来日直前!! CITY OF CATERPILLAR インタビュー(前編)

90年代のハードコアの興隆の陰でオルタナティブのオルタナティブとして存在した”DIYハードコア”は、様々な音楽性を包含する概念として、現在の”スクリーモ”の源流である「(当時の名前での)スクリーモ」にも影響を与え、独自の激しさを追及するひとつの流派を作っていた。
ポストロックという呼び名のなかった時代、ハードコアという形態を捨ててその呼び名のない新しい音を追求し始める才能達の中で、ハードコアの中で新しい形態を作ろうとしていた4人がいた。その名をCity Of Caterpillar。
DIYハードコアシーンの文化とその中にあった様々なスタイルの音楽に敬意を示しつつ、別の原野から現れたGodspeed You! Black Emeperorの世界感に共鳴し、ハードコアを進化させた”ポストハードコア”の先駆者と知られる彼らは、この音楽の歴史の針を一つ進めた存在として名を残している。
そのCity Of Caterpillarが再結成の噂から1年後に現実となり、そして2003年以来の来日。日本ではHeaven In Her Armsと共に各地を回り、現地の熱烈な要望にこたえる形でシンガポールとマレーシアまで飛び、現地のバンドと共演する。

他人から教えられた歴史は壁画のような平面で捉えられ奥行きを持たない。が、自分で感じた歴史は時間という奥行きを伴った世界となって、自分の身体の中に刻まれる。現在のポストハードコアディガーにとっても重要となるこのバンドの再来日は本当に奇跡でしかない。昔から知っていた人も、歴史としてしか知らなかった人にとっても二度とない機会なので、LIVEAGEではHeaven In Her ArmsのGt/Vo ケントと共にインタビューを敢行。全二回にわたるロングインタビューとなった。是非チェックしていただきたい。

これだけインターネットが発達した現在でも、英語ですら情報がなかったCity Of Caterpillarのインタビューは相当貴重。オンラインで読めるのはおそらくこのインタビューのみのはず。英語版はuniteasia.orgにて掲載予定。

それではFuckin Go!

インタビュアー:安藤直紀(Kowloon Ghost Syndicate / Tokyo Unlearned)
Photo by AResultOfSignalsBeingCrossed

LIVEAGE(以下L): 今回はこの目論見に賛成してくれてありがとう。自己紹介から始めたいんだけど誰が答えてくれるのかな?

Jeff Kane(以下J): こちらこそ。ギターを弾いてるJeffだよ。

Kevin (以下K):  俺はKevin。ベースとボーカルをやってる。

Brandon(以下B):  ハロハロ― ギターとボーカルをやってるBrandonだぜ。

L: City Of Caterpillar再結成の話を聞いて世界中のインディーシーンに驚きが広がったよね。さて、今回の決断はどのように進んできたんだろう。君たちはまだ同じ地域に住んでるの?

J: 再結成にあたっては特に大きな何かがあったわけじゃないんだ。2003年にCity Of Caterpillarは解散し、それから今までの間に何回かショーで演奏する話はあった。その時は再結成することに全然興味なかったんだけど、何回も聞かれて、そして時が経つにつれて、まんざらでもないなと思うようになってきた。そして何年か前、古い友達のバースデーパーティの時に演奏する話があがって、やる寸前のところでキャンセルになってしまったんだ。でもそれが俺たちを再結成することに真剣にさせたんだよね。そのキャンセルのおかげでリユニオンショーでやりたいことを練ることができたからね。
俺たちはずっと友達で、特に乗り越えるべき個人的なドラマは何もなかった。City Of Caterpillarが解散してからもずっと様々な制約の中で音楽を作ってきたし。Kevinと俺はMaladyをやっていたし、その2人とRyanでVerse En Comaもやった。
BrandonとRyanはHighnessとGhastly City Sleepをやってるしね。
で、もう俺たちは近くには住んでない。City Of Cateripllarが活動してた頃は皆バージニア州のリッチモンドに住んでいた。Ryanはいまだにリッチモンドに住んでて、BrandonはNYのブルックリンに住んでる。KevinはワシントンDCにほど近いリースバーグに住んでる。そして俺はオハイオ州のシンシナティに住んでる。別々のところに住んでるのはそんなに問題ではないね。ツアーの準備のためにちょっとだけ旅をする必要があるけども。

K: Jeffがすべて答えてくれたぜ!

