前述の通り、私は音楽的理論は皆無です。若かりし頃は、理論を学ぼうとスケールブックや理論書を読みながらギターの練習に励んだり、励もうとした時期もありました。でも、思ったのは、うーん、別にこのスケールやフレーズは自ら一生弾くことないでしょというものも沢山あり、一言でいうと“コレ、イラネ”でやめた記憶。
細かいことは分からないけど、この音使いは好き・嫌いの感覚だけでやってきて、今もやっている感しかある。
去年、音源を作って、the chef cooks meというバンドのシモリョーに送って返ってきた感想コメントに「ギター2本でそれぞれ別のメロディー弾いているのにちゃんと分数コードになっているのはどうやったら出来るのか?」的なのがあって、俺からすると「ぶ、分数コード?逆に聞きたいんだけど、うちらのフレーズは分数コードになってるの?」レベルでオタオタして返した返事が「よく分かんないし、適当」という本当に適当な内容で大変申し訳。ちなみにシモリョーは希代のメロディーメーカーで年下だけどとても尊敬している。
「オリジナル曲を作ろう」なんて字面や言葉から漂う“とてもハードルの高いことをしなければいけない”感あると思います。理論がないと曲は作れないんじゃないかとか。
確かに、理論に基づいた楽曲が要求されるラインもあると思います。でも、なんだかよく分かんないけど好きな音出して作ってみたらとても気持ちよかった、でも充分イイんじゃないでしょうか。それを後で理論的に分析してみたらこういうことだったのかという振り返りでも可。誰かの好きな曲をコピーしたときに、なんで自分はこの曲のこういうところが好きなんだろう?という分析likeどうしてこんなにも鈴村あいりクンが刺さるんだろうという、そうか、挿さった瞬間のソレだ…!的な自己分析。
理論は理論。感覚は感覚。好きなものは好き。嫌いなものは嫌い。ガチガチの理論に基づいて作られた曲でもイマイチと思われるかもしれないし、ノー理論で作られた曲でも人の胸打つ1曲になるかもしれない。すなわち、持論。
もしも自分に理論がもっとあれば、音の捉え方も違うんだろうなぁと思いつつ、ノー理論で来てしまっている今日。ギター歴20年。楽譜もTAB譜も読めない、速弾き不可の私。
そんな私でも楽しくバンド活動をしているのだから、誰でも臆することなく曲作って表現すればいいなぁと思い、今回のコラムを書き記した次第です。決して上から目線ではなく同じ目線。
まとめ
・妻との関係は大変良好だと信じている。信じたい。信じていたい。信じていていいの?
・ヤダ氏は基本的に敵に回すと厄介そうだから、そろそろコラム書かないといけないと思った次第
・モリは俺のことをナナメ下に見ているからあえてE♭(13)△7とか書く
・で、オーギュメントてナニ?
・FUGAZIは断然アーギュメント派
・今日のオマエってなんかいつもと違ってクリシェだな…からのプロポーズ結果報告誰か
・理論なくても音は鳴る
・理論があって鳴る音が必ずしも俺に刺さるとは限らない
・鈴村あいりクンはガチで刺さる。あと、吉岡。
・とりあえず…BANDやろうぜ!でイイじゃない
次回は、「スペンス乳腺尾部は胸のGスポットだと…?で、ソレはドコにあるんだい?」「野球やらないのに当て捕り出来ると鼻高々だから自宅で出来る当て捕り練習法はコレ」「4月は新生活スタート。大学サークルの4年生のセンパイが偉そうにクンロク垂れてても、コイツら就職して世の中出たらケツ拭く紙以下の存在レベルでスタートと思いながら聞くと本当に滑稽」「親の仕送りで買った服でオシャレ自慢フォトコレクション100選」を予定。
ご清聴ありがとうございました。