川瀬拓郎のメロディック道場 reloaded vol2

takurock

ジャッス、ティース!

サンシャイン池崎ではありませんが…。マイケル・サンデルの『これからの正義の話をしよう』を今さらながら読了したので、心の中で叫んでみた。

さて、どうも最近のFacebookは、いわゆる意識高い系と揶揄されてしまうような投稿や、ポリティカル・コレクトネス大好き人間のアピールばかりが目立つようになり、なんだか窮屈な感じになってしまった。楽しいプライベートな出来事を挙げれば「リア充アピールの寒いヤツだ」とか、社会事象について意見すれば「ネトサヨだ・ネトウヨだ」とか、陰で言われているそうだ。自分で投稿しないけど、他人の投稿はちゃんとチェックしているという人が多く、彼らはかなり冷ややかな目で見ているのだと、仕事仲間との会話で耳にした。

そしてまた、話は飛ぶ。

先日のNHKクロ現では、シリアで化学兵器が使用され、なんの罪のない子供たちが口から泡を吹いて死にゆく映像を見せつけられた。本当に胸が締め付けられ、見ているのが辛かった。自分の娘と同じくらいの年齢の子供たちが、なぜあんな残忍な方法で殺されなければいけないのか…。そして、アメリカのシリア軍事基地へのミサイル空爆と、それによってもたらされる新たな破壊と殺戮。この世界に、正義など存在したことがあるのか? あるとしたらどんな正義なのか? 誰にとってどんな正義がなされるべきなのだろうか?

またもやFacebookにこうした悲惨な現状に対して、人道主義への挑戦だ、残虐非道でけしからん!とアップしているリベラルがいる。全くもってその通りである。でも、そんな投稿をして誰かに褒められたいのだろうか? 時代の目撃者として、悪に一矢を報いた気分なのだろうか? と僕は思ってしまう。今日もまたポリティカル・コレクトネスに心酔したSNS大好きおじさん・おばさんが、君の代わりに心地良い正論を吐いてくれることだろう。

むしろ、シリアで何の罪もない子供たちが毒ガスや空爆で殺されても仕方がないのかも知れない。今日もこの地球上に正義はなされなかったのだから。ヨーロッパで小規模なテロが散発しているけれど、そんなことは無視していこう。無宗教で無責任で、周囲の空気に流されっぱなしの我々日本人はそうすればいい。いつしか北朝鮮からミサイルが飛んできて、知らないうちに死んでいるだけのことかも知れない。

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