B: Kevinがすべて答えてくれたぜ!

L: アメリカって、自分の人生に関係のないところに引っ越して生活をするってことが多いと思ってるんだけど、それって仕事でとか、家を買ったりとか、もしくは旅行などで訪れた際に魅了されて、とかそういった理由なのかな?日本だと生まれ育った場所にずっといるか、もしくは利便性のために大きな都市に移って住むってことが多い気がしてるんだけど。

K: 俺に関していえば、仕事のためにリースバーグに移ったんだ。2015年に小さなお店を開いた。そこでは中古レコードや古着を売ってるんだけど、俺とJeffはバージニア州のスターリングで育ったから確かにそうかもしれないね。リッチモンドを愛してるし今でも住んでいたいくらいさ!

J: 俺は嫁の仕事の関係でオハイオ州のシンシナティに移った。アメリカだと仕事や学校のためにあちこちに移り住むことはたいして珍しいことじゃないよ。多くの人が1か所で育って、大学に行くために引っ越して、仕事のためにまた引っ越す。ワシントンDCって街もそういう傾向があって、多くの人が移り住んでは出ていく。ワシントンDCにいる人で、家族がそこに住んでてずっとそこで育って今も住んでるって人は多くないんじゃないかな。

B:  俺は2004年にリッチモンドからNYのブルックリンに引っ越したんだ。個人的には大きな都市に住むってことにまったく興味はなかったんだけどね。ちょうど気分的に滅入っているときで変化を必要としていたんだ。そして彼女のためでもあった。彼女とは長い付き合いで、先に一年ほどニューヨークに住んでたんだよ。そしてはからずもこの時期にCity Of Caterpillarは解散した。やることもなくなってしまったからね。
そして俺は今でもここに住んでる。今ではここが故郷みたいに感じるよ。この町は刺激的なことが起きていてアーティスティックなインスピレーションを得ることができるんだ。ここに留まって自分自身の作品を創造していくのはとても大変なんだけどね。中毒になるくらいの強烈さだ。いい意味でも悪い意味でも。ニューヨークでしか感じることができないだろうね。リッチモンドで一緒にプレイしていたミュージシャンを何人も説得してここに来させた。例えばCity Of CaterpillrのPatとかね。彼とはGhastly City Sleepを始めるんだけど。俺はCity Of CaterpillarのメンバーやPg.99のメンバーとの日々を恋しく思っていたからこの再結成に至るシュールな機会を誇りに思うよ。

K:  2000年の夏に高校を卒業して、すぐにリッチモンドに引っ越した。どれくらいいたかわからないけど、とにかく俺は故郷を出たかったんだ。引っ越してからすぐにJeff,Brandon,RyanとCity Of Caterpillarを結成する。リッチモンドは最高。たくさんの音楽があり、家賃は安い。そしてパーティだ!

L: そしてそのキャンセルに感謝しないといけないね。で、2017年に東海岸をメインに結構な数のショーをやったと思うんだけど、10年以上経ってのショーの様子はどうだったの?お客さんやライブの雰囲気は昔と違った?

