それでは、ここからは、マニアックな日本のQuicksandファンの為に20年前のニューヨークでの出来事など色々お教えください。
当時のニューヨークは魅力的だったが、ニューヨークに今、移住してきている人たちは決して同じような印象を持ってないと思うよ。当時はまだ70年代とつながりがあり、ニューヨークが最高に良い時代だったんだ。特に何がと説明するには多すぎるから、とにかく一度でもいいからこの街に住むか、訪れることをおすすめするよ。
Gorilla Biscuitsで活動をはじめた頃、ニューヨークのシーンはどのような感じでしたか? Agnostic Frontのようないわゆる”不良的”なバンドとYouth Of TodayやGorilla Biscuitsのようなストレートエッジのバンドはどのような関係性をもっていたのでしょうか?
当時のCBGBのシーンは一時、とてもオープンだったんだ。まだAgnostic Frontがよくライブをやっていた時期に、Gorilla Biscuitsを始めたのはラッキーだったよ。彼らから学び、『Victim In Pain』のアルバムの歌詞や音にはとても影響された。それは今も続いているよ。
Gorilla Biscuitsではまだ、あなたがのちに開花させるポスト・ハードコアの片鱗は感じません。曲作りはどのような方法で行っていたのでしょうか? CIV(あなたが1stアルバムをプロデュースした)に主に要素は引き継がれたように思いますが。
僕はプロデュースしただけでなく、CIVの1stアルバムの曲も作ったんだ。ポスト・ハードコアのスキルをGorilla Biscuitsの曲作りの方程式に適用したんだ。すごく楽しい作業で、アルバムの評判もとても良かった。(注:質問をCIVのアルバムついて聴かれたと勘違いしたようです)
Gorilla Biscuitsの曲をあなたが歌った”Walter Sings The Hits”はどのような経緯でリリースされたのでしょうか。
この曲たちは僕がGorilla Biscuitsのために作った曲だったから、どうやって歌うかをCivに見せるためのものだったんだ。CivはCiv流に解釈して歌うことになったんだけどね。このテープはワンテイクで録ったものだったし、リリースするつもりなんてなかったんだ。