崩壊と喪失を経て、再び復活したCYNIC。来日独占インタビュー!

プログレッシヴ/テクニカル・デスメタルにおける不朽の名作『FOCUS』(1993年)のリリース30周年を記念し、同作の完全再現を含む特別セットを披露するために来日したCYNIC。東京での2公演ともソールドアウトとなり、バンドの実力、そして『FOCUS』の色褪せない独自性と先見性をいかんなくアピールした。

しかし初来日を果たした2015年からこれまで、CYNICは困難の連続だった。その時点でメンバーの人間関係はガタガタで、日本公演を終えた直後、ショーン・ライナート(ds)が突然CYNICの解散を発表。それに対しポール・マスヴィダル(vo,g)は、新しいドラマーを迎えてバンドを継続させることを宣言するほどだった。中核メンバーのひとりであるショーン・マローン(b)はバンドに合流するが、ポール、ライナートの両名はついに和解しないまま時が経ち、2020年にライナート、マローンが相次いで急逝する事態に。さすがにCYNICはもう終わりかと思われたが、ポールは自身がCYNICの看板を背負うことを決意し、『ASCENSION CODES』(2021年)を制作。そしてメンバーを集め、ツアー活動も再開し、今回の来日につながっていく。

今回は代官山UNITでのライヴ前、ポールにインタビューを実施。正直、質問の内容には気を遣ったが、CYNICとしての復活の経緯のほか、進化の果てにメタルからも解脱した音楽性についても、ポールは傾倒しているスピリチュアルな話題も交えつつ、すべての質問に穏やかかつ理知的に応じてくれた。

『FOCUS』の30周年に加え、ライナートとマローンへの追悼という意味合いも強かった今回の来日公演。一度はバンドが崩壊しかねなかった流れから、公演の趣旨に疑問を覚えた人もいたかもしれないが、ポールの葛藤や決意が伝わればと思う。

Interviewed by MOCHI

Translated by Sachiko Yasue

Live photo by Mayukh B. Banerji

Special thanks:Hayato Imanishi(Realising Media), MARINA(T.M.Music)

――前回からおよそ8年ぶりに日本に来ましたが、いかがですか?
「いろんな気持ちが重なった状態なんだよね。前回日本に来たときは、かなり変な状況だった。亡くなった二人と最後に演奏したのも、この会場(代官山UNIT)だったし…いろいろな記憶が、とても生々しく甦ってくるよ。だから日本に帰ってくるのも心に痛みがあったけど、同時にとても特別なエネルギーも感じる。もちろん音楽が一番大切だから、そこに集中するように努めてはいるけどね」

――前回のこの会場でのライヴは、僕も観ています。あの時もいいライヴでしたが、その後のCYNICは困難続きでしたよね。
「うん。日本公演が終わった後、ライナートが勝手にバンドの解散を表明してしまったりという問題もあったし、その後2020年にライナート、マローンが相次いで亡くなってしまった。いろいろな逆境を乗り越えて、またこうして日本に戻ってきたわけだけど…なんというか、ほろ苦い気持ちを覚えるよ。今回は『FOCUS』の30周年記念という面もあるけれど、僕の中ではライナートとマローンのことに、一区切りつけるような意味もある。あの二人とは、これまで人生の半分以上をいっしょに過ごしてきたんだからね。30年前は何もわかっていない子どもだったけれど、そこからともにレガシーを作ってきたから、それを大切にするべきだと思うんだ。幸運なことに、Hayato(Imanishi:CYCLAMEN、Realising Media)はしっかりとしたサポート体制を整えたうえでまた日本に招いてくれたし、ファンも音楽をとても大切にしてくれる。日本では、CYNICはメンバーの集合体よりも、もっと大きな存在になっているような気さえするよ」

――前回の来日時はあなたにライナート、マローンの3人編成で、同期音源を多く使っていましたね。それこそ音源のデスヴォイスなどもプログラムされた状態でした。今回はマックス(・フェルプス/vo,g:EXIST、DEATH TO ALL)が、あなたとヴォーカルを分け合うギタリストとして参加し、4人編成となっています。以前よりも生々しいというか、肉体的なライヴになると期待できるでしょうか。
「そうだね。より本来のレコードに近いサウンドになりつつも、よりピュアで生々しいものを見せることができると思っているよ」