J: 再結成のショーはどれもすごくいいものだった。元々はリッチモンド、ワシントンDC,フィラデルフィア、そしてニューヨークの4回しかやらないつもりだった。どのショーも即ソールドアウトになってしまってね。俺たちの再結成がどれだけ皆の興味を引き付けたのか想像もできなかった。そしてさらにショーをできる機会があったのでそれに乗ることにした。アメリカでは東海岸で10回、西海岸で12回、そして中西部で3回のショーを、そしてヨーロッパでは10回のショーをやった。アメリカでのお客さんの反応はマジでビックリしたよ。俺たちがやってたような音楽のシーンがいまだにあってこんなに大きくなってるとは思わなかったからね。アメリカでのお客さんはかつて俺たちを見る機会がなかったような若い人たちばかりだった。ヨーロッパでは規模は小さかったけど昔俺たちがやってた頃のような年齢層だったね。

L: インターネットでの反応もかなり大きかったね、それは君たちがシーンに残してきたことの価値の現れだと思う。 バージニア州の地理に詳しくないから調べてみたんだけど、リースバーグとスターリングはすごく近いんだね。だからホームタウンみたいなものってことか。そしてワシントンDCやアーリントンともかなり近いね。アメリカンハードコアの歴史の中で最も影響力のある震源地のひとつ。音楽にのめり込んでいった時、ハードコアのムーブメントを見にワシントンDCに行ったりした?

J: ああもちろん。リースバーグではライブはそんなに行われてなかったし、ライブを見に行くならばワシントンDCかリッチモンドだった。

L: ワシントンDCやリッチモンドにパンクショーを見に行くのは若い子の間でも当たり前のことだったの?ワシントンDCの音楽はここ日本では尊敬の念を持って扱われてて、おそらく他のアジアの国でもそうだと思う。それはパンクバンドからいわゆるストレートエッジバンドからエモ、そしてグラインドコアまで多くの素晴らしい音楽を生み出しているからなんだけど。2人は一緒に育ってパンクロックの世界にどうやって入っていったんだろう。

J: ワシントンDCの音楽シーンについてなんだけど、たぶん中にいるより外側から見てる方が良く見えるんだろうなぁと思うよ。ディスコードレコーズとFUGAZIには本当に大きな影響を受けてるけども。最初に見たパンクのショーのいくつかはFUGAZIのショーだし、本当に素晴らしいバンドだった。俺たちが高校生だった頃には、ワシントンDCからは面白いものが生まれなくなってしまったように思う。その郊外で俺たちはバンドを結成した。Pg.99がスタートして、俺はEnemy Soilに入り、Pig Destroyerが始まった。けどほとんどワシントンDCでは演奏しなかったな。その頃面白いライブってのはリッチモンドとボルチモアで起きていたんだよ。当時のリッチモンドはパンクタウンとでもいうべき街でね。たくさんのパンクスをマグネットのように引き付けていたんだ。BrandonとRyanはそこの出だし、俺とKevinは家賃の安さとパンクショーのためにリッチモンドを選んだんだ。

L: それは興味深いね!俺は日本で生まれて少しだけシンガポールにいて、アメリカは旅行で行ったことがあるだけなんだけど、ワシントンDCってのはメッカみたいなもので、絶対に訪れなければならない場所ってイメージだ。ディスコードレコーズが生まれた場所で、9:30clubがある場所で、たくさんのバンド、BAD BRAINS、MINOR THREAT、、RITES OF SPRING、FUGAZIとかね。そうしたメンバーが今でも数多く残っていてきっと天国みたいな場所ってイメージ。でも君の言わんとしてることはわかるよ。90年代にはエネルギーが弱まってちょっと落ち着いたエリアになってしまったよね。で、君たちの音楽の遊び場はリッチモンドだったわけだ。多くのグレイトなバンド、AVAILやASKANCE、400Years、Darkest Hour(違ったっけ?) Inquisition、Strike Anywhereなどを生んだ街!で、これら2つの町の違いってどんなものだったんだろう?音楽のスタイル?バンドやパンクスのさまざまな活動?世代の近い友達の存在?

