LIVEAGE的視点で考えるNu-Metal対談 -前編-

いつもLIVEAGEをご覧いただいている皆様。LIVEAGEのコンセプトって、覚えてますでしょうか?「日本国内&海外のEmo/IndieRock/Punk/HardCore/Metal文化を中心に扱う音楽サイト」です。でもそのなかで、これまでほとんど扱うことがなかったものがいくつかあります。そのうちのひとつが「Nu-Metal/ニューメタル」です。
90年代中盤、グランジ/オルタナティヴ・ロックの次なる新しいジャンルとして勃興したものの、メタルでも、ハードコアでも、ヒップホップでも、ましてエモでもなく、どのカルチャーの仲間にもちゃんと入れてもらえないまま萎んでいった、わかるようでわからない存在。とにかく全盛期から凋落への落差が激しすぎるんですよね、ニューメタルって。しかしKORNをはじめとするトップバンドを多数輩出したジャンルでもあるし、現在30代中盤~40代前半くらいの音楽好きであれば、大なり小なりニューメタルを聴いて育ったはず。時代がめぐったのか、今ではメタルコア・シーンでも「ニューメタル・コア」という新しいんだか古いんだかわからないスタイルのバンドも、活躍し始めています。
というわけで、昨年のDEFTONESに続き、今回はそんなニューメタルを様々な視点から考察する対談を実施です。登壇者は以下の4人。意外とありそうでなかった内容になったと思います。

Masayoshi Onodera:プログレッシヴ・メタルコアバンド、Arise in Stabilityのギターと作曲担当。2020年、9年ぶりのフルアルバム『犀礼/Dose Again』をリリースした。
Kyohei:arbusおよびcatrinaのヴォーカル担当。GLASSJAWのダリル・パルンボ(vo)とスニーカーをこよなく愛する男。昨年のDEFTONES対談にも参加。
Fujita:同じくarbusのギター担当。ほかインストバンドLUODAでも活動。Twitterで生み出したハッシュタグ「#Numetalあるある」が話題を集めた。
MOCHI:なんだかんだ音楽の入り口だったニューメタルが魂の居場所な気がするLIVEAGE編集長。

MOCHI「ニューメタルという言葉、いまでこそ普通に使っていますけど、正直なんかふわっとしていますよね。そもそもジャンルとして出てきたとき、日本では“メタル”っていう言葉は使っていなかったですし」

Kyohei「ミクスチャーとかラウドロックっていうのが多かった気がする。ラップメタルとかもごっちゃになっていましたよね」

Fujita「モダンヘヴィネスとかもありましたよね。オルタナティヴ・ロックっていう大きな海から出てきたような感じのジャンルな気がしています」

Onodera「あったあった。モダンヘヴィネスって、今聞くとものすごく恥ずかしいワードですよね(笑)」

MOCHI「日本でメタルといえば、やっぱりBurrn!じゃないですか。でもあの雑誌としては、ニューメタルをメタルとは認められないから扱わなかったし、逆に売り出すレーベル側も、古典的なメタルとの差別化をしたかったんじゃないかと思うんですよね。だから、あえてメタルっていう言葉を使うのを避けて、切り離していたのかなと」

Fujita「たしかに、92年頃から日本と世界でシーンの流れがかなり変わっていっていたように見えますもんね。ガラパゴス化していたし。たぶん96、7年ころのBurrn!って選り好みがものすごく激しくて、SILENT FORCEとかROYAL HUNTとか、日本以外では誰も聴いていない音楽ばかり載っていたと思います。僕、速弾きがめっちゃ好きだったんですけど、YOUNG GUITARやBurrn!を見たらそういうバンドばっかりで、でもMTVを見たらラップしている激しいバンドが流れている。世界は不思議だなって思っていました(笑)」

