私とCAMUS
text by Yoshinobu Yada(LIVEAGE)
時は1996年、私は何も目的を持たずに東京にやってきた。法政大学に入学するためである。
校舎は八王子の隅の隅。近くに牛舎もあるような田舎に母親とアパートを決めた。
大学から徒歩五分。「大学に行かなくならないように、なるべく近くに」ということで決められたアパートであった。
大学に入るも「バンドをやりたい」くらいしか目的のなかった私に、入学初日から法政大学は大きなパンチをくらわしてきた。
大学の入り口から続く「沖縄奪還!」「日米安保反対!」「造反有理!(反抗するには理由がある)」といった立て看板。ヘルメットをかぶった学生たち。
そう、そのころの法政はまだ左翼運動が元気であった。
「ここはいつの時代なんだ?くだらないね。」なんて左翼も右翼もわからない私は思いながら自分のクラスに顔を出した。
飲み会にも何回か顔を出した。だが、だが、なんにも面白くなかった。
求めている刺激には出会えなかったし、可愛い女の子は皆、イケメンに寄っていくだけであった。
「そうだ、バンドサークルでものぞいてみるか」と。軽音楽サークルの扉をたたくのであった。
軽音楽サークルの扉をあけると激烈なPUNKミュージックを演奏している4人組がいた。
RAMONESのコピーバンドであった。それが私が生まれて初めて観たPUNKバンドであった。
「ああ、RAMONESとかやるんだ。。。」とエピタフやFATに当時、夢中になってた私にはその音が刺さった。
中学生の頃からメタル、グランジ、USインディー、メロコアと聴いてきた自分の居場所かもしれないと思った。
だが、生来の奥手な性格がわざわいし、高校のクラスの時と同じようにこの軽音楽サークルになじむことはなかった。