J: 90年代中期から90年代後期に君の言ってたようなパンクシーンはワシントンDCから消え失せてた。ディスコードレコーズは超つまらない作品を出し始め、9:30clubはメインストリームのロックバンドが演奏する場所になってしまった。面白いことはほとんどなくて、むしろ郊外で起きてた。ちょうど80年代のハードコアみたいに大きな流れに取り込まれてなくてさ。Brandonならば当時のリッチモンドのパンクシーンについてもっと答えてくれるはずだ。けどそうだな、、、本当にたくさんのバンドがいたんだ。上で挙げてくれたようなバンドだけでなくて、もう本当にたくさんのバンドが。そしてもっとシーン然としていた。いつもショーが行われているんだけど小さな街だからほとんどがお互いのことを知っているような緊密さがあった。ワシントンDCと大きく違うところだね。たくさんの人がもっと大きなエリアに住んでいるのとは。

90年代にリッチモンドで生活してたことはすげークールで今でも思い出深いよ!超強力なアンダーグラウンドのパンクコミュニティを知って今でも興奮するね。もっと大きなパンクシーンのストーリーもあったけど、時間が経つにつれて色あせていった。そのDCハードコアシーンの魅力を感じるには幼すぎたからね。けど俺のいたコミュニティはその影響は存分に受けていたね!
そして君が上げたようなバンドにはもちろん大きな影響を受けてる。俺はそれらを直接味わってたからね。

B: リッチモンドでは小さな部屋や小さなべニューでのライブショーを見てて、大きなバンドのショーを見に2時間かけてワシントンDCに行ってたんだ。サイズの関係でリッチモンドではやらないバンドもいたからね。けど、その2つのエリアは強固に結びついていた。いい時代だった。FUGAZIを見に何回も見に行ったもんだ。彼らは本当に大きなエネルギーの塊だった。人生を変えるくらいのね。

L: 多分ハードコアがメインストリームの音楽の一つになってしまったことを言ってるよね。90年代の前半に”パンク/ハードコア”のパラダイムシフトがあったと思ってて、90年代中期にはより多くの人たちがより大きなべニューに集まるようになって、絆みたいなものが失われてしまったと思ってるんだ。いわばコミュニティ精神的な絆ね

B: リッチモンドのシーンが俺たちの結成を助けてくれて、様々な出来事を通じて学んできたんだよ。本当に強力で大きなシーンだった。リッチモンドで初めてのベースメントショーに行った時のことを覚えてる。Merelがツアーで来ていた時だ。彼らの演奏は正直ぺろっぺろだった。ドラマーがカウント数えたら彼らは文字通りボールみたいに丸まってフロアで転げまわってた。ギターの弦はちぎれ、天井と配管の間にギターを突っ込んでごりごり削り始めた。そのままギターは放置さ。最終的に5分くらいの演奏だったのかな。俺は「なんなんだこれは? こんなこと俺にできる? そしてこれは音楽と呼ぶべきなのか?それとも芸術か? まぁあいいや、俺はこれに乗った!境界線を見つけてやろう、そしてそれを押し広げるんだ。さまざな曖昧さを揺らし続けてやろう」そう思ったね。

J: その時代にDCで起きていたことにはそんなに興味が持てなかったんだよ。例えば90年代のワシントンDCには大きなストレートエッジシーンがあった。でもそれはいわゆるVictory Recordsのシーンというべきか、タフガイのためのシーンって感じで、俺は面白いと思えなかった。もちろんいくつかのバンドは好きだけど、そのシーンにいたいとは思わなかったんだ。

L: もっとパンクっぽい方が興味あった?

J: その時はそうだね。
俺の好みはバラエティに富んでいるんだけど、特にDIYパンクシーンにどっぷりだったからね。パワーバイオレンスのシーンやEbullition Recordsのバンドたち、Sleepy Time Trioのようなバージニアのバンドたち。そしてなによりHis Hero Is Goneの存在はデカかったね。

L: Sleepy Time Trioはいいよね! 彼らは何年か前に日本に来てプレイもしたよ。で、君はPIGDESTROYERやENEMYSOILと同時期にPg.99にも在籍していた? 俺は2002年にPg.99を見に行ったんだけど。 ピッツバーグのMr ROBOTO PROJECTで、対バンがWOLVESとFORSTELLA FORDとデンマークのLACKとAYAと他にいくつか。5ドルくらいのオールエイジショーだったんだよね。

