bed山口の「あの頃Shady Laneと」第一回-up and coming-

bed yamaguchi

僕が頻繁にライブを見に行くようになったのはこのWorking Class Heroの活動後期だった。僕のやっているバンドbedのベーシスト村山が当時、今とは比べものにならないほどの熱量(今はApple Musicで主に安全地帯とバービーボーイズを聴くだけの男になってしまった…)でライブに通い、そしてWorking Class Heroのメンバーが働いていたWHOOPEE’Sに良く訪れ、メンバーとも顔見知りになっていたのだ。村山が当時「Working Class Heroはヤバイし、対バンしているtorico(ガールズバンドではなく、京都精華大学が誇る伝説バンド)とかもヤバイぞ」という感じで友達に布教を繰り返しており、ライブを見に行ったら拙いながらも圧倒的な熱が込められた長文で携帯メールにライブレビューを送ってくる。僕はその布教に当てられた一人になったのであった(当時からブッチャーズやイースタンが好きで村山とは良く話していたので自然な流れだった)。
Working Class Heroは前身のNUTSの頃からの人脈や、WHOOPEE’Sで働いていた頃の繋がりなどを活かし、ブームであったメロコア系の対バンから、NAHTやBLUEBEARD、DIG A HOLEなどとの交友を通して当時盛んであった海外バンドの来日公演にも積極的に出演して行く。
このWHOOPEE’Sというライブハウス(クラブ)の存在は貴重で、ここで働いていたスタッフが後に京都GROWLYやGATTACA、octaveといったライブハウスやクラブを立ち上げており、現在もその遺伝子をWHOOPEE’Sイズムとでも呼べる形で各方面へ引き継ぎ続けているのもポイントだ。

Working Class Heroの面白かったところは、決してジャンルやシーンといったものに媚びた様子を見せなかったこと。メンバーと話をしていると自分たちの物差しに確固たる自信を持っており、良いものは良いと評価し、自分たちが良いと思えばそれを追求する。それに伴い音楽性も自然と変化を遂げていった。
Sunny Day Real Estate的な大きいギターロックサウンドから、徐々に二本のギターのフレージングを繊細に重ねて行くサウンドへ、リズムもより抑制の効いたものへと変わって行く。バンドを支える職人プレイであった大本氏のベースはジャズやHIP HOPなど横ノリを意識したグルーヴが垣間見え始める。この過程で素晴らしい曲がたくさんあったのだがほとんど音源化していないのがとても勿体無い!
そしてある日、突然up and comingというバンド名に名称変更してしまったのだった(この辺りの明確な時期がやや不明だがおそらく2002年の中頃には変わっていたはず)

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