PUNKSお仕事探訪 vol1:安藤直紀(フリーWebディレクター・プロデューサー)編

安藤直紀

LIVEAGE:仕事は現場監督と聞いていたんですが。

安藤:営業が本職で繁忙期が現場監督だった。建設会社って年度の初め暇で半ばに入札ががあって年末に向けてその工事を消化していく流れなんだけど、最終的に現場をこなす人手が足りなくなるから営業して取ってきた仕事を自分で現場監督する。時には職人の手が足りないから自分でも作業手伝ったりね。朝6時に会社集合して俺が4トントラックを運転して現場に行ったりもしたなぁ。「俺、なんで大学出てんのに4トントラック運転してるんだろう?」みたいに思ったこともあった(笑)

LIVEAGE:入札とか「どす黒いイメージ」があるんですが。。。(サラリーマン金太郎情報)

安藤:これネット公開でしょ?言いづれー(笑) ノーコメントで。 でも公共工事は社会資産を作ると同時に雇用を生み出すためにあるわけで、税金の再配分が一社に寄るのも問題あるよね。
今はコンプライアンスが厳しくなってるし仕組み的にほとんど不可能になってるから改善してるとは思うけど。
で、実際にそこを悩むことにもなって。エシカルな仕事を選んだはずなのに、看過できない部分がある。例えば子供が出来て「お父さんどんな仕事やってるの?」って聞かれたら俺はどう答えるだろうか?そこが引っ掛かり始めるんだ。
そんな中でここに書けない話や事件があって、辞めようって考え始めるんだけど、何をするかなんて思いつかないままで。スポーツインストラクター養成学校のパンフレットを取り寄せたこともあった。でも決めないで辞めるのは絶対に間違ってると思って、働きながら色々リサーチをしてくんだよ。で、当時転職は30歳限界説とかあったけど、ITだったらいけんじゃないかと。なんとなくシステムエンジニアってやつなんじゃないの?ってくらいの理解度でデジハリの説明会に行って、ピンときて、失業保険もらいながらデジハリに通うんだよね。

LIVEAGE:俺もデジハリでしたけどコースなんですか?

安藤:プロデューサーとデザイナーコース。結果的にはあの状況でこの選択が一番正解だったと思う。そして、システムエンジニアって言葉を知るくらいの時に本当に偶然に
『これまでのビジネスのやり方は終わりだ―あなたの会社を絶滅恐竜にしない95の法則』に出会うの。

* 市場は対話である。
* インターネットは、マスメディアの時代にはただ不可能だった人間同士の対話を可能にしている。
* ハイパーリンクは階級制をくつがえす。
* インターネットで情報化された市場とイントラネットで情報化された社員の双方で、人々は新しく強力に話をしあっている。
* このように情報化の進んだ対話によって、強力な新しいかたちの社会組織や知識の交換方法が出現する。
* その結果、市場はますます賢くなり、さらに情報化がすすみ、より組織化されていく。情報化された市場に参加することで人は根底から変わる。
* 情報化された市場にいる人々には、企業などよりはるかに優れた情報とサポートを自分たちでお互いに提供しあっているというのがわかっている。企業は、商品に付加価値を付けているという宣伝文句を口にするが。
* そこには秘密というものは何もない。情報化された市場では、製品について、製造元の企業よりもはるかによく知られているし、いいことであろうと悪いことであろうと全ての人に伝わる。
* 企業は象牙の塔から降りて、関係を築きたいと思っている人々に話しかけなければならない。
* 情報化された市場では供給元を一晩のうちに変えてしまうことができる。情報化された知識ある労働者はお昼休みに雇い主を変わることもできる。いわゆる「リストラ」(従業員数の縮小)がわたしたちに教えてくれたのは、「忠誠心?それが何になる?」ということだ。
* 賢い市場は、自分自身のことばで話す企業を見抜くであろう。
* 対話社会に属さない企業は死んでしまう。
* わたしたちこそがまた、あなたの企業を動かす労働者でもあるのだ。わたしたちは、原稿にかかれた決まり文句ではなく、自分たち自身の声で直接お客様に話をしたい。
* あなたがた(企業)をご招待しよう。だが、ここはわたしたちの世界だ。中に入る前にくつを脱ぎたまえ。わたしたちと取り引きしたいなら、お高くとまっていないで謙虚になれ!
* わたしたちは広告には影響されない。広告なんてどうでもいいことだ。
* わたしたちに話しかけて欲しいなら、わたしたちに向かって何か話しなさい。何か面白い変化を生み出してみなさい。
* あなたがた(企業)に対してわたしたちにも良いアイディアがある。わたしたちが欲しいと思う新しい道具、よりよいサービス。進んでお金を払おうとするようなもの。ちょっと耳を傾けてくれないか?
* 「仕事」が忙しくてわたしたちからのE-mail に答える暇がないだって?ご愁傷様。後でもう一度話すことにするよ。もう二度と話しかけないかもしれないけどね。
* わたしたちにお金を払って欲しいって?わたしたちは、あなたがた(企業)に注意を払って欲しい。
* あなたがた(企業)には、自分勝手な自己中心的行為を止めて、神経症的な自己陶酔から脱けて、わたしたちの仲間に加わって欲しい。
* 心配しなくて大丈夫。それでもなお、お金を稼ぐことはできるのだから。お金もうけがあなたがた(企業)のたったひとつの関心事でない限り。

