DC HARDCORE、カオティックHC、ポスト・パンクの源流の一つ、THE POP GROUPに緊急インタビュー!

the pop group

ある朝、LIVEAGE編集部に一通のメールが届いた。
THE POP GROUPの新譜が出るにあたって、THE POP GROUPの頭脳、マーク・スチュワートにインタビューしたという内容のものであった。
送り主はLIVEAGEにこのインタビューがぴったりなのではないかと思ったようだ。光栄なことだ。確かに我々が取り上げているDC HARDCOREやカオティック・ハードコアの源流の一つにTHE POP GROUPは位置すると言っても良い。

THE POP GROUPは70年代後半から活動するポスト・パンクバンドである。
パンク・ロック、フリー・ジャズ、ダブの要素をいち早くサウンドに取り入れた伝説のバンドである。
2010年に再結成を果たし、2011年summer sonicにて初来日をはたし、このアルバム”honey moon on mars”は再結成後、2枚目のアルバムとなる。

それではインタビューをFuck’n GO!!!

インタビュー with マーク・スチュワート(THE POP GROUP)

◎アルバム完成おめでとうございます。今作は、どのような青写真を描いていたのですか?

青写真的なものはあったんだけど、大勢の人間と一緒に仕事をするということは、そのまんまには進まないとうことで、さらにはTHE POP GROUP にとって鍵となるマニフェストは「すべてオープンに構えて、過ちを含めた変化をそのまま受け入れる」というやつなんで、スタジオやリハーサル・ルームで思わぬ展開があって、それがいわゆるミスと思われるようなものであったとしても、その時の爆発力をもってアートに転じていくのが俺たちの方針なんでね。それができるためには、先入観を持たずに子供のようにプレイしてみること。アイデアを形にしようとするのではなく、どうなるか、まずやってみる。何しろこのバンドはキャラの濃いやつばかりが揃ってるんでね。何かを押し付けようとしたら殴り合いのケンカになるからな。

◎実際、殴り合いを?

今日、そうなるかもしれないな。日本のジャーナリストを相手に。

◎え…?

どうやら人は理解していないらしい、イギリスのパンクロックの始まりってやつを。手短に言えばそれは、道端でいきなり誰かに「その靴、どこで手に入れた?」だの「お前、不細工だな」だのと絡んでいくような、あるいは絡まれたときにやり返すような、ウギャ~~ッっていうエネルギーとまったく同じところに端を発しているんだよ。マジで、パンクロックの本質はそこにある。

◎そのエネルギーをあなたは今も保持している、と。

そう。悪化の一途だ。フフフフフ…

◎となると、スタジオにプロデューサーがいることは救いになりますか。

プロデューサーはセラピストだ。ユングのような存在(笑)。METALLICAのドキュメンタリー、知ってるかい? セラピストが出てきてバンドを救おうとするやつ。基本、俺たちが今回もデニス・ボーヴェルと組むことにした理由のひとつがそれだった。今も覚えてるんだが、16~17歳の頃の俺たちはティーンエイジャーならではのアドレナリン出まくりの男性ホルモン出まくりの、まさにオスって感じだったから自分じゃ抑えが効かないし、どうやってコントロールすりゃあいいのかもわからない、たとえるなら首を切られたニワトリ状態でやみくもに走り回っているという…。そういや最近、自分たちの若い頃の映像を観たんだ。ドン・レッツが作ったやつ。俺たちときたら、まるで全員がそれぞれ違う曲を同時に演奏してるみたいで。ベースのダンと大笑いしたよ。あんなクレイジーなバンド、今もって見たことない。そんなところへ捕まえて連れてきたのがデニス・ボーヴェル、イギリスの素晴らしいダブ・プロデューサーだった。そして彼が、どうやったのかはわからないが俺たちのヴィジョンを磨き上げてくれたんだ。何やらこう…一筋縄じゃいかないカオスのひとつの形態…完全なるカオスが完成をみたわけだ。カオスの魔法だな、いわば。で、今回のニュー・アルバムに取り掛かるにあたって、ビックリするような新しいリズムにめちゃくちゃ入れ込んでいた俺は…、なんて言うんだろうなあ、今はこういうのをまとめてダンス・ミュージックと呼んでしまうようだが、イギリスでいうところのトラップとか、クンビアってやつとか、ポスト・グライム系のやつとか、そういうのから聞こえてくるサブ・ベース・ノイズがやたら気になってたんだよ。グリッチっぽかったりフューチャリスティックだったりするリズムのプログラミング。ああいうベース・ミュージックとリズムをわかってくれるとしたら誰だろう。その道の一番のスペシャリストは誰だろう、とね? 考えたときにすぐ思い浮かんだのがデニスだった。一方、もうちょっとヒップホップっぽい、もっと思い切りリズムの方に振り切っているトラックに関しては、たまたまハンク・ショックリーが俺たちがアメリカでやったコンサートに来てくれた時に相談してみたら、彼もノリ気になってきてね。あの2人に揃って参加してもらえたのはもう、クック船長が2人がかりでスターシップエンタープライズを操縦しているようなもんさ。