――ドラマーのマット(・リンチ/INTRONAUT、NOVA COLLECTIVEほか)は2015年に加入してもう長いですし、マックスもブランドン(・グリフィン/b:THE ZENITH PASSAGE、元THE FACELESS)も、過去にCYNICのツアーに参加したことがありますよね。CYNICといえばジャズやフュージョンなどの要素もあるので、高い演奏テクニックが必要になり、対応できる人材も少ないのではと思います。あなたがメンバーを選ぶ際に求めるのは、どんなことでしょうか?
「実はテクニックよりも、人柄の方が大切だと思っているんだ。音楽的なスキルはもちろん必要だけど、メンバーを選ぶという意味ではそこまで重要視していなくて、せいぜい20%くらいかな。というのもバンドでの活動において、ステージで演奏するのは全体の5%くらいに過ぎないからね。残りの95%は、ステージを降りて人として一緒に過ごすことになるから、心地よく過ごせる相性、いっしょにいてどんなエネルギーを生み出せるかの方が大切なんだ。実際、今のメンバーの関係はとても良好だし、ステージでもそれが出ていると思う。マックスもブランドンも、僕にとってはもはや兄弟のような存在だしね」

――ライナートもマローンも、象徴的なプレイヤーでしたよね。今のメンバーには、彼らや原曲のニュアンスを大事にしてもらうのか、それとも彼らなりの解釈や味付けを積極的にしてもらうのか、どのようにオーダーしているんでしょうか。
「できるだけ原曲に忠実に演奏するように心がけてはもらっているけれど、彼らはロボットではないからね。自分らしさを出すことも忘れないようにしてもらっている。さすがに完全に違う曲にされてしまうのは困るし(笑)、彼らも原曲をリスペクトしてくれているよ。彼らなりの解釈もあっていいと思うんだ。原曲の完成度をキープしつつ、自分たちのニュアンスも出すという、とても難しいことを実践してくれていて、とにかく素晴らしいね」

――先ほども出たように、前回日本に来て以降の8年間、CYNICとしてもあなたとしても大変な状況だったと思います。ライナートやマローンが亡くなってから、あなたが改めてCYNICを背負って活動することを決めるまでの経緯について、聞いても大丈夫でしょうか?
「前回日本に来た後、ライナートが結果的にバンドを脱退ということになった。マローンとはそれによる問題を解決して、次に進むための準備をしていたんだ。その最中、マローンは病気を患っていた母親の介護もしていたんだけど、結果的に彼女は亡くなってしまってね。それで、マローンは僕と互いにサポートし合いながら共同生活をするために、カリフォルニアに移住してきたんだ。その頃から後に『ASCENSION CODES』に発展するアイデアを書き始めていたし、改めて次に進んでいこうとしていたんだけど…今度はライナートが病気で、突然この世を去った。そのことも引き金になったのか、マローンは突然家を出て行って、自分の命を絶ってしまったんだ。僕もとてつもないショックを受けたし、混乱して、自分だけが取り残されてしまったような感覚になったね。なんというか…僕の人生において、様々な流れが変わった瞬間だったと思う。僕のアーティストとしてのアイデンティティは、CYNICを中心に形成されてきたからね。突然自分のことがわからなくなって、このままギターを弾いていていいのか、音楽を続けていてもいいのか、それどころか、自分はまだ生きているべきなのかもわからなくなってしまったんだ。そうやって自問をすることがなかったから、とても苦しい時期ではあった。でも『ASCENSION CODES』の大元となる断片的なアイデアは、まだライナートがバンドにいるときに考え始めたものだし、彼らのためにも、元々3人で作ろうとした作品を完成させるべきだ、という使命感を持つようになった。とても苦しかったけれど、たとえ自分ひとりだけでも作り上げるべきだと決めたんだ」

