企画を次々と展開し、活発な動きを見せている。その内容もブラックメタル、アンビエント、ノイズ、エレクトロニカと、持ち前の幅広い音楽性を爆発させており、もはや「禁じ手を作ることが禁じ手」とでも言えるかのような多彩なサウンドを展開。とはいえ、本人は現状にまったく満足いかないようで、今回のインタビュー実施の運びとなった。「今の自分について、もっと多くの人に知ってほしい」という本人の希望もあり、Velladonとは何者なのか、そして今後の活動の意気込みについて、大いに語ってもらった。

text by MOCHI
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――6月23日に、ソロ活動開始から初めてとなるライヴをやりましたが、いかがでしたか?

Velladon:会場の吉祥寺NEPOは初めての会場でしたが、素晴らしい音の鳴りで、お客さんも楽しんでくれたのがわかったし、音を通して、皆さんとしっかりコミュニケーションが取れました。最後の、THE NOVEMBERSのケンゴマツモトさんとのセッションも非常に良いものになったし、彼とは”When”というユニットを組むことになりました。幸せな一日でしたね。

――1984年生まれとのことですが、どんな経緯で音楽にのめりこみ、作曲や音楽活動をするようになったのでしょうか?

Velladon:僕はもともとピアノを学びたかったのですが、身体が弱く、鍵盤を叩くと指が割れて血が飛び散るという、耽美な悲劇性を持って生まれてしまったため(笑)、音楽の教育を受けることができませんでした。子どもの頃はクラシック音楽とゲーム音楽、特撮の音楽が大好きで、特に『悪魔城ドラキュラ』や『アクトレイザー』というゲームは、プレイしながらカセットデッキでBGMを録音するほどだったし、菊池俊輔さんや伊福部昭さんの音楽も、熱心に聴いていました。
でも親の聴いていたTHE BEATLESにはピンとこなかったし、お茶の間で流れる音楽にはヘイトすら撒き散らしていて、中学生の頃は流行していた音楽も全然受け入れられず「音楽、特にバンドはダサいやつがやるものだ」と思っていました。本当にいやな子どもでした(笑)。
そんな僕の人生を変えたのは、NIRVANAとデヴィッド・ボウイです。彼らはテレビや雑誌で見る誰よりも美しく、芯があり、時代の流れとともに変容するべきアートの形と、音楽の真正性を追求していました。そこから海外のロックに触れる機会が増えたおかげで、スピッツの本当の良さや、当時のミスチルがピンクフロイドの影響下にあったということにも気づくことができました。
その後、カート・コバーンがウィリアム・バロウズの朗読にノイズギターを乗せる作品や、キャプテン・ビーフハート、ジャンゴ・ラインハルト、APHEX TWIN、PIXIESに出会い、音楽の自由さと面白さ、かっこよさに気付きました。高校生になって、気がつけば、僕はギターと携帯の着メロで作曲を始めていました。
2008年ごろ、友人から紹介してもらった詩人の三角みづ紀さん(中原中也賞、萩原朔太郎賞ほか)と制作したコラボ作品が、美輪明宏さん、横尾忠則さんらとともに、青森県立美術館の寺山修司劇場美術館に展示されたことをきっかけに、僕のなかでソロ活動の構想がかたちをとり始めました。2019年になって、ようやくそれが始まったところです。

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