J: 俺はENEMY SOILをやってたけどPg.99にはいない。けどノイズ担当としてサポートしたりと何年にもわたって協力していた。 そしてPigDestroyerにもいなかったけど、Pig DestroyerのJRとSCOTTと一緒に、その前身となるTreblinkaってバンドをやってたよ。Pg.99をやってたのはKevinとBrandonだな。

L: そっか。じゃあこれはKevinとBranodnに聞くべきだと思うけど、その日、Pg.99の誰かに話しかけたんだよね。誰だったか覚えてないんだけど。
K: 
俺はPg.99には一年とちょっとしかいなかった。Brandonは多分Document8から解散までプレイしていたと思う。2002年の時は再結成だけど俺はやってないな。

L: で、音楽的にはグラインドコアのPig DestroyerやPg.99のようなゴリッゴリのハードコアとはかなり隔たりがあるように思うんだけど、City Of Caterpillarを結成する動機ってどんなものだったの?

J:  俺はいろんな音が好きでねー。グラインドコアだけじゃなくてさ。City Of Caterpillarについては、俺はFugaziやSleepy Time Trioみたいにしたかった。BrandonはAntioch Arrowやその他のGravity Recordsのバンドみたいにしたがってて、RyanはMOGWAIみたいにしたかった。Kevin はCursiveだったっけか?

B:  Jeffが上げたバンドは当時の俺たちを構成する直接的な影響のバンドだね。そこにはGodspeed You! Black Emperorも含まれる。たくあんありすぎるね。

L: 君たちは小さく強力なコミュニティの中で日々遊んで、異なるお気に入りを組み合わせて新しい音を作ろうとしていたんだね。確かに最初にCityOfCaterpillarを聞いたときにGravity Recordsのバンド、特にCLIKATAT IKATOWIみたいだなって感じたんだ。不穏なメロディと、小さく震えるようなグルーブがあって、しかも線の細い男の絶叫っぽい雰囲気があったからね。

K:  君はこのショーにいたんじゃない?

L: これ!このショー!AYAのセットの途中で電気が落ちちゃって、誰も何をすればよいかわからなかった。電気はの回復は週明けになるってことだった。そこでPg.99に話かけたんだけど、彼らもやぶれかぶれになってておっかねーからすぐ離れたよw ワイルドボーイズって感じだったね。この時のAYAの映像は停電のタイミングまで残ってるよ。それよりここのトイレが地下室にあって、電気もなくてウンコするのにすげー苦労したよ。絶対誰か的外してるはずだしw
で、その後Pg.99が近くのべニューを見つけてきてライブの続きをできるっていうから聞いてみたらピッツバーグから50マイル離れた町のバーだってんでハイウェイを必死に付いていったけどガイドの車を見失って、おまけにガス欠寸前でゲームオーバー。そこからはガソリンスタンドを探して泊まる場所を見つけることになってさ。今いる場所がどこかもわからないアメリカのどこか。タフな経験だったよ

J:  君は極めてアメリカのパンクショーらしい体験をしたってことだw

B:  俺は多分この時に(Pg.99に)いたはずだ。覚えてないけど

L: 初めてCity Of Caterpillarでリハーサルに入った時のことは覚えてる?

J:  初めてのツアーの1,2週間前だね!これにはリッチモンドのパンクシーンの歴史について話さなければならないんだ。BrandonとRYANはCity Of Caterpillarの前にMonotonashhfuckっていうバンドをやっていたんだ。

このバンドはPlanes Mistaken For Starsとミニツアーをする予定だったんだけど、ギタリストが脱退してしまってね。それで俺がMonotonashhfuckのギターとして誘われてツアーをしようということになった。練習してすべての曲を覚えたんだけど、今度はベースの奴がバンドを抜けると言い始めた。それがツアーの2週間前だ。もうそうしたらMonotonashhfuckだなんて名乗れないじゃん?それでCity Of Caterpillarという名前を名乗り始めた。それはMonotonashhfuckのメールアドレスで使われてた名前で、cityofcaterpillar@aol.comとかそんな感じ。で新しいベーシストを入れてなんとか曲を書いてデモを録音してツアーに臨んだんだよ。俺たちのデモとライブ音源の合わさった12″はその時に録ったもの。Kevinはまだバンドにいなかったけど、曲を書くには十分な時間があったよ。最初のベースはAdam Jureskoってやつで、のちにStop It!を結成することになる。そして今はFutureTerrorってヤバいバンドにいるよ。