◎それぞれが適任だったんですね。

そうさ。俺は映画監督みたいなものだ。自分の考えていることを記録しようと思ったら、その道のスペシャリストで誰が最も適任か、と考えてみる。こういうベース・サウンド、こういうドラム・サウンド…と、まあ、サウンドデザインてやつだな。こういう雰囲気、とかさ。ETを作りたいならスティーヴン・スピルバーグに、実験的なことをやりたいならタルコフスキーかアンディ・ウォーホルに。それぞれの仕事に最も適した人物というのはいるものだ。壁を塗りたいのに水道屋を呼んだってしょうがないだろう。シュールレアリストなら別だが(笑)

◎デニス・ボーヴェルとは、37年前に1stアルバムをプロデュースしてもらって以来、ずっと連絡を取り合ってはいたんですか。

そうさ。結構ビックリだよな。バンドやってて一番いいことは何かといったら、人間関係だと俺は思うね。世界中を旅して、いろんな人と話をするわけだが、これが単独の旅だったら俺なんか、タイのバス停だろうが何だろうが、どこでも誰とでも話はするが、いちいち気に障ることを言って嫌われるのがオチだろう。そこいくとバンドは、これは船乗りとミュージシャンの共通点だと俺は思ってるんだが、仲間意識ってやつが働くんだよ。それがあるから、場合によっちゃ普通じゃかなわないような深い深い絆が生まれたりする。いつもってワケじゃないよ。でも、一度そういう絆が結ばれた相手とは、巡り巡ってまたいつかどこかで会ったときに、また一緒に笑える。うちのバンドはそもそも笑いが絶えない。俺とデニスの笑いのツボはモノマネ。デニスはニック・ケイヴなみにディープな低音で笑わせる。あとは、くすぐること。俺とデニスはしょっちゅうコチョコチョやって笑い転げてるんだが、そういやニック・ケイヴも…俺はニック・ケイヴに会うと必ずくすぐってやるんだぜ。みんな、アイツのことを深刻でとっつきにくい男だと思ってるようだが、そんなファザードの向こう…鏡の裏側では、ジョークやら笑いやらが飛び交っているんだよ。

◎ニック・ケイヴのモノマネ、聞いてみたいですね…

笑。デニスは最高だよ。まあ、そんなわけで俺はデニスが大好きなんだが、あんまり仲良くなりすぎて、学校の友達じゃないが仲間外れにするわけにいかなくなってるのが問題だな。コンサートをやるといえば必ず来るし、世界中のどこへ行ってもアイツが現れる。「そこまで気を許したつもりはないぜ、いい加減、消えろってんだ!」って感じだが、消えろと言われてもどこへ消えりゃいいんだよってのが学校の友達なわけで…、今となってはそういう友達が増えすぎたな、俺も。そんなこんなで、新しいライヴショウはめちゃくちゃダブな感じになりそうなんだ。10月下旬からリハーサルに入るんだが、今からワクワクしてる。こんな言い方は宣伝っぽいのはわかってるが、俺にとっては今がまったく新しい始まり、新しいバンドって感じで、今まさに子供のころの俺たちがやりたかったことを実現できているという実感があるんだ。もちろん、今だからこその新しいサウンドを音のパレットに加えてはいるが、今こうして自分たちの独立性を自力でコントロールしているさまは、プレッジなんかも含めてコンセプト的にいかにもポストパンクというかDIY というか、制作の方法を自分たちで管理して、どこかの巨大レコード会社に検閲されることなくやれている、という意味でね。ジョー・ストラマーが主張していた コンプリート・コントロール(註:THE CLASHの曲名でもある)というやつを俺たちは手にしたんだ。アートワークに使う紙の質に至るまで。これは俺にとって…ちょっとした活動家でもある俺にとって、ものすごく重要なことだ。そういう意味でも俺はエキサイトしているし満足している。俺にとってはクールな展開だ。

◎ハンク・ショックリーについても教えてもらえますか。彼と仕事するのはこれが初めてですか?