――これまで一緒にやってきたメンバー抜きでバンドを立て直して作品を作るにあたって、自分の中でどのような変化があったと思いますか?
「実はCYNICとは別に、ソロ名義でも作品を3枚(2019年に2枚、2020年に1枚)リリースしたんだけど、そのときにメンバーたちに出会う前、ただ音楽をプレイして、曲を作ることが好きだった子どもの頃を思い出すことができたんだよね。その経験は、また動き出すためにとても役立った。正直、今もまだ自分をしっかりと立て直すことができたとは思っていなくて、バラバラのままのような感じもする。でも同時に、バラバラのままでも自分は生きていてよいんだと認めることができるようになったんだ。バラバラで脆いけれど、それも美しく生々しい状態だし、自分の奥底にある人生やアートへの考え方の根源に触れることができるようになったと思う。ムダなものがなくなって、自分の根源を見つめ直すことができたのは、よいことのひとつだね。なんというか、ライナートもマローンもいないというのは、僕にとって異様な状態だし、今も夢を見ているような感覚になることもある。でも、二人とも死んだというよりも、僕から物理的に離れていっただけで、彼らは今も僕とともにあると思っているし、ステージでもいっしょに演奏しているような気持ちになる。ともにエネルギーを生み出しているような感覚もあるんだ。まだまだ気持ちの整理がついていないというか、理解しきっていない部分もあるけれど、もともとCYNICは音楽に集中して極めていくことを目指すバンドでもあった。そういう意味でも、バンドとしての原点にも戻ることができたんじゃないかな」

――そもそもCYNICは、テクニカルでプログレッシヴなデスメタルという捉え方をされています。あなたもライナートも、かつてDEATHに参加していたこともあって、そういったイメージがついてしまっているのだと思いますが、CYNICの音楽においては、メタル以外の要素がどんどん増えていきましたよね。実際の音楽性と、世の中の捉え方のギャップについて、自分ではどう思っていますか?
「僕はいつも自分たちのことを、suis generis(スイ・ジャナリ)と表現しているんだ。ラテン語でノージャンル、みたいな意味でね。CYNICはいつも、しっくりくる場所がなかった。『FOCUS』を出したときも、テクニカルでプログレッシヴなデスメタルが中心になっているのは間違いないけど、妙に美しくてアンビエントな部分もあるし、ワールドミュージックの要素もあるしということで、レーベルはCYNICをどうマーケティングしたらいいのかわからない、と言っていたよ。僕たち自身もそうだった(苦笑)。ただ、CYNICはオリジナルであることを常にゴールとして掲げていた。本当にたくさんのバンドが…特に同世代には、ほかのバンドのコピーのような連中が多かったんだよね。こいつらは〇〇みたいに聞こえる、こっちは△△に似たサウンドだな、みたいな感じで。だけど僕たちは、誰とも似た音になりたくなかった。人というのは何かと箱のようなものの中に入れてカテゴライズしたがるけれど、僕たちはとことん人と違うことを突き詰めていった結果、よくも悪くもどの箱にもはまらなかった(笑)。それによって、CYNICはよりアンダーグラウンドでカルト的な存在のバンドになって、独自の変わったシーンを作り上げていったんだ」

――とはいえ、CYNICは今もATHEISTやBEYOND CREATIONといった、いわゆるデスメタルにカテゴライズされるバンドとの共演も多いですよね。それはそれでよいとしても、もっといろんなリスナーにアピールしたいという思いも強いのでは?
「まぁ、それが多くのプロモーターの限界だよね。本当ならCYNICはもっと色んなタイプの音楽的環境に身を置いて、他のタイプのバンドと共演したり、フェスに出ていたりしてもおかしくないとは思う。作品がこれだけ多様だからね。でもメタルシーンは箱を維持したがる傾向が強くて、僕がDEATHに在籍していたキャリアや『FOCUS』のデスメタル要素から、CYNICはメタルの箱に入れられているんだ。CYNICには今もメタルの要素があるのは明らかだけど、最終的な音楽は独特で、特定の箱に収まらないものだと思っているよ。でもツアーをしていて、CYNICのファンというのは、とても多様だということに気付いたんだ。もちろん伝統的なメタルファンもいるけど、ジャズや音楽以外の様々なアートまで、本当に多種多様な芸術に造詣が深い人が多いんだよ。彼らはCYNICのファンであって、特定のカテゴリのファンというわけではない。おかげで僕たちは独自のシーンを築き上げてきたし、そもそもアーティスティックであることの自然な流れなんだと思う。ルールに従うというよりも打破する形になるんだ。例えば森を歩く時に、すでに整備された道を行くか、あるいは自分で道を切り拓いていくかの違いだね。自分で道を作ると、生い茂っている草のトゲでケガすることもあるけど(笑)、ずっと挑戦的だし、そうやって何か手を入れていくことの方が素敵だと思う」

