[SAMIAM物語]バンドの中心人物セルジー(Gu)がSAMIAMとともに振り返るエモ/パンク人生。必読インタビュー!

Q)1stアルバムや2ndアルバムのインナースリーブのサンクスリストにGOO GOO DOLLSがでてきますが、いまや大スターな彼らとはどんな関係だったのでしょうか。

セルジー: ジェームス(もう一人のギターリスト)と俺は彼らのアルバムHold Me Upが大好きだった。だから彼らが近くの空のクラブに来た時に3度、4度と見に行った。社交的なジェームスはJohnnyとRobbieと仲良くなって、俺はそれに付き添ったというかたち。縁もあってHold Me UpのレコーディングをしたArmand Petriにサムアイアムの3rdアルバムをお願いした。ミックスはNY州のバッファロー。そこでJohnnyとRobbieにバッファローウイングを開発したAnchor Barというレストランに連れていってもらった。Goo Goo Dollsと一緒にバッファローでチキンウイングを食うなんてとてもバッファロー的な経験をしたよ(笑)。以降彼らは大きくなって、ジェームスは関係を継続してたけど俺は興味を失った。この20年間、Hold Me Upしか好きじゃないと思っていたけどSuperstar CarwashとA boy named gooも好きだってことに気づいた。この3つのアルバムの前後は好みではない。Johnnyはすげーと思うけど彼の音楽テーストが生のロックからなんか違うものに変わってしまったと思う。とてもよくできていると思うけど俺向けではない。Iron Chicというバンドにいる友達のMikeがSpotifyで他のアルバムを俺に聞かせ、好きにさせようとするんだけど、やっぱり・・・だめかな。
1993年か1994年にRobbieがサムアイアムのTシャツを着たプレス向けの写真があったんだけど、それを見た大勢から問い合わせがきたよ。あれはただたんに洗濯したてのきれいなTシャツがサムアイアムのしか残ってなかったんだよ。なぜならいままで一回も一緒にライブをしようと誘われたことないし、25年以上話してもいないし。

Q) JAWBREAKERとのスプリットと出していますが、どういった経緯でリリースされることになったのでしょうか。また、再結成JAWBREAKERは観に行きましたか?観に行った場合はどうでしたか?

セルジー: 俺たちがまだ無名の頃、俺たちはなんつーか兄弟バンドみたいな関係だった。それはJawbreakerがLAそしてNYCに住んでた頃。なんでスプリット出すのが当然の成り行きだった。彼らがサンフランシスコに移住したころから彼らの人気が出てきて、何かしらの理由で離れていった。ChrisとAdamは常にいい友達関係であるけど、1994年頃にBlakeが何か俺たちに冷たくなるようになった。なんでかは、わからない。
再結成ライブに関して言えば、1990年の頃よりはるかにいい音を奏でていたし、素晴らしい曲を聴くことが出来た。俺は2回見に行った。お客さんは大勢いて、みんなバンドに対して愛情を抱いていることが分かるんだが、バンドメンバーは音楽に対しても、オーディエンスに対しても愛が無い、という感じだった。いやBlakeがそんな感じだったと言うべきと思う。彼は他のバンドメンバーを見ること、話すこともしない。彼は不合理な発言をし、また漫談状態となり、オーディエンスと混ざり合うことが無かった。それは俺にとっては相当な軽蔑を示してしまうものだけど、でもたぶん彼はただの変人なのか、緊張していただけかも知れない。
Jawbreakerのことを喜ばしいと思う一方、絶えずジェラシーを抱いていることは言っておくべきと思う。見苦しいとわかっているけど正直にならないと。ある町ではSamiamは300人から500人集められるけどJawbreakerは3,000人から5,000人の集客力がある・・・ 俺たちを抜いて知名度を上げていった他のバンドに対して「そういうことなんだな」と結論付けたようにJawbreakerに対しても同じようにしないとならない。ばかげているかも知れないけど、一度Green Dayをとてもうらやましいと思ったことがあるんだ。いつしかサムアイアムは小さい、やつらはでかい、ということを受け入れられるようになって、リラックスできるようになって、そんな醜い感情とはおさらば出来た(笑)

Q)アトランティックからメジャーデビューしましたが、そのきっかけをお教えください。

セルジー: 俺たちはビッグになっていない、けどGreen Dayがビッグになったから他の多くのレーベルが俺たちに興味を持ち始めた。AtlanticはBad ReligionやJawboxと契約し、その契約を結び付けたA&RのMike Gitterが俺たちのところに来た。彼はボストンのパンク・シーン出身で、いくつかのバンドで活動してたし、有名なファンジン(XXX)を手掛けていた奴なんだ。だから契約した。簡単でしょ。

Q)アトランティックからでた名盤”Clumsy”についてお教えください。その当時のドラマーはセッションミュージシャンだったのでしょうか。また、”No Size That Small”や”Bad day”のようなアップテンポな曲をシングルにしなかったのはなぜでしょうか。このアルバムから以降一気に曲のクオリティが上がっているが何かバンド内で変化があったのでしょうか。

セルジー: Clumsyのレコーディングで沢山を学んだ。Clumsy前と後では大きな違いが出来上がったと思うよ。一つの大きな理由としてプロデューサーのLou Giordanoがいて、彼は録音、アレンジ、作曲と色々と教えてくれたんだ。彼には大きな恩を感じている。

>>その当時のドラマーはセッションミュージシャンだったのでしょうか。

当時、彼はそうでは無かったけど、数十年後、彼はLAで一番のドラマーになった。ドラムのレコーディングで5日間費やした。最初は親友のMarkが最初のドラマーとしていたんだけど、彼のドラムではだめだということが明確になってきた。Louが言ったんだ。「いいかい、Markのドラムでアルバムを作ることは出来る。でも俺はスタジオの技術を駆使してテープ切って貼ってをして音源を聞ける状態に出来る。ただし、グレートなものにはならない。曲がなるべきものにはならない」、と。これはProtoolが無い時代ね。だから他の部屋にいた親友と一緒にMarkに言ったんだ。「バンドから抜けてくれと言っているのでは無いけど、レコーディングには他の誰かが必要なんだ」と。俺たちは泣いていた。とても辛かった。結局Markは脱退し、ベーシストArsonの幼馴染のVicを誘った。大勢の人がメジャーレーベルのセッションミュージシャンだ、というけれどVicとは本当の友達同士となったし、Clumsyのツアーも参加していた。その後、彼は脱退してScott Wielandのソロバンドでプレーしたし、その他にはWillie Nelson、Depeche Modeのボーカルのバンド、Beckなどなどとプレーしていた。今はAlanis Morresetteのドラマーをやっている。

>>また、”No Size That Small”や”Bad day”のようなアップテンポな曲をシングルにしなかったのはなぜでしょうか。

セルジー: そっちの曲の方が良かった?結局はスロウテンポで憂鬱な歌詞とテーマのCapsizedとStepsonでやったんだけど、当時はこの曲の方が良かったんだと思う。たぶん。

>>このアルバムから以降一気に曲のクオリティが上がっているが何かバンド内で変化があったのでしょうか。

Bad BrainsやSlayerから離れ、Stevie WonderやBeatlesをもっと聞くようになったからかなーと思う。まあしかし、自然な成り行きと思うし、10代から20代へ、そしてもっと成熟していく。それと敏腕プロデューサーとすげードラマーがいることで今まで考えもしなかった沢山のアイデアが生まれたと思う。

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