インターネットが今までの企業と消費者労働者の主従関係を変えるよ。インターネットの技術が消費者にとてつもない力を与えるよってのが論旨なんだけど2001年にこんな未来像を正しく予言してたのが今でも震える。ちょうど社会で働くことについて悩んでいた時期だったから雷に打たれたように痺れてね。これからの企業のありかた、社会のあり方をこんなにエキサイティングにアジテートした天才達を他に知らない。
DIYハードコアの根底にあるグラスルーツのアイディアやネットワークが世界を良いものに変えようと様々な試みをしているのと同じように、ビジネスで世界のルールを変えようとしている人たちがいる、それも1人2人のレベルじゃないってことに猛烈に興奮して。丁度その頃のDIYハードコアシーンは音楽的成熟を目指してミュージシャンシップが高まっていった時期だからハードコアが急速に面白くなくなってて、その時に異常に熱い奴らがインターネット業界にいるってことを発見して。
で、俺は単に音楽をやりたかったんじゃない。世界を良いものにしたいんだ、ハードコアという音楽が好きだったのはそうした期待に寄るところが大きくて、もしそうした貢献性がないなら、もし単なるカッコいい音楽ならば、それはMTVメタルとあまり変わらないって自分の優先順位がはっきりするの。
で、今まで自分の信じていたハードコアに見ていた大切な価値観とインターネット先駆者の提示する価値観がイコールで繋がったんだ。 これこそが俺が仕事で取り組むべき分野なんだって。そこからはもうインターネットの革新性に超ハマって。ハードコアよりラディカルだって思って寝食忘れて知識をものにしていった。初めて知恵熱ってものも出したw

LIVEAGE:その間失業保険だけですか?

安藤:ううんデジハリ行ってる間は仕事はせずにひたすら勉強してた。でもスロットにハマってる時期でもあってw 黒歴史だけど、今なら公開できる(笑)スロ屑でした!

LIVEAGE:wwwスロットって勝てたんですか?

安藤直樹

安藤:長期的に見たら勝てるわけないでしょ(笑) 生活乱れてたなー。でも勉強をしまくっていたのは本当で、ローレンス・レッシグの本読んでは共有財すげー、リチャード・ストールマンの存在知ってぶっ飛ばされて、ビジョナリーカンパニー読んで泣いて、リチャード・ソール・ワーマンの「それは情報ではない」を読んでスペシャリストの考察の深さに敬服してって。実業界は糞だってレベルミュージックお決まりのフレームワークあるじゃん?でも、実はすごい人たちがいる、日本にも世界にもこんなにもいるんだって。
そうするとこの頃から「企業は糞だ」とか「灰色の顔したサラリーマンが」「9時5時ファッキンワーク」とかいう歌を受け付けなくなってくるの。レコードをdigるのと同じくらいの情熱ですごい人物をdigることもしないで何見当違いのこと言ってるんだって思うようになって。なんも資本も後ろ立てもない人が24時間7日働いてどんどん世界を変えていこうとしているってのがすごいなって。
まぁ今でも聞くけどイングウェイの歌詞と同じでファンタジーとして受け止めるように(笑)

LIVEAGE:デジハリに当時プロデューサーコースってあったんですね。

安藤:マチ君(NSSG/LIVEAGE)が通ってた時にはそのコースがなかったんじゃないかな。丁度俺が学校見学に行った時に、当時の新しく社長になった人がそのプロデューサーコースを作ったんだよ。講師陣がTSUTAYAオンラインの立ち上げメンバーで。それに一期生として受講するようになったんだ。本当に奇跡のタイミングだし、奇跡のメンツ。今でもその人達と仕事してたりするしね。

LIVEAGE:転職はスムーズに?

安藤:いや全然よ。デジハリ卒業して、採用されるまでに30社近く落ちてるから。ITバブルが弾けた直後だったから、30歳未経験の建設会社営業を採用する企業なんてなくて、書類選考の段階でめちゃくちゃ落とされたよ。だからYahooのADSLモデムの契約のバイトしながら就職活動してた。光通信系列のやつね。立川とか登戸で「つなぎ放題定額のインターネット回線!いかがですか!」って(笑) 実はこのモデム配りの経験もすげー役に立ってて。ほとんどの人は本物を配ってようが話すら聞かない。人は無視するのが当然、それでもめげる必要がないってことがわかった。だって100人声かければ絶対に契約1本取れるんだもの。10本欲しければ1000人に声かけて990人に断られればいいなって。
だから、就職活動も、色々工夫しながら続けてたら、面接できるようになって、面接でも落ちるからまた工夫してってやってたら、同時に3社内定が出て。その中で面接官が異常に切れ者の会社を選んで就職活動は終了。晴れて転職完了、と。

LIVEAGE:その会社ではどんなことやってたんですか? 営業?ディレクションもやるって感じですか?

