余韻に浸っているうちにさらなるアンコールの声も小さくなり、皆がステージから離れて行った。僕は脱げてしまった片方のスニーカーを探して、ペットボトルと空き缶が散乱した芝生をiPhoneのライトで照らしていた。僕と同じようにスニーカーを見失った数人が手伝ってくれたおかげで、すぐに見つけることができた。さっきまでは興奮して、周囲のことなどお構い無しに暴れていたみんなだが、ショーが終わればフレンドリーに。まるで、ラグビーの試合終了後に、互いに相手の健闘を褒め称えるようなムードでもある。
礼を言ってその場を離れ、ボロボロになったスニーカーを履いてゲート方面へと戻り、キオとヒデちゃんと合流。意外なセットリストのことを話したりしながら、ロッカーへ戻り荷物をまとめる。言葉が少ないのは、この2人も自分と同じように夢のような時間が終わってしまったことを改めて噛み締めていたからだろう。こうして、3日間に及ぶRIOT FESTのアクトが全て終わった。最近になって、彼らが再結成ツアーをするとのニュースをネットで見たが、次に観るときは同じ気持ちにはなれないだろう。
ちなみに当日のセットリストは下記の通り。
1. Boxcar
2. Sluttering (May 4th)
3. Want
4. The Boat Dreams From the Hill
5. West Bay Invitational
6. Save Your Generation
7. Jet Black
8. In Sadding Around
9. Accident Prone
10. Million
11. Parabola
12. Condition Oakland
13. Chemistry
14. Kiss the Bottle
15. Bivouac
エピローグ:20年を経た復活劇について思うこと
改めて考えてみると、JAWBREAKER解散後のUSパンクには、僕は次第に興味が薄くなり、実際テクノやハウスばかり聴いていた。GREENDAYやRANCIDといったイーストベイ・パンクが世界的評価を得たことはもちろん、JIMMY EAT WORLDのような、いわゆるエモがメジャーな存在となった頃には、自分が好きだったUSパンクというものが、変容しつつあることに気が付いていたからだ。
どんなカルチャーやムーブメントも、黎明期・成長期・円熟期・衰退期というサイクルを約20年かけて繰り返しいるように思う。これはUSパンクだけに限ったことではなく、ジャズもテクノもヒップホップもみなそうなのかも知れない。JAWBREAKERは世界的な地名度を得る一歩手前で解散し、20年以上を経たRIOT FESTのステージで、ようやく正当な評価を得ることになった。全ての熱狂的JAWBREAKERファンとメンバー本人たちの報われない悶々とした気持ちが、Bivouacのフィードバックノイズに込められていたのかも知れない。
ロンドン発祥のいわゆる初期パンクが大きなムーブメントとなった1977年。そして、USパンクが絶頂期を迎えた1997年。やはりここでも20年という節目があり、2017年にJAWBREAKERが復活したのは、単なる偶然ではないはずだ。
生まれたばかりの赤ん坊が立派な大人になった頃には、育った街の風景もそこで接していた人もみんな変わってしまう。20年も経てば、その時オーディエンスだったキッズが作り出す音楽は、自ずと先人とは違うものになるだろうし、決してそこに優劣はないはず。ただし、あの時代に熱狂した空気感やモチベーションは2度と戻らない。ちょうどLIVEAGE主催の矢田君が寄稿したコラムにある通り、90年代終わりの東京DIYシーンにあった熱さも、2度と戻ってこないのだろう。
そうしたことを悲嘆する必要はないし、必要以上に美化することに賛成しかねる。ただ振り出しに戻ったのだから、またやり直せばいいだけだ。音楽は受け継がれて、それぞれの人生は続く…。あの頃とは何もかも変わってしまったけど、混乱の中に生まれ育ち、混乱の中でまた新しい音楽と言葉を紡いでいくのだろう。そんなことを考えながら、日本一のJAWBREAKERファンを自認する僕のRIOT FESTリポートはここで筆を置くことにしよう。