PUNKSお仕事探訪 vol1:安藤直紀(フリーWebディレクター・プロデューサー)編

安藤直紀

Interviewer:Yoshinobu Yada
Photo:Fumiaki Tsurui(OUTWARD, SOON)

LIVEAGEのインタビューシリーズ『PUNKSお仕事探訪』。

PUNK/HARDCOREに影響を受けた人が普段どんなお仕事をしているのか、気になったことはありませんか?『PUNKSお仕事探訪』では現在のお仕事とPUNK/HARDCOREがそれにどう関与しているのかを聞いていくインタビューです。

記念すべき第一回はLIVEAGEでダウンロードができる「90年代後期の伝説的D.I.Y.ファンジン」MISSON UNDONEを発行していた安藤さん(tokyo unlearned / kowloon ghost syndicate)です。

LIVEAGE:tokyo unlearned でさんざん自己紹介はしてると思うので自己紹介は省きますね(笑)
現在の仕事はフリーのWebディレクターってことになるんですか?

安藤:メインはそうだね。講師業などもやってるけど。
このインタビュー『新響』(there is a light that never goes outが発行していた伝説的ZINE)のFucking’ daily lifeに感じは似てくるの?

LIVEAGE:いえ、新響はどっちかというと就職したてで「辛い仕事と乖離していく自分のPUNK感」みたいなのがテーマだったと思うんですが。それとは逆になりますね。パンクの人がどうやって生活の糧を得ているかを明らかにしたいです。

安藤:なるほど、20年どんな仕事してみてどうだったかとか、仕事とPUNK観の折り合いを話す事になるのかな。

LIVEAGE:ですね。何かと仕事に悩んでる人が多いですし、現在もし仕事で道に迷っている人の参考になればいいなという想いもあります。
まず、MISSON UNDONEをやっていたときはどこに住んでいたんですか?

安藤:MISSON UNDONEやってたころは長野に住んでいた。

LIVEAGE:山梨の人から聞いたんですが、噂で「長野からレコードを車に詰んで売りに来る人がいる」というのは聞いたことがあります。あれ、安藤さんですよね?

安藤: たぶん俺のことだろうなー(笑) 別に車で売ってたわけじゃないけど。富山の薬売りみたいに車にレコード積んで山梨行ってたね(笑)

LIVEAGE:車の後部座席のバックドアを開けたらレコードがずらっとならんでいて、そこから、レコードを選んで買うみたいな話を聞いたことがあります。

安藤直紀

安藤:盛り過ぎ(笑) それもやってたけど、普通にライブ会場にディストロ出してただけだよ。甲府のボデガってライブハウスにPROPAGANDHIとか来てたし、でライブが終わったら、車に荷物引き上げてたからその話がデカくなってるんだろうな。

LIVEAGE:出身が長野なんですか?

安藤:いや転勤で行っただけ。新卒で建設会社に就職してて。でもビルも橋もつくれない補修専門の変わった会社。補修分野だと唯一上場していた会社なんだ。

LIVEAGE:なんでその仕事だったんですか?

安藤: 15歳の時にパンクに夢中になるんだけど、宇宙飛行士になること諦めてから何になりたいかとかまったくなくて。高校時代は名古屋にいて、大学で東京に出てきたんだけど、なんとなく経済学がパンクの必須科目だとおもっていたから経済学部を受けて。ほら、パンクの言うアナーキーだマルクスだ革命だって資本主義に対するカウンターじゃない? だから経済学を学んだ方がいいんじゃないかって考え。
大学はマルクス経済のゼミにいたし資本論がテキストだったんだよ。当然学内では非主流派だし就職のコネも全然ない先生で。仕方ないよねケインズのマクロ経済が主流の時だから。大規模財政出動がアメリカを立て直すってノリだし、そもそもバブルのイケイケの空気が大学を支配してる時期。就職活動の時にもマルクス経済学やってたなんて言えない(笑)

LIVEAGE:マルクス経済学やってると左翼だと思われるってことですね(笑)

安藤: ロクに貢献もしないのに組合活動頑張っちゃうように見えるんでしょう。で、みんな一緒だと思うんだけど、「このまま社会の歯車になっていいのか?」って自問自答してた。金融も商社も違う、音楽関連も違う。 そこに建設業界で補修専門の会社があるという話を聞いて。 経済を学んで建設業界に入るというのはちょっと変だけど仕事的にはパンク的かなって。今で言うとエシカルな仕事に感じたんだ。
当時の経済学部学生のベストの上がりはメガバンクの内定を取ることなんだけど、なんかザ・サラリーマンみたいな感じに思えて選べなかった。そもそも選んだとしても内定取れないと思うけど。
当時の仲良かったネオハードコアテイル界隈ってハードコアと同時にヒッピーの影響受けてる人も多かったからバビロンって語彙がたまに出てくるんだけど(笑)「たとえバビロンシステムの建造物でも、一度作ったものを長く使えるようにする」のはパンク的じゃない?
昔ボーイスカウトをやっていたし、社会の役に立つことをやりたいって意識は俺の人生の色んな決定の場面において出てくる。多分これが俺の行動様式だと思う。
で、90年代初頭って享楽的に大学で遊び倒していいところに永年就職か、フリーターかがスマートだったんだよ。俺は社会の歯車にならずに、好きな仕事で自由きままに生きていくって。今でもあるだろうけど正社員になれない非正規労働の悲惨さみたいな感じは全然なくて、どちらの選択肢も勝ちだよね、みたいな、今から考えると信じられない空気。前者はバンドは引退って空気だから後者を選ぶのはまだバンド続けたいバンドマンが多かった。 ただ、フリーターも下手すれば30万くらい稼げるから新卒の給料より多くて、それが一生続けられると皆、思っていたと思う。当時クンカ(スラムパイレーツのドラム)は40万稼いでたなんて話を聞いてすげーなと思ってた。
好きなことやって生きていくぜ!生活困らないし、俺の人生は最高!みたいな空気が日本を覆ってて。 みんな浮かれていた。一億総無敵ング状態。そんな中で俺はそういうことはできないなあと就職する事を決めたんだ。それで社会の歯車乙wwwみたいな見方と折り合いのつけられる選択肢がこの仕事内容で。これだったら意味ある歯車なんじゃないかって。

LIVEAGE:MISSON UNDONEを出しているときも仕事していたんですか?