L: リッチモンドのパンクバンドツリーも探るの面白そうだ。きっと多くの人たちが様々な音楽を聴いて様々なセッションをしてて、世に出ていないものがいっぱいあるんだろうね。これは俺の趣味でもあるんだけどw

J:  すげーあると思うよ、90年代2000年代のバンドの音は見つかりにくいけど。

L: そうさインターネット以前の時代だからね。知られていないセッションテープや録音がいろんな人の押し入れに眠ってるはずだ。

J:  ホントに色々やっていたよ。Ryanはデスメタルバンドもやり、グラインドコアもやり、スラッシュバンドもやり、エモバンドもやり、ノイズバンドもアンビエントバンドもやり、あらゆるスタイルをこの一人の男がやってたんだ。
monotonashhfuck の前にはBrandonはサーフロックバンドをやってて、ドゥームスラッジのKilaraもやってた。Kevinはガレージロックが好きで、当時そうしたAr-Kaicsってバンドもやってたんだ。


Ar-Kaics “No,No,No” from Richard Howard on Vimeo.

そして俺はポップパンクバンドにもいたんだぜ、はっはー。

L: ああそのKevinの話を聞いたことある!envyとのツアーで2003年だかに来た時に俺の友達がGuitarWolfだかRegistratorsを紹介だか日本のガレージパンクを紹介したらKevinがすごく喜んでたって

J: その辺大好きだからね。彼はTeengeneratesのメンバーがやってるぷあかうに行きたくてしょうがないらしい

L: ぜひ寄るべきだ!

J: ツアー初日はお昼のショーだよね。ぷあかうで飲み明かせるね。

Kent HIHA(以下KH): 君たちが望むならもちろん!そしてバージニアのバンドの話はすごく面白いね。Exploderとかもいたよね。

J:  そう。envyとも日本でやったよね。冗談かと思うけど、俺の弟がExploderをやってたんだよね。Steve Aokiのレーベルバンドとのツアーだったはず。

L: そうだね。Kid Millionareになる前のSteve Aokiがまだ黄色いトラックスーツを着ていた時の話だ。面白いショーだった。

K: ぷあかう!!

L: そのバンド名なんだけど、単なるランダムな言葉の組み合わせだったの?それとも何かのストーリーがあるのかな?

J: さあ?Brandonなら答えられるかも

B: Jeffが言ったように、MonotonashhfuckがCity Of Caterpillarの母体となっている。でもこの名前が厄介でね。当時のツアーは電話を使わなければならない。携帯電話とインターネットのない時代だ。長距離電話の請求書にうんざりしながら、家でずっと電話が鳴るのを待つ。折り返しの電話が来るのをひたすら待ちながら。もしくはひっきりなしに電話をかけて話をつなぐんだ。 そして何回電話口で説明してもバンドの名前が正確に伝わらない。全てのショーでのクレジットは間違ったつづりで書かれてた。ペンシルバニアだったかどこかのショーのチラシでは、俺たちの名前が”Mickey Mouse Ass Fucks”って書かれてた。最悪だろ? でバンド名をいじろうと考え始めたんだ。City Of Caterpillarはそのうちの一つ。で、Planesとのツアーがあり、新しいメンバーが入った。ゼロベースで出直すいい機会だ。City Of Caterpillarは今までの人生の中で一番建設的で強烈な創作活動だね。この2週間の取り組みを経て俺たちはツアーに向かい、City Of Caterpillarが始まった。曲を作り、デモを録音し、パッケージのアートワークを作り自分たちでパッケージングし、マーチャンダイズを作り自分たちでシルクスクリーンを刷った。1か月ツアー予定は2週間になってしまったがね。

