drumkanリユニオン、そして彼らの歴史

DRUMKAN

2007年、drumkanは三たびの渡米、Kevinとのレコーディングに入る。メンバーチェンジを繰り返したdrumkanサウンドの方向性は、よりシンプルでパワーポップ感あるサウンド作りを始めていた。10数年続けてきた答えが「ポップ」へと繋がったことで、日本語歌詞にも再挑戦。そして「AS LIFE」が完成。

その後、「AS LIFE」リリースツアーが始まるも、ツアー、作曲、レコーディング、ツアー…と、活動がルーティンになり、同じく仕事をしながら続ける事に、メンバーは疲れを感じていた。。。そして、ツアーの真っ只中、些細な事がきっかけとなり、歪みが悪い方向へ生まれ、2007年、drumkanは「解散」を表明。

2007年11月、新宿ロフト。解散ライブを初となるワンマンで行い、12年間続いた長い道のりに終止符を打った。メンバーは、別々の道を歩みだしていく。

ルーツとなったメンバー3人。
ツガハラは、スパナムのケイとPARMSを結成。コジマは、thropusを結成、ゴローは、FROITOを結成。それぞれのサウンドを別の形で表現していくことになる。

ツガハラはPARMSでも、Kevinプロデュースで作品をリリースする一方、waver waverとしても、海外バンドとの交流を続けていた。Joshuaの後継バンド、PARK RANGERを招聘したり、その他国内外問わず、良質なバンドを積極的にリリース、精力的に活動をしていた。

歳月が経ち、2016年。ひとつの訃報が入る。SENSE FIELDのカリスマボーカリストであるJon Bunchの死去。ツガハラの頭に衝撃が走った。。。すぐにGamefaceのJeffやSENSE FILEDのマネージャーなどに連絡を取り、事実確認をするも、訃報は事実となった。それから数週間後、カリフォルニアでJonの追悼ライブ開催が決定する。ツガハラは、Jeffからの誘いを受け、GamefaceでJonがバックアップボーカルで参加していた曲「Now」を唄ってくれないかと。ツガハラは参加を承諾するも、同時にdrumkanで参加できればと、想いもこみ上げてきた。

ツガハラは、年に1度、ゴローと会っていた。無理を承知で、ゴローに意思を持ちかける。
ツガハラ「Jonの追悼ライブにdrumkanで出ないか? カリフォルニアでライブがある」
ゴロー「いいよ、やろう!」
ゴローの二つ返事に、ツガハラは拍子抜けてしまった。やるとなれば後はドラマーを。ゴローからコジマへ連絡をしたが、急な話もあり、スケジュールが合わない。この時、FROITOのドラマー・マリちゃんが快く引き受けてくれることになる。

こうして10年ぶりに、そしてJonの追悼をきっかに、drumkanが一夜限りの復活を遂げることになる。Jonの追悼イベントには、懐かしい顔ぶれが揃った。Texsas is the reasonのギャレット、SMAIAMのセルジ、Farsideのポパイ、GAmefaceのJeffと言った面々と再会。思い出話にも花が咲いた。無事に帰国。

2017年1月、月日が流れ、気がつけば、Jonの追悼ライブから、1年ほどが経っていた。
ツガハラは、ゴローとマリちゃんから、あの時の打ち上げをやろう!という誘いで、再会することになる。
懐かしむ会話の中で、「もう一度drumkanをやってみたら?」という話が出るも、「コジマならやりたいね。」とういう流れ。勢いで、ゴローは直ぐにコジマへ連絡をとる。(勿論、快諾をする)

2017年2月14日、バレンタインデーのなぜかこの日、3人が再会を果たした。約20年ぶりにオリジナルメンバー3人が揃い、満場一致で、drumkanが再結成をした。

drumkan / Rebranding

懐かしくも新しい、今ある等身大のdrumkanを表現するべく。
2017年11月19日、下北沢シェルター。

drumkan

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