――たしかにCYNICは音楽性だけでなく、アートワークも含めて、典型的なメタルと言える要素は初期から少なくて、特異な存在でしたよね。
「もう10年以上前に亡くなってしまったけど、CYNICのアートワークのほとんどを手掛けてくれたロバート・ヴェノーサも、オリジナルであることが何よりも大事だと常々言っていたよ。彼はそうやって若い僕の背中を押してくれた、メンターのような存在だ。アーティストたるもの、次の世代の新しいアーティストにインスピレーションを与えることが重要だ、とよく言われるよね。アートを、人がこの世に生きていたい、存在していたいと思えるようなものとして永続させていくことが、アーティストとしてのタスクだと思う。だから僕も、常に新しいものを作って、サナギの中から出ようと自分をプッシュし続けるようにしている。安全地帯から抜け出して、見知らぬ場所に行くのが好きなんだ。ちなみに『ASCENSION CODES』のアートワークは、ロバートの奥さんであるマルティナ(・ホフマン)が手掛けてくれたものだよ」

――2000年代の後半から2010年代にかけて、BETWEEN THE BURIED AND MEやPERIPHERY、ブランドンが在籍していたTHE FACELESSなど、プログレッシヴなメタルバンドがたくさん登場しましたよね。そういったバンドは影響源として、DREAM THEATERやMESHUGGAHとともに、CYNICの名前を挙げることが多いです。自分たちが影響を与えたであろうバンドが活躍している今の状況は、あなたから見てどう映っているんでしょうか?
「とてもエキサイティングで、クールなことだよね。新しいアートがどんどん生まれているのを見るのは、素直にうれしい。今では“自分たちはプログレッシヴだ”というのがトレンドのようになっているし、テクニカルなバンドもたくさんいる。30年前はプログレッシヴなメタルバンドなんてまったくクールじゃなかったのに、シーンとしてこれほど成長したんだと思うと驚くよ。バンド同士はもちろん、ファンも音楽を愛してお互いにサポートして、切磋琢磨している。音楽は競争ではなく、自分を表現するための機会なんだ。自己表現をしようとする人が増えれば増えるほど美しいと思っているよ」

――ちなみに僕がCYNICの存在を知ったのは、BETWEEN THE BURIED AND MEについて「CYNICに影響を受けている」というレビューを見たのがきっかけでしたよ。
「それは素晴らしいね。彼らもとても実力のあるバンドだし、トミー(・ロジャース/vo,g)をはじめ、全員気の良い連中だよ。でもCYNICをコピーしようとすると、結果的にオリジナルになるんだ。CYNICはそれほど変なバンドだということだね(笑)」

――先ほど、ライナートとマローンのことに区切りを付けるという話がありましたが、今後もCYNICの看板を背負って活動していく計画はありますか?
「CYNICとしては、まだいくつかツアーが残っているよ。2024年は10何年かぶりにヨーロッパに行くんだけれど、ほかにもいくつかフェスにも出るかもしれない。あと南米でアコースティックのツアーを予定しているけれど、その後はまだ何も決まっていない状態なんだ。日本に来る途中、マックスから“CYNICの帽子はかぶる(CYNICの名を冠してやっていく)のか?”と聞かれたんだけど、CYNICというのは、僕がダイヤルを合わせるラジオ局のようなものだからね。いつも曲は書いているからアイデアもあるんだけど、単に曲を書いているだけで“これはCYNICの曲になるかも”“これは別のところで使おう”という感覚なんだ。どんな方向にも進める可能性があるということ。『ASCENSION CODES』の次のアルバムについても想像できるけど、実際に曲を作るとなると、また別問題なんだよね(笑)。とはいえ、CYNICというアートを活かし続けることが正しいと感じるし、今のところは続けるとは思うけれど。他の人たちが引き継いで、僕抜きでも続いていったら最高だね(笑)。なんというか、ひとつの芸術様式として、人格を越えた存在のようなものと捉えてもらいたいんだ。今はとにかく『FOCUS』の30周年がメインだし、これが終わったら、いろんな可能性が見えてくるんじゃないかな。僕はこれからも曲を書いて、アートを作り続けていくことは変わらない。それがどういった形になるのかはわからないけど、CYNICを続けることについては、ライナートもマローンも許してくれていると思う。二人の魂をそばに感じられることがあるし、続けることが正しいと思えるんだ。あとはどういうものになるか、だね。メンバーにも音楽的なアイデアを話したら“それはいい!”とかなり乗り気になってくれたし、ワクワクしている自分もいるからさ」

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