Onodera「この対談にあたっていろいろ聴き返していたんですけど、LIMP BIZKITって1stの『THREE DOLLAR BILL YALL$』(97年)は音質がかなり悪いのに、次の『SIGNIFICANT OTHER』(99年)からいきなり金のかかった音になりましたよね。このあたりから、レコード会社が露骨にニューメタルに金を投入するようになったというか」

MOCHI「1stはKORNになりたい感がすごいですよね。それでいてその次を模索しているというか、まだまだこれからという感じがします」

Onodera「LIMPももともとはKORNのメンバーにデモテープを渡して、見出された経緯がありますしね。でも改めて聴くと、フレッド・ダースト(vo)だけ、ほかのバンドよりもラップのスキルが飛びぬけているんですよ。音の隙間をぬっていくというか、ちょっと後ろで入って、声が映えるタイミングが考え抜かれていて。やっぱりあのバンドって、DJリーサルは元HOUSE OF PAINっていうこともあって、ヒップホップのカルチャーをちゃんと受け継いでいるように思います」

Fujita「LIMPがKORNになりきれなかったのって、1stからあったパーティー感なのかなと思うんですね。KORNも初期こそ暗かったけど、『FOLLOW THE LEADER』(98年)あたりからパーティー感を出してきたので、結局こいつらもLAメタルが好きなんやなって感じでしたけど(笑)」

Kyohei「でも『FOLLOW THE LEADER』の翌年に『ISSUES』を出しているから、マジで快進撃みたいでヤバいんですよね。 “Make Me Bad”でADIDASのタイアップがついてより有名になったし。ここで日本はともかく、世界的には完全にメインストリームにいった感じがします」

MOCHI「KORNが『FOLLOW THE LEADER』で天下を取ったと思ったら、翌年にLIMPが2ndで天下を取っているんですよね。で、98年にSYSTEM OF A DOWNが、99年にSLIPKNOTが、2000年にLINKIN PARKが出てくる。この時期の勢いがすごくて、ジャンルとして全盛期だったと思います」

Kyohei「この時期にRAGE AGAINS THE MACHINEの『THE BATTLE OF LOS ANGELES』(99年)も出ていますしね。これで余計に盛り上がっていた印象がある」

Onodera「僕がこの4人のなかでは4、5年上(81年生)だと思うんですけど、当時の空気感としては95、6年くらいのビルボード・チャートでは1位~3位にMARILYN MANSONやKORN、TOOLが入ってくるみたいな感じになっていたんですよね。その頃って今よりも日本と海外で情報が届くのにタイムラグがあったから、1年後くらいに “海外では今、こういう激しい音楽が流行っているらしい”っていうのが、音楽好きの間で広まっていったんです。高校の軽音部の先輩が“お前、RATMとかKORNって知っているか?”ってどや顔で後輩に聞く、みたいな。アメリカではもう爆発していたと思うんですけど、日本ではそういうコアな音楽ファンが、次に来るやばい音楽はこれだって認識していたような感じでした」

MOCHI「じゃあ、早耳の音楽ファンの間では話題になって、大きな波が来る前の下地みたいなものはできていたんですね」

Onodera「そのなかで、誰も聴いていないのがTOOLでした(笑)。あれは高校生にはわからないじゃないですか。だから僕の中でLINKIN PARKは、コアな音楽がだんだん盛り上がって産業化していくなかで、早い段階で完成形をもってきたなっていう印象があります」

MOCHI「ぶっちゃけ、LINKIN PARKって質は抜群に高いけど、新しいことはひとつもやっていないですからね(笑)」

Kyohei「日本でLINKIN PARKだけ知名度がずば抜けていたんだなって思ったのが、2016年にチェスター(・ベニントン/vo)が亡くなったことを、いろんな新聞とかTVがニュースで取り扱っていたときですね。こんなに広く浸透していたんだなって、ビックリしました」

MOCHI「ニューメタル元年っていつですかね。教科書的な視点だと、94年にNIRVANAのカート・コバーン(vo,g)が亡くなって、KORNがデビューするっていうのを、時代が変わる瞬間とすることができますけど。その前(92年)にデビューしていたRATMはどちらかというと、RED HOT CHILI PEPPERSやFAITH NO MOREの流れという感じがするし」