安藤:もちろん。俺はバンドやってなかったわけじゃなくて、大学時代もバンドやろうとしていたけど、結果としてできなかったタイプで。で、時間切れになった。当時は「社会人になる」ということはバンドはできないという意味が強くて。終身雇用前提でその代り会社に全て捧げるみたいな時代だった。だから22-3歳で「続行か引退か」を選ぶ感じ。ネオハードコアテイルの中でもそういう人が多かった。スラムパイレーツのニキさんや西やんとか。
で、当時、タモツ(WISE UP)とかと仲よくなり始めてて、その頃にebullitionの洗礼を受けるんだ。No Answersとebullitionのやってたことのエネルギーが凄すぎて、リベレーション周辺もクラストもDCハードコアもつまんなく感じて。とにかくKent McClardの出現と、そのリリース全てにやられまくる。聞いたことのないカテゴリの怒り方と知性と方法論と何から何まで段違いで。で、これを俺はどう反映したらいいんだろうか?バンドがなくてもハードコアって成立するんじゃないか、 バンドをやることを捨てた今何ができるんだろうか?って考えて生まれたのが、collectiveシステムを真似てみることとzineで。それでMISSON UNDONEをやることになった。

LIVEAGE:仕事をしながら、レコードを売っていたと。MISSON UNDONEもはじめたと。

安藤直樹

安藤:うん。最初のボーナスでマックを買ったのね。50万全部ぶち込んで。その2年くらい前からニューキーパイクスのユーさんがマック使ってて、石黒(キミドリ、illdozer、現DJ 1drink)もマックを手に入れたと。だからとりあえず買ってみようって。きっとすげーことできる機械なんだからzineも作れちゃうんじゃない?ってそれを活用したかったのもある。
そんな中で神戸の地震があって、会社がめっちゃくちゃ忙しくなるの。被害の大きさを見て「これは会社創立以来の一大事だ」って社内が不安と高揚で変な空気になってたもん。だって日本全国の橋の耐震基準を見直すことになるから。で実際にもうとんでもない仕事量になったんだ。
そんな中で、俺ができるパンク的なアクティビティとして、SPITBOYのツアーをタモツとやって。それに合わせてマックを覚えていった。
でも会社ではもうホント屑でどうしようもない奴で。東京支店に配属されたんだけど大人の世界の毒気になじめず、魑魅魍魎を前に役立たずの本当に本当に使えないペーペーで。ストレスで毎朝吐いて円形脱毛症になったりとか思い出したくないくらい辛いことばかりだった。今でもLifetimeのHello Bastards聞くと辛い思い出ばかり甦って苦しくなる。泣きながら車で聞いてたから(笑)
で、見かねた長野の営業所長が身柄を引き受ける形で長野に辞令が出て。長野オリンピックがあるから世界中の要人にもしものことがあってはならないと長野県内の橋の補修が全国でも先行してて、案件が多かったから失敗しても大丈夫だと。で、長野県の人って優しいのね。だからここで学べと。
それで縁もゆかりもない長野に行くことになった。
だからMISSON UNDONEのほとんどの号は長野時代に作ってる。で、俺の考えなんかタモツさえ理解してくれればいいやって思ってたんだけど、テツくん(envy)も共感してくれて一緒にやり始めることになった。

LIVEAGE:金回りはよかったんですか?

安藤:全然。金銭的には潤ってなかったよ。初任給手取り19万くらいで残業はピークで月140時間くらいして40万くらい?その繁忙期は何もできないし。そもそもレコードも300円で売ってたし、ファンジンだって200円とかだしね。Mission Undone5号で500円でしょ。

LIVEAGE:そのあたりの人脈はいつ作ったんですか?

安藤:大学時代にネオハードコアテイルのムーブメントがあって、その中にいたからそれがベースで。今のレスザンの人たちとかとのネットワークはその時代からだね。で、それとは別に色んなバンドを見に行ってて。ATOMIC FIREBALLとかBLIND JUSTICEやWISE UPなんかはネオハードコアテイルの一群とは別での付き合いだね。
まぁそんな仕事の状況だから平日に何かをするなんて全然考えられなくて。あっても上司がたまにスナックに連れててくれてちょいスパイシーなママさんと話す、みたいな(笑)全然面白くなくて。でもすごくいい所長だったから一緒に行ってた。veganだったからすげー変な奴に思われてたろうけど。
社会人でもバンドをできるんじゃないかって考えはあったけどその可能性は限りなく低く見えて、swipeとかenvyとかが眩しく見えて、悶々としながら400years呼んだりしてたな。

LIVEAGE: 400years! 僕、それ、WALLで出さしてもらいました。

安藤:出たねーそして痩せてたねー。「プレイヤーじゃなくても出来る事がある」とHeart Attack(アメリカの最大のポリティカルなDIY/PUNKファンジン)のKent McClardが言っていたから俺の現況でできることをやろう。そんなことを考えてた。

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