90年代のD.I.Y.ハードコアと2010年代のD.I.Y.ハードコア

南大沢文化会館

text by Yoshinobu Yada(LIVEAGE/DIRTY SATELLITES/BROILER/WEIGHT)

私が初めてD.I.Y./EMOTIONALハードコアバンド”WALL”に加入したのは20歳。1998年頃に加入した。WALLはSLIME FISHERとSWIPEのメンバーからなるバンドであった。同時にWALLは紛れもないD.I.Y./EMOTIONALハードコアバンドであった。歌詞には資本主義に取り込まれ自己を無くしていく我々に対する警告がちりばめられていた。
練習でも、非常にヒリヒリした空気が流れていた。
そして、2018年、私は20年ぶりにD.I.Y.ハードコアバンド、かつユースクルーバンドをはじめようと思っている。
その時に感じたこと、疑問を記してみたい。

当時、私は海外のD.I.Y./EMOTIONALハードコアバンドに夢中であったが、同時にそのメッセージに非常に興奮していた。
ヴェジタリアンであること、政治的であること、資本主義について、社会主義とは。差別とは。
MAXIMUM ROCKNROLLやHEART ATTACKといった海外のファンジンを買い、つたない英語力でなにかを掴もうとしていた。
MINOR THREATの歌詞にまずやられ、SEEIN’ REDの歌詞にさらにやられる。
そうするうちに、日本にMISSON UNDONE, WILL YOU?, PIECE OF MEといったファンジンが現れる。
むさぼるようにそういったファンジンの考え方を吸収し、仲間と共有し、話し合った。
当時のD.I.Y.ハードコアは音楽性よりメッセージだったとおもう。

・SWIPEが提唱した資本主義搾取からの脱却、すなわちスタジオライブ(公民館ライブ)ムーブメントの始まり
・SNUFFY SMILEの徹底的な地下活動
・YOUTH STRIKE CHORDの非常に身近でポリティカルな歌詞
・各地から狼煙をあげるD.I.Y./EMOTIONALハードコアバンド達
・MAN★FRIDAYとFOODCHAINを中心とし、日本各地で行われた衝撃連鎖GIG

みんな演奏はまだ下手だったが、確固たるメッセージを持っていた。
それがD.I.Y.ハードコアだと思っていた。
私たちは理想郷を求めた。
それが南大沢文化会館で行われるD.I.Y./EMOTIONALフェスだったように思われる。

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