Fujita「たしかに海外でも、94年のKORN、95年のSUGAR RAYの登場が始まりっていう見かたをしている人が多いみたいですね。というか、SUGAR RAYって名前を久しぶりに口にしました(笑)」

MOCHI「それとKORNの最初の歌詞が“Are you ready?”というのができすぎというか、時代に選ばれたような感じに見えるんですよね」

Fujita「たしかに、その認識ですね。その後はSEPULTURAが『ROOTS』(96年)でニューメタルに舵を切ったりしたし、影響力はものすごくありましたよね」

Onodera「この前アップルミュージックでI Miss Nu Metalっていうプレイリストを見つけたんですけど、いい意味でいいバンドだけじゃないのがわかるんですよね(笑)。もう消えてしまった量産型タイプのバンドも多いんですけど、その源流になっているバンドはやっぱりかっこいい。だからKORNから始まっているのかなって思います。1stなんか音も悪いし下手なんだけど、めちゃめちゃかっこいい。KORNの1stは、本当に時代を変えた1枚ですよね」

MOCHI「でも、ロックと異ジャンルが絡んでいく流れは、それこそ80年代からありましたよね。BEASTIE BOYSがハードコア・パンクからヒップホップに変わったり、BAD BRAINSがレゲエを取り入れたり。そういう流れを経て、ANTHRAXとPUBLIC ENEMYが“Bring The Noise”で共演したのが91年。並行してPANTERAやHELMETが出てくる流れがあって、それが集約されたのがRATMやKORNなのかなと思います」

Onodera「個人的にはニューメタルを語るうえで外せない要素って、トラウマだと思うんですよね。KORNといえばジョナサン・デイヴィス(vo)は幼少期に虐待されていたトラウマを、1stでは歌詞含めて全面に押し出していますよね。それで何が起こったかというと、MACHINE HEAD (ここで全員少し笑う)のロブ・フリン(vo,g)が、3枚目『THE BURNING RED』(99年)をリリースしたあたりで、突然インタビューでトラウマを語りだしたっていう(笑)。暗い過去やトラウマを持っていることがちょっとかっこいいくらいのインパクトを与えたんです。ニューメタルとそれ以前のクロスオーヴァーしていた音楽の最大の違いは、そこだと思うんですよ。RATMはものすごくポリティカルだったけど、KORN以降のバンドは自分のネガティブな経験をいかに重苦しい音楽に昇華するのかっていう、カタルシスへのこだわりがあったと思います」

Fujita「MACHINE HEAD、その後メタルに戻ってきているのも節操がなくて最高ですよね。天井からぶら下がっていたくせに(笑)。でも僕も、トラウマが大きな要素っていうのは納得できますね。ただその一方でKID ROCKみたいな、そういうトラウマとは無縁な根アカなニューメタルがいるのも面白いところで。というか。だから最初はトラウマのあるくらいバンドから始まって、拡散していったんでしょうね。AILEN ANT FARMみたいなバンドも出てくるし(笑)」

MOCHI「そういえばRATMのザック・デ・ラ・ロッチャ(vo)って、元々はINSIDE OUTで活動していた、バリバリのハードコア・パンク出身じゃないですか。ザックはその後RATMに進みますけど、INSIDE OUTのドラマー(アレックス・バレット)が、一時期AILEN ANT FARMでも叩いていたんですよ。だから、思っていたよりもハードコアとニューメタルは地続きなんだなっていう気がしますね」

Onodera「これって僕だけなのかもしれないですけど、SLIPKNOTをニューメタルに含むことにちょっと違和感があるんですよね。ほかの人はどう思っているのか知りたくて」

