YER’s エリュウの だからソリあげて、その後むき狂う vol3

Eyuu Sasaki

1.

小学生の頃だった。
ある日、家で留守番していると電話がかかってきた。
受話器をとると電話の相手は女性で「馬場」と名乗った。
電話番号を共用する隣の祖父母宅に住むオバ宛の電話であった。

当時としては珍しい電話転送・内線通話機能を我が家は導入しており、
やや誇らしげに僕は転送する旨を馬場さんに伝え、隣の家に住む祖父宅に内線電話を
かけた。そして回線がつながり、祖父が出た。

初期型の転送機能だからか、この瞬間、3者の回線が繋がるというシステムだった。
つまり僕と、馬場さんと、祖父が同時に通話できるのだ。

馬場さんは珍しい転送機能に感心したのか、「わぁ・・・」という軽い驚きの声を出す。
その声を聞きもらさなかった小学生の僕はさらに得意げな気分で、馬場さんから
オバ宛の電話である旨を、いつもよりも滑舌よく明朗に伝えた。

「馬場さんから、おばさんに、お電話です!」と。

馬場さんは、小学生の僕の得意げな様子を微笑ましく思ったのか、「フフフ」と笑う。
しかし僕の明朗さが、場違いに思えるほど、祖父は無反応であった。

僕と馬場さんは少し心配になって、ほぼ同時に「もしもし?」と問いかけた。
長い沈黙のあと、受話器の穴の向こうから、怒りに震えた祖父の声が聞こえてきた。

「・・・金玉くさい愚か者・・・」と。

とても深く、暗い海から、今まさに海面に姿をあらわした鯨のような
重くねっとりした声だった。

僕と馬場さんは、うまく事態を飲み込めず、やはりほぼ同時に「え?」という声をあげた。

その声に反応するように全く同じトーンで再び
「・・・金玉くさい愚か者・・・」と繰りかえされた。
金玉のニオイがする上、愚かな者。一体どんな奴だ?全く人物像が浮かんでこない、そんな“分類”上の限界に住む者が突如現れたものだから、電話の目新しい技術を楽しむという、暖かい空気は去り、凍結したような何かが受話器の穴から漏れ出てきている様に辺りは冷え込んでいった。

おそらく馬場さんはこの時、事態を理解しようと、思考をあらゆる方向に巡らせていただろう。しかし何一つ腑に落ちず、受話器を耳に押し当てたまま、自分と壁の間にある
何もない空間をただただ凝視するしかなかっただろう。そんな姿が如実に想像できた。
他方で僕はこの時、なぜ祖父がそう言うのかについて、実は心当たりがあった。

僕の祖父は気難しく、あまり笑わない厳格な男で、非常に恐い存在であった。
家では絶対の権力をもち、ほぼ独裁者のように君臨していた。
しかしその厳格な祖父が例外的に溺愛していたのが僕の妹であった。
実は、その彼の寵愛をうける妹を、僕は先ほど「金玉くさい」とからかって泣かせたのだ。その事をたまたま知った彼は凄まじく怒り、報復として同じ言葉を僕につかったのだ。
しかしそこは大人、いかに怒りで我を忘れてお客さんの前で僕に報復しようとも、
「金玉くさい」という幼稚な言葉で終わらせるわけにはいかなくて、厳格者の語彙である「愚か者」を語尾につけ「金玉くさい愚か者」と、結果的に非常に奇妙なバランスの上にたってしまったのだ。

異様な雰囲気の中、馬場さんは、おそるおそる消え入りそうな声で、
こう問いかけていた。

「・・・私ですか?」と。

確実に違うだろう。。。しかし、その問いかけは否定される事も肯定される事もなく、いつまでも宙をさまよっていた。当時目新しい3回線による通話は、こうして世界で最も孤独な問いかけを回線中に残したまま静かに閉じられていった。

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