本当は「とにかくすごいから聴いてくれ!」の一言で済ませたいのだ。現シーンでも指折りのカリスマ性を放つRyuji(vo)が率い、WRENCHのAzuma Sakamoto(g)、マイナーリーグのMasaya Komamura(b)、Yoichi Hirono(ds)が脇を固めるBB。変拍子が複雑に入り組んだヘヴィ&プログレッシヴなサウンドと、一切の隙のないライヴパフォーマンスでじわじわと話題を呼んできた彼らが、去る3月にようやく初のフルアルバム『BLACK BABEL』をリリースした。これがもう、語ろうとしたら言葉が増えるばかりなのに、何を言っても足りないという、とんでもない異形のヘヴィミュージックなのだ。ならば本人の考えを聞かせてもらうしかないと、Ryujiその人にインタビューを実施。今回は彼のキャリアを総括しつつ、BBという怪物の正体に迫るヒントを与えてもらった。
Interview by MOCHI
Photo by RiNAKiM
――現在はBBに力を注いでいるRyujiさんですが、今回はBBに至るまでの経緯もお話しいただければと思います。まず、RyujiさんといえばやはりCOCOBATのオリジナルメンバーとしての認知が高いと思いますが、それ以前はバンド活動をしていたんでしょうか?
Ryuji:10代のころ…82年から86年までは、仙台でDISARRAYっていうハードコアパンクバンドをやっていたよ。当時はハードコア、パンク系なら東京ではADK RECORDS、大阪ではAA RECORDSっていうインディーズでは有名なレーベルがあってね。そのADKからソノシート、地元レーベルから7インチを出したりして…そのへんの音源をまとめた編集盤(2008年の『1982-1986』)を出したら、アメリカのBlack Waterっていうレーベルが、それをアナログ盤でリリースしてくれた(2014年)。当時、ハードコアをやりながらもTHE BIRTHDAY PARTYとかFOETUSとかに出会って、変拍子とかクセのあるものが好きになっていった。ほかにもKILLING JOKEなんかも大好きで。今のBBの原点になっているのも、10代で出会ったそのあたりのバンドなのかもしれないな。東京に出てきたのは、20歳の時だね。
――東京で結成したCOCOBATというと、今の日本のハードコアとかラウドロックと言われるジャンルにおいて、基準のひとつのバンドですよね。その時のシーンの状況とか、当事者としてはどのように感じていたんでしょうか?
Ryuji:まぁ時代が時代だし、あの当時、日本のああいうバンドがメジャーデビューするなんて考えられなかったんだよね。TOY’S FACTORYからCOCOBATとS.O.Bが93年にメジャーデビューしたんだけど、そのあたりから、日本の洋楽よりのバンドもいろいろ変わってきたのかなって思う。でも俺は、好きなことをやっていたらたまたまメジャーにいったっていうだけで。運がよかったというだけで済ませることでもないだろうけど、そういうときだったのかもね。
――でもRyujiさんはCOCOBATを2枚目の『STRUGGLE FOR AHRODITE』(1993年)を最後に脱退しています。脱退を決めた理由はなんだったんですか?
Ryuji:それは単純に、俺自身がCOCOBATをやっていて面白いと思わなくなったし魅力も感じなくなったから。
――その後、BACKBONEを結成して、アルバムを1枚リリースしましたね。どんな音楽性だったんですか?
Ryuji:俺が過去にやってきたバンドのなかでは、一番BBに近い音だね。BBにしてもBACKBONEにしても、基本的に曲を作っているのは俺だから。BACKBONEも変拍子とか、奇数の拍子が多い感じだった。
――その次がDESSERTですよね。
Ryuji:BACKBONEとは別に、それぞれ別のバンドをやっていた友だちと遊びでスタジオに入って、それがちょっとライヴやってみるかっていう話に膨らんで、DESSERTに発展した。そのまま活動していくようになった感じだね。だからBACKBONEは正式に解散したっていうよりも、自然消滅していった感じかな。
――BACKBONEとDESSERTを同時進行させようとは思わなかったんですか?
Ryuji:俺の性格的に、二つのバンドを同時進行でやっていくっていうのは無理だからね。BACKBONEもDESSERTも俺が基本的に曲を作っていたけど、運営にしろ作詞にしろ、そういうことを二つのバンドで同時やるっていうのは、どう考えても無理だったから、どちらかに集中したかった。