Fujita「僕も同じ感覚がありますね。『SLIPKNOT』(99年)を初めて聴いたとき、まず音圧がすごいなと感じつつ、リフはデスメタルやブラックメタルの質感を踏襲しているから、ほかのバンドとはなんか違うなと思っていました。SLIPKNOTをニューメタルというのは、違和感がありますよね」

MOCHI「KORNと同じロス・ロビンソンのプロデュースで、当時勢いがあったRoadrunnerからデビューするっていう、90年代のニューメタルらしい登場の仕方ではありましたよね。しかもDJやサンプラー担当もいる大所帯で、グルーヴ推しのスタイルだったから、ニューメタルとして押し出したほうが売りやすかったのかなって感じはします」

Kyohei「コリィ・テイラー(vo)がずっと叫んでいるけど、めちゃめちゃ早口なんですよね。そういうスタイルがラップみたいに聴こえるのもあったのかな。あれだけコアな音楽をやっているのに、あれだけポップに仕上げているのはすごいと思います。それも狙いでマスクしていたのかもしれないし」

MOCHI「ニューメタルの波に乗ってはいたけど、『IOWA』(2001年)でブラストビートまでぶち込んできたっていうのは、やっぱり本人たちも“俺たちはニューメタルとは違うんだ”っていう意識が強かったんだと思います」

Onodera「最初にSLIPKNOTが出てきたとき、ロス・ロビンソンが“俺はクソみたいなアディダス・メタルをぶっ潰すためにこいつらを連れてきたんだ!”って言っていたんですね。このアディダス・メタルってつまりKORNのことなんですけど、自分でプロデュースしておいてムチャクチャ言うやつだなと思って(笑)。でもたしかに売れる要素はあるけど、あれだけものものしい雰囲気で、硬派ぶりたい十代の心を完全にくすぐりましたよね(笑)。だからSLIPKNOTってニューメタルに対するカウンターカルチャーみたいなイメージがあったんですけど、何年かしたらKORNとツアーしているから、結局プロレスだったんだなって(笑)」

Fujita「日本ではニューメタルってどうだったんですかね。今でこそ、メタルコアのシーンはある程度根付いたなって感じはしますけど」

Onodera「日本だと、昔『NEXT TRIBE』(2003年)っていうコンピレーションがあったんですけど、そこに入っていたWHEEL OF DOOMやDEMIGOD、JABBER WOCKといったバンドたちが、日本のニューメタルっていう印象でした。PEACE MAKERに縁の深いバンドはニューメタルが多いってイメージがありました」

MOCHI「そこに加えて宇頭巻(現UZMK)とか、海外進出も果たしたTHE MAD CAPSULE MARKETSなんかが近いですね」

Kyohei「あとBACK DROP BOMBもそうだと思います」

Onodera「ニューメタルと呼ぶかは微妙かもしれませんが、7弦ギターやラップ・ヴォーカルという要素をいち早く取り入れていたという点で、神奈川県民としては山嵐は名前を挙げておきたいですね。当時の横浜F.A.Dにはミクスチャーの要素を持ったハードコアバンドがたくさん出ていて、その周りのシーンは盛り上がっていたと記憶しています」

MOCHI「もともとはスラッシュメタル以降のどんどん激しくなっていくハードコアやメタルをやっていたけど、だんだんSEPULTURAとかの影響を受けながら、ニューメタルに近い音に変化していったような感じがありますね」

Fujita「そのあたりとはまたちょっと違う流れで出てきたのが、GUN DOGですよね」

Onodera「とはいえGUN DOGも、もともとは横浜のローカルなシーンでやっていたバンドだったよね」

MOCHI「でもそれまでのバンドとは違って、LINKIN PARKに影響を受けたメロディアスさで、メジャーにいったGUN DOGの存在は大きかったと思います。そこからPay money To my Painに発展して、その流れで今はcoldrainやSiMがニューメタル的な要素のあるスタイルを引っ張っているような感じなのかな」

…この後も語りたいことがあふれかえったので、前編はここまで。後編ではニューメタルの特徴と凋落、そして現在について考察します!

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