名前については単に3つの言葉を足してみただけで最初に深い意味はなかったんだけど、その後意味を見つけることができるようになったんだ。なんつ-かピーターパンみたいな意味ね(LIVEAGE注 「大人になりたくないというピーターパンのような精神性」を指しています)。ダンゴムシ(Caterpillar)は外界を拒絶する子供たちって意味さ。そして軍団を作って一つにまとまり、俺たちの純粋さをずっと維持していくんだ。そうしたダンゴムシ、それぞれが異なる考えと、子供のようなクリエイティビティを持った人たちの集まりって意味。

L: 俺はsonzai recordsから出たCDしか持っていなかったんだけど、この1stアルバムの前にもスプリットリリースをしたセッションがあるよね?ちょうど2000年くらいに録音されたものだと思うんだけど、その時点で独自のスタイルを持っていると思う。City Of Caterpillarは世界中のバンドがフォローする音楽形態のフォーマットの一つとして認知されていると考えているんだけど、当時から考えても独自の存在感があったよね。開拓者とでも言うような。Planes Mistaken For Starsとツアーした時の人々の反応はどうだった? 2000年っていうのはポストロックとハードコアが融合する前の時代だ。Portarits Of PastやMOGWAIのようなプログレッシブなバンドはいたけど、その数は少なく、City Of Caterpillarはその後追いでもない。調べてみるとGodspeed You! Black Emperorの “lift your skinny~”は2000年に出ている。だからパンクシーンの人々は君たちを本当に独自の音形態だとみなしていたと思うんだ。

J: Planes~とのツアーは本当に小さなものだったから、好意的に受け入れられたのかネガティブだったかも覚えてないな。その時はこのバンドをどうしようかまだ定められなくて。楽しむことしか考えてなかった。このメンバーで一生懸命バンドをやり、ツアーができた。俺たちの野望は音楽的なものじゃないんだよ。やらなければいけないことをやり、ツアーを実現させて、友達と遊ぶことができる。旅をすることと友達がこのバンドのモチベーションだ。このツアーは楽しかったけど、ショーのことはほとんど覚えていないんだ。主にアメリカ南部の小さなバーでのショーだったんだけど、10-20人くらいの前で演奏してたんだ。Planes~もまだ小さなバンドだったしね。たまたまバーに飲みに来ていた大学生の前で演奏していたような感じだった。
そのポストロックとハードコアを融合させようっていう方向性が固まった時、俺はすごく新しい試みだと思ったんだ。俺だけのオリジナルなアイディアだとは思わなかったけど。Godspeed You! Black EmperorやMOGWAIのようなバンドのある要素をうまく抽出して派生させようとは意識してて、でもそうしたインストバンドとハードコアバンドのサウンドをミックスしたらすごいっていう考えには至らなかった。けど別のバンドがそうしたことをやってるのを見た時に本当に驚いてね。この新しいスタイルのことを思いつかなかったし。けど今や確立されたものになったね

この当時に「ポストロック」って言葉は存在していなかったと思う、けどGodspeed You! Black EmperorやMOGWAIに触れた時に非常に感動し大きなインスピレーションを受けた。Godspeed You! Black Emperorには特にね。俺は彼らの”F#A# Infinity”が好きだったけど “the Slow Riot For New Zero Kanada”を聞いたときはもっと好きになった。パワフルで。このレコードを聴いたときに、このバンドは特別な存在だと思った。そして自分がやろうとしていることの一つのテンプレートになる、と確信した。もっとましなミュージシャンだったらこのGodspeed You! Black Emperorをもっと完璧に消化出来たろうけど俺たちはそこまでじゃない。だからクレッシェンドの付け方とか構成とか自分たちが理解できるところを使って、ハードコアのスタイルと組み合わせていったんだ。