安藤:自分で仕事を取ってきて、自分でその仕事を消化するって形だった。ド素人なりに勉強したネタを使って提案書を書いて。その当時の提案書なんか見れたもんじゃないし最初は人の仕事ばかり手伝ってて。けどその時に凄く成長したと思う。建設会社とは違うけど楽しかったね。
でもその入社した会社、6ヶ月で倒産するんだよ。突然前日にBCCでメールが来て「明日倒産します。40人中、10人だけで新しい会社を作る。誰にこのメールが届いてるか確認せず帰って明日までにこの新しい会社で働くか決めて出社してくれ」って言われて。まだなんも仕事できないのにw 期待の裏返しでもあり、逆に「創業に携われるこの機会は美味しいかもしれない」と思って行くことにした。あと、どうしてもこの専務について行きたかったというのもあるんだ。

LIVEAGE:創業ってどんなですか?

安藤直樹

安藤:敗戦みたいな空気から始まったよ(笑)新会社で2000万の負債負ってのスタートだったから。最初はLANケーブルドラムとコネクタのパーツで好きな長さのLANケーブル作るところから始まって(笑)最初の3か月は給料なしで、後でキャッシュフローが回り出してからきちんともらったけどね。
で、前会社の案件は新会社で引き継いで行う形であいさつ回り行って。で、倒産しても新会社の方にお金を払ってくれるクライアントもいれば、払う必要ないじゃんっていうお客さんもいて。商慣行上では勿論払う必要ないんだけど、そういうところで人の器ってわかるなーと思った。市ヶ谷にあったホテル再生事業会社の社長の前で泣いたことあるもん。で、自分がきちんとお金を払うことの大切さをわかるようにもなったねー。
この時は毎日ほぼ終電だったけど、それが当たり前と思ってた。大きな会社だったらエースがいて、自分が奮わなくても給料出るけど、自分頑張らなかったら負債も減らないしまた倒産するかもしれないじゃん?だから必死だった。会社の運命の1/10を自分が握ってるわけで。あと、インターネット業界ってすげーんだよ!ってことを証明したかったのもある。なんとか自分の給料をもらってもいいくらいはできたのかな?いっぱい迷惑もかけたけどやることはやったと思う。んーでも結構美化しちゃってる気もするな(笑)でもとにかくこの会社では社長副社長に育てられたようなもんだから、今でも頭上がらない。
で、この会社で3年経った時にWebディレクションの本を出したのよ。副社長と共著で。それがすごく思い出に残ってる。その副社長は当時日本一のインターネットグール―だと今でも思ってるし、よくケンカもしたけど、人として筋が通っててブレがない。本当ににその人と出せてよかった。
丁度その頃デジハリから「そろそろデジハリに入りませんか?」って誘われて。それはそれですごく悩んだんだけど、3年頑張って2000万の負債もなくなった時期で、次のステップに進んでもいいかなって考えて、デジハリに社員で入社することになるんだ。今度はITの教育分野だね。その副社長とは一緒にWebSig24/7もやってたし、縁が切れることはない、と。

LIVEAGE:デジハリは先生として入ったんですか?

安藤:いや、教育プログラム。カリキュラムを作ったりする方。最初は校友会みたいなメンバーシップビジネスをやろうとしてたんだけど、話が二転三転して。

LIVEAGE:僕もデジハリで勉強しました。インパルス・レコードのHPは中期の卒業制作でつくりました(笑)

安藤:教育者になるつもりはなかったんだけど、教えるという経験というのもいいなと思ったんだ。元々家が教師の家系で。で社会人向けコースの開発をやったり。で、自分が未経験からこの業界に入った時に陥る勘違いの努力を避けてショートカットする考え方の違いなどを教えたくて、ゼミをやって教えたりもした。そんな形で講師のキャリアも始まるんだよね。
そもそも、良い業界環境を作りたいという気持ちが強くて。ハードコアシーンだって、全ては人材の良し悪しがその出来につながるじゃん。で、それってのはルールがカチッと決まって、「そのルールに従いなさい、そうすれば問題ないんです。このルールに従わないなら仲間じゃありません出てってください」ってトップダウンルールじゃなくて、その場所を見た人が「なんだかワクワクするぞこの場所は、俺も自由にあれやってみようこれやってみよう」って勇気を出せることが一番大事なんだってことは経験済みだったから、それを仕事関連の場所でも作りたかったんだよ。
そっちの方が楽しいじゃん。いい人材がいて、色んな試みが行われて初めて有機的に育って機能するじゃん。それと一緒で良い人材を輩出する側にこういうビジョンの人間がいてもいいんじゃないかって。業界全体がよくなればいいなって思ってた。

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