そうだ。ハンクについては…、俺はヒップホップってやつを出始めの頃から聴いていたんだ。THE POP GROUPがニューヨークに行った1979年頃、俺たちとGANG OF FOURはニューヨークですごくヒップで、当時はノー・ウェーブの時代だった。クールなクラブをどんどん回ったよ。Hurrah、Danceteria、Mudd Clubなどなど。ノー・ウェーブの盛り上がりで、ジェイムス・チャンス、ブッシュ・テトラス、マーズ、DNA…最高の時代だった。キース・へリングもいたし。最高だったよ。そこに俺も何度も行っていたんだ。18~19歳の頃にね。たまたまTHE POP GROUPのローディのひとりが…ブリストルで友達だったヤツでもう死んじゃったけど…そいつがいつも古いゲットー・ブラスターをいじってて。ゲットー・ブラスターってのは、ダブルカセットのでっかいラジカセのことだけど、それでラジオ局をあちこちエアチェックしてたんだ。そいつは世界のどこへ行っても地元のラジオで妙な音楽を見つけ出して聴いていた。で、その時、そいつがチャンネルを変えたら突然、杭打機が炸裂するかのようなクレイジーなドラムマシーンの音が聞こえてきた。俺は「そのチャンネル、そのままにしとけ!」と叫んだよ。いいか? それがヒップホップの走りのひとつされている、ニューヨークのWBLSってラジオ局の番組だった。俺たちは水曜と木曜の夜には、必ずその番組を録音した。あれが俺が聴いた最初のヒップホップだった。その前にもラップはひとつ聴いたことがあって、確かSpoonie Geeか誰かだったと思うが、いずれにしても今、ヒップホップとして認知されてるものの始まりがそこにあったんだ。俺は圧倒されたよ。そもそもノイズが好きでミュージック・コンクリートなんかを聴いていた俺だが、時代はサンプラー以前だから今の連中がノイズと聴いて思い浮かべるような音とは違うだろうが。まあ、それは置いといて、俺は自分のソロではヒップホップ系のアーティストとも仕事をしたり、という経緯があって、ハンクがLLクールJとPUBLIC ENEMYと組んでやったやつを聴いた時、俺は思ったんだよ。「わぉ、そういうジャンルなら俺、もっといいの作れるぞ」って。ハンクは、いわばフィル・スペクターだ。フィル・スペクターがサウンドで壁を造り上げたところを、ハンクは雑音だの電波音だのに新たなサウンドを探し求めている。俺に言わせれば、最初のPUBLIC ENEMYの作品はパンクだった。パンク並みに興奮した。しかも世界中にインパクトを与えたんだから素晴らしい。政治性やら何やらも含めて、ね。だから俺はずっとハンクを尊敬してたんだ。そうこうしてたら、こっちのジャーナリストがVICEって雑誌に去年書いた記事に、俺がノイズホップってやつを発明したって出てたんだ。つまりはノイズ&ヒップホップってことだけど、そこにハンク・ショックリーの名前も出てきたし、他にもクールな連中の名前がたくさん連なっていた。つい先週出来上がったリミックスをやってくれたアメリカの Hanzっていう黒人の男とか、どこかアジアの出身だったと思うけどGoth-Tradとか、そういう新種のノイズ、グライム・ノイズ、トラップ・ノイズ…そういう、ノイズをダンス・ミュージックに使ってる人たちの名前がね。あの記事で、ハンクの名前がまた浮上してたんだよ。ただ、2年前に俺たちがSXSWでプレイした時、俺の友達でGANG OF FOURでベースを弾いてるデイヴ・アレンが電話してきて「ギグに行っていいか」と言うから「いいよ」と答えたら、「一緒にハンク・ショックリーを連れてっていいかな」と。心臓マヒ直前だったよ。本当に好きで重要な人たちを前にしたら俺は、それがアーティストでもミュージシャンでも映画制作者でも、何て言うの? もうブライアン・フェリーを前にした14歳の子供みたいになっちまう。オムツ履かないと。

◎ははは(笑)

で、彼はやって来た。俺、これで結構シャイなんで、実は。そしたら、彼の方からステージに上がってきて、俺たちをハグして飛び回って…。まあ、それくらい気に入ってくれたってことなんだよ。かくして俺は新たな軍隊っぽいトラックのリズムに取り組むことになったんだ。俺がまずハンクにやってもらいたかったのは「ウォー・インク」って曲で、内容は戦争に使われるマシーンの裏側について。つまりは大企業が、ドルだか円だかポンドだか知らないがしこたま儲けているという現実だ。そういう連中がポケットに片手を突っ込んだまま、戦争に行けと焚きつける。しかし、得てして人が考えているような…兵士が信じているような目的のためではなく、資源だの何だの、そういうもののための戦争だったりするワケで。そういうトラックをハンクのサウンドで作ったらスゴイぞ!と思った。さっきも言ったように俺は映画監督のような立場からスペシャリストを選び出す。彼は俺と同じでSFや未来学に入れ込んでるんで、それこそもってこいだった。最高の男だよ。最高のエネルギーだ。光栄だった。

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