B: 確かに自分たちがやり始めた時には「ポストロック」なんて言葉はなかった。ちょうど作られようとしていた時だったんだよね。そうしたラベルもなかったし。だからこそ自由だったと思う。C.O.D.Y. と Slow Riot EPは大好きだった。Planes~とのツアーの時にこのアルバムを車の中で聞いて、Ryanと俺で黙りこくってしまったことを覚えてるよ。俺たちは覚醒されてしまったんだよね。俺たちがいったい何を聞いてるのか理解できなかった。意識を次の次元に持っていかれたんだ。そしてその時の感覚が今でも続いているんだ。この音の深淵に飛び込むことで俺たちは音楽的に成長できる、と。心が洗われたよ。正しいとか間違ってるとかじゃなくそしてどうやったらここに辿り着けるのかもわからないけど、彼らみたいに芸術的に取り組もうって今まで意識したことがなかった。

KH: 彼らの精神的なところにも影響を受けてる? 俺は東京で何回か見ているけど、彼らってマーチャンダイズなしだしDIY精神を強固に持っているよね。

J: 彼らは非常にか規律されたDIY精神とラジカルな政治性を持っているし、それが魅了された一因でもある。でもそれはそれ以前に自分が影響されたバンドと同じだからね。例えばFUGAZIとかはDIY精神と政治性を結びつけた元祖だと思う。Godspeed You! Black Emperorからは音楽的な影響が大きいね。

part2に続きます

CITY OF CATERPILLAR (USA)/heaven in her arms JAPAN TOUR 2018

4/28(Sat)Tokyo Shimokitazawa ERA (※Day show)
CITY OF CATERPILLAR(USA)/heaven in her arms/US:WE(Taiwan)/Joy Opposites
OPEN 12:00/START 12:30 ADV ¥3500/DOOR ¥4000
Ticket : e+(プレイガイドのみ受付)

4/29(Sun)Yokohama F.A.D
CITY OF CATERPILLAR(USA)/heaven in her arms/US:WE(Taiwan)/COHOL/ATATA
OPEN 17:00/START 17:30 ADV ¥3500/DOOR ¥4000
Ticket : e+/LAWSON(プレイガイドのみ受付)

4/30(Mon)Yamanashi Bodega
CITY OF CATERPILLAR(USA)/heaven in her
arms/US:WE(Taiwan)/birth/malegoat/FIXED
OPEN 17:00/START 17:30 ADV ¥3500/DOOR ¥4000
Ticket : info@birth-web.net(メールのみ受付)

5/1(Tue)Tokyo Nishiogikubo Flat (※No HIHA show)
CITY OF CATERPILLAR(USA)/US:WE(Taiwan)/cape light/5000/sans visage
OPEN 17:30/START 18:00 ADV ¥2800/DOOR ¥3300
Ticket : adabanarecords@gmail.com(メールのみ受付)

5/2(Wed)Osaka Hokage (※No HIHA show)
CITY OF CATERPILLAR(USA)/BIRUSHANAH/STUBBORN FATHER
OPEN 19:30/START 20:00 ADV ¥2800/DOOR ¥3300
Ticket : hokage-osaka@hotmail.co.jp(メールのみ受付)

5/3(Thu)Kyoto GATTACA
CITY OF CATERPILLAR(USA)/heaven in her arms/killie/9i(ex-yarmulke)/folio/nim
OPEN 15:30/START 16:00 ADV ¥3500/DOOR ¥4000
Ticket : e+/pia(プレイガイドのみ受付)

5/4(Fri) Nagoya HUCK FINN
CITY OF CATERPILLAR(USA)/heaven in her arms/killie/Heliostrope
OPEN 17:00/START 17:30 ADV ¥3500/DOOR ¥4000
Ticket : e+/live pocket(プレイガイドのみ受付)

5/5(Sat)Tokyo Shinokubo EARTHDOM
CITY OF CATERPILLAR(USA)/heaven in her arms/killie/STORM OF VOID
OPEN 17:00/START 17:30 ADV ¥4000/DOOR ¥4500
Ticket : e+(プレイガイドのみ受付)

※全公演チケット予約受付中。予約方法は「プレイガイドのみの公演」と「メール予約のみの公演」がありますのでご注意ください。