40代からのEAST BAY PUNK ROCK!CAMUS “April” レビュー

CAMUS

数カ月たって、RAMONESでギターを弾いていた4年生の今西さんが急に私をイジるようになった。
私がよく自分の左胸を自分で揉んでいるという理由であった。揉んでいると安心するのである。
そこから、急にサークルに私の居場所ができたような気がした。
中学、高校の時にメタルで鍛えたギターの腕が評価され、多くのカバーバンドに誘われた。
「ああ、ここにいてもいいんだな。」と安心した。
そこからは音楽三昧に日々が始まった。バイト、奨学金で得た金をすべてレコード、ファンジンとライブにつぎ込んだ。授業など出ている暇はない。
先輩から仕入れたパンク・ハードコアそしてEMOというジャンル、連れて行ったもらったHUSKING BEE, FRUITY, SWIPE, ENVYなどのライブで得た情報でものすごいスピードでパンク・ハードコア・エモに没頭していった。
その中でも今西さんが特別視していたSNUFFY SMILEというレーベルの作品は片っ端から買っていった。
今西さんは卒業する前くらいからLIFTMANというバンドを組み、登戸(GOやONE WAY DOWNと対バンしていた)や町田で活動するようになった。
SNUFFY SMILEのコンピにも参加した。私はついていけるライブはほとんど観にいっていた。

今西さんは「LIFTMANはDC HARDCOREとGORILLA BISCUITSの融合よ!」と言っていたが、外部からは「間違ったDCの解釈」と言われていたりもしていた(笑)。
そう、今回のレビューのCAMUSのドラムスの今西さんこそ、LIFTMANの今西さんなのであった。
そういったタイミングでサークルのOBの足達さん(現DIRTY SATELLITESで私と行動)ともよく遊ぶようになり、足達さんにメタルギターの腕を見込まれ当時SNUFFY SMILEで活動していたWALLに4人目のメンバーとしてギターで参加することとなった。大学3年生のことであろうか。
CAMUSのギターの新川とは同級生で私とオリジナルのインディーロックバンドを組んでいたこともある盟友である。

法政大学の市ヶ谷校舎にはロリータ18号, BLEW, DISGUSTEENS, GROCKEY’S REVENGE, FOODCHAIN, MAN★FRIDAYなどカッコよいバンドが多く活動していた。
完全に学生が管理運営する学生会館は数カ月ごとにハードコアのフェスがあり、ENVY, SWIPE, SPIKE SHOES, TOMMOROWなど全国のハードコアを見る事ができた。
そう、法政大学 市ヶ谷校舎こそ、96年~99年頃のUSハードコアの中心と言ってもいい大学であった。その昔はスターリンや大御所のJAPANESEハードコアバンドたちの聖地でもあった。大学全体を覆う左翼的思想と音楽がリンクしていたのである。とにかく「反体制」がモットーである。

八王子は地理的に遠くそういったムーブメントに乗ることはなかなか難しかったが、
私は自分のバンドTHIS WORLD IS MINEを立ち上げ、BURST YOUR NOISE, SNUFFY SMILEから音源を発表し、都心に攻め込んだ。

どこにも居場所がない高校生だった私は、東京の八王子の隅っこで、はじめて居場所をみつけた気がした。
そう、CAMUSの今西さん、新川がいなければ、私はサークルを離れ、故郷の広島に帰って就職していた可能性は高い。(実際、多くの高校の同級生は大学卒業とともに広島に帰った)

前置きが長くなったがCAMUSはベースに駒田(元VISTA)を加え、EAST BAY PUNKを日本語で演奏する今では珍しいバンドだ。
CRIMPSHRINEやFIFTEEN~初期GREEN DAY~JAWBREAKERを基本にしHUSKER DUからTHE REPLACEMENTSの流れも感じる事ができる。
自然に耳にのこる新川の日本語詞も良い感じだ。

今西さんはCRIMPSHRINEのドラムス、 アーロンのドタバタスタイルのドラムであるが非常に練りこんだリズムを演奏する。
新川は一時期はファンクやソウル、HIP HOPに傾倒していた(カクバリズムの企画などにもでていた)が、それらを経て大学一年生の頃のビリー・ジョー(GREEN DAY)スタイルに戻っている。
駒田も的確なビートを刻んでいる。

平均年齢40歳のバンドが青春まっさかりのEAST BAY PUNKを演奏する。いいじゃないか。そんなバンドがいても。

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