drumkanリユニオン、そして彼らの歴史

DRUMKAN

LIVEAGEがgamefaceを招聘するにあたって、gamefaceのジェフから「drumkanのツガハラ・サトシと連絡をとってくれ」というリクエストがあった。私はdrumkanは知っていたが、聴いたことのないバンドであった。SENSE FIELDやElliotを招聘した事は知っていた。ただ、彼らがハングアウト(20年前ほどに放映されていたパンクTV番組)というテレビやリミテッドレコードというレコード会社に所属していた事があり、「自分たちとは違う」という認識があった。
ジェフからの勧めでdrumkanのサトシさんと会い、杯をかわした。非常に面白くて情熱的な方であった。今回の我々が初挑戦するgamefaceの招聘にも色々アドバイスをくださり、ジェフとのメールも重要なところで一言言ってくださったりする。
そんなdrumkanが11月に復活する。そこで彼らの歴史、と復活について語っていただいた。

text by ツガハラ(drumkan)

Rebranding ~process for drumkan

drumkanは1996年に、GENOAのローディーをやっていたツガハラと、幼馴染のゴローによって結成。ギター・ベース・ドラムとスタンダードな編成で始まる。当時、ツガハラはフォークミュージックに傾倒し、一方のゴローはUSハードコアやプログレシッブハードコア等の影響を受け、楽曲の趣味も異なるメンバーで、リハーサルとやライブを重ねていた。

当時の千葉インディーズシーンは、SWITCH STYLEを始め、80年代から活動している重鎮バンド、UNITEDやガーリックボーイズ、その後輩として活動していたヌンチャクやDEATH FILEなど、良質なバンドが数多く、シーンを確立していた。drumkanも80年代に日本のハードコアシーンを牽引していたGENOAの後輩バンドとして活動する。千葉ハードコアシーンはそんな先輩後輩の強い上下関係があった。

drumkanが動き出し、リハーサルを積重ねる中、ベースが脱退。活動が前に進まない日々が続く。ある日のリハーサルスタジオ、ゴローがツガハラに、ベースアンプにギターを突っ込み、ベースギターとして弾くことを提案。さらにエフェクターのBig Muffを音色として組み込み、drumkanサウンドの原型が生まれる。

その後、月日が経ち、ある日のライブイベント。たまたま別バンドで共演をしていたコジマと出会う。その後、当時のドラマーとリプレイスする形で、コジマはdrumkanに参加することになる。

drumkanは、その機材セッティングもメンバーそれぞれ非常に奇抜であった。ツガハラは、弦のゲージは一番太いものを使い、ベースアンプを使い、Big Muff(ロシア製)を噛ませることで、ベースレスを感じさせない非常に分厚いサウンンドに。ゴローは、アンプに直のセッティング、ギター本体のボリュームとトーンを器用に調整し、独自の音世界を表現。コジマは、ハイトーンのピッコロスネアと、キック、フロアタムの3点セット、ハットとシンバル2枚のみのシンプルセッティング。叩く音は途轍もない轟音であった。

1998年、米国のポップオルタナティヴバンド、Third Eye Blindのオープニングアクトに抜擢。当時は新宿にあったリキッドルームで2DAYSを熱演。

その翌年1999年、プロデューサーにSWITCH STYLE 前澤友作氏を迎え、アルバム「blend」をリリース(START TODAY)。
「blend」のリリースに合わせて、START TODAY招聘によりSENSE FILEDとの日本ツアーが決まるが、直前にSENSE FILEDのキャンセルにより中止。drumkanは、渋谷クアトロで開催された、SWICH STYLEのアルバム「Metronome」リリースライブで、オープニングアクトを行う。

「brend」。アルバムタイトルは、たまたまリハーサル中に飲んでいた缶コーヒーに書かれていた、コロンビア・ブレンドから由来するが、後にこの1枚の作品が、drumkanの歴史を大きく色付けていく。日本〜そして世界へ。海外のアーティストと繋がっていくことは、本人達もまだこの時点では知りえなかった。
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