bed山口の「あの頃Shady Laneと」第一回-up and coming-

bed yamaguchi

UP AND COMING

初期up and comingはPINBACKやSmart Went Crazy、KEROSENE 454、OSWEGO、American Footballなどのポストハードコア的な隙間を活かした音世界に干川氏の独自性の強いメロディが乗る唯一無二なサウンドを手に入れていた。この時点でのバンドの完成度は相当凄いものがあった。catuneからの1stアルバムに収録されている楽曲の多くはこの頃演奏されていたものだ。eastern youthの吉野氏がL Magazineという雑誌の中で1stアルバムを絶賛し、それが我が事のように嬉しかったのもこの頃だ。
しかし彼らの音楽的探究心は止まることを知らなかった。ドラムの脱退を経てGuの福本氏がドラムへ転向、3ピースへと編成チェンジ。そこからまた音楽性を柔軟に変化させていく。KARATE、THE SORTS、ひいてはSTEELY DANなどの、大胆なまでに隙間を配置したより根源的なギターロックとエモーション、AORの融合を図ったサウンドへ。その変遷をまさにライブで目の前に見てきた僕はとにかく撃ち抜かれた。この頃の京都にはup and comingみたいになりたくてなれないバンドがたくさんいたと思う。僕もその一人だった。ライブで新曲が披露されるたびに「そう来たか…!」と唸らされた。すぐパクったしギターをコピーした。終演後メンバーに、「新曲ヤバかったです!」と話しかけると「そうやろ、俺らツボの部分しか曲にしてへんからな」と言われて完膚なきまでに叩きのめされていた。
ではなぜ僕がメンバーに気軽に話しかけられたかというと、お客さんが全然入っていなくて自然と顔見知りになったから。当時は30人も集客があったら良い方だった気がする…toeやnine days wonder、As Meiasが来るときだけは別だったが。その現象に僕は苛立っていたのを覚えている。
「こんなにかっこいいバンドのライブをなぜみんな観に来ないんだ!」
1stのレコ発ツアー名古屋編で対バンのtoeのライブが終わった瞬間に帰り出すお客さんが結構いて、「お前らこの後のバンドヤバイのに!レコ発やのに
!見て帰れよ!」と思ったことは昨日のことのように思い出せる…。まあでも当時HPも作ってなかったしSNSもなく、たまにBBSに告知書き込みがされる程度だったので”知る人ぞ知る”状態になっていたのは仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが…。

その後3ピース編成でcatuneから2曲入りEPを発売、toeとのツアー限定2曲入りCDを発売。この編成でもわずか4曲(しかも一枚は超入手困難)しか音源化されていないのが勿体なさすぎる!
そして2005,6年頃にSAXとして僕と同級生にして古い友人であるちゃんまりこと辻本真理子氏(dOPPO)が加入。4人編成となる。はっきりいってめちゃくちゃ羨ましかった。
だがこの辺りからメンバーも仕事などが忙しい転換期に入り、ライブの本数も減り、2007年に2ndアルバム『white album』を発表し、そのまま無期限活動停止。
干川氏はより歌へ向き合ったソロユニットdry river stringを立ち上げる(超初期は僕もサポートメンバーとしてギターとコーラスをしていた)。
『white album』はバンドアンサンブル的な部分を抑え、より干川氏の作家性が強まりグッと歌にフォーカスを当てた作品であった為、今振り返るとdry river stringへの橋渡し的作品であったようにも思える。
そして活動停止から10年を経た今年2017年9月9日、メンバーも仕事や家庭が非常に多忙な中、盟友でありレーベルオーナーnine days wonderの2ndアルバム再現ライブにておそらく誰も予想をしていなかった奇跡の復活を遂げるのである。

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