MIRRORキモトのいつだって生涯原液 ~ コイめ・オオめ・カタさはフツーで ~ vol4

kimoto_mirror

初めての会社はこじんまりした会社。皆年上の営業マンが4人と支店長・次長・課長の所にコゾーの俺。あとは設計と事務員女性三人。
俺に求められたのは即戦力。なので、入社1ヶ月チョイでひとりで営業行かされていた。営業マナーだとか研修教育てのはほとんど無くて、白紙の紙に上司が、施主・建築設計家・ゼネコン・サブコン・メーカーの関係性を手書きで書いてくれたのが唯一の座学。あとは先輩に付いて回って、見て覚える系。料理人か。
アポ取りの電話かけ狂って、ソレしつつ飛び込み営業しまくる。
上司からは「オマエは新人で売上数字持ってないんだから、営業車なんて使うなよ、あと、電車代だってかかるんだからさぁ、数字になるアポ以外はあんまり金使うなよ、営業てのは売上げてりゃ会社にだって来なくていいんだからな、数字がモノ言うからな」と言われて、数字のない俺は都内をママチャリで駆け巡り、飛び込み営業してたアノ日々。時には、納入先の現場でレンガ積みの職人が足りないからオマエ行って手伝ってきて、あ、今週の日曜で現場は群馬ね、よろしく、ということもあった。で、本当に現場行ってモルタルこねて親方に使われて、オマエ手元でどう?とか言われたり。スカウト?

まぁ、数字がモノ言う世界では圧倒的弱者。

それでも一生懸命やってたワケで、自分で営業かけたところから気に入られたりもしたり。で、いざ俺が見積もり作って、まとめようとすると、上司から「最後にまとめるのは俺がやる」と出てきて、俺の売上げをゴッソリ持っていかれたり。逆に、自分の抱えてる数字的には小さいけど面倒な現場は俺に回してきたり、雑用・小間使い的に扱われたり。毎週月曜の会議ではツメられたり。

大人って汚い

そう思い始める。

ある日、上司に「俺のこと、どうしたら認めてくれるんですか?」と尋ねた。今思うとなかなかのクソ生意気なコゾー。ソフトに噛み付く俺に「建築士のセンセイとこで、設計図面の仕様書に、ウチの商品名と会社名と担当者名でオマエの名前を全部指定で入れてもらえたら認めてやる。俺は、まぁ、ソレやるのに三年はかかったから、まぁ、無理だろうけど頑張って」
と。
俄然メラメラと火がついて、ある取引先と話がまとまりそうな案件があったので、ソコの建築士さんに、「指定で名前入れてもらえないですか!?お願いします!」と頭ガッツリ下げたら「いいよ、別に」と。そして、商品名・会社名・担当者名として俺の名前が入った仕様書・図面のコピーを貰って意気揚々と帰社。あの時の高揚感。
上司に「コレ、見てくださいよ」と言い、コピーを見せたときの、驚きの表情で「…本当かよ…」と言っていたアレ、今でも忘れない。そして、支店長にその上司は「支店長~、コイツやりましたよコレ、見てくださいよ、指定取ってきましたよ」と報告、支店長も驚いてオマエやったなぁ~大したモンだなぁ~なんて言ってくれたんだけど、そのあと、上司は「いやぁ、オマエはやっぱり違うと思ってたんだよ」なんてコメント。

なんだ、コレ感。

俺は、何でこんなことやってんだろ?1日の半分位の時間を使って何やってんだろ?俺は何に向かって日々働いてるんだろ?何でココで働かないといけないんダロ?と感じた記憶。

バンドの練習とかライブ活動とかもっとやりたい、だけど、俺の就職の影響でその活動には少なからず制限もかかっていたワケで、そもそも、俺ってもっとバンドをガッツリやりたいんじゃなかったの?メシ食ってくとかじゃなくて、もっと今しかない時間を注ぎ込みたかったんじゃないの?と。そもそも、俺はやりたい仕事なんて無かった、もとい、仕事がイヤなんじゃなかったっけか?と。
もっと簡単に言えば、バンドやりながらカノジョとの同棲生活の日々が楽しめれば、俺はソレで充分ハッピーなんだが、と。
モヤモヤ。
そんなモヤモヤ抱えながら、営業の先輩に愚痴ってたら「あのさぁ、オマエやりたいことあって、ソレ今しか出来ないことなんだったらさぁ、やればいいじゃん、つーか、オマエの給料なんて大体20万無い位だろ?20万稼ぐのってこの仕事や正社員じゃなくても出来るでしょ。バイトでも稼げるだろ。で、バンドもやりたい、サラリーマンやって金ももらいたいてのは、ちょっとソレってどっちにも中途半端だしズイブンと都合のいい話じゃない?だったら、バンドやりながら20万稼げる方法探すのが今のお前にとってはベストなんじゃないの」と言われて何かが吹っ切れて、その数日後には上司に「俺、今はバンドを一生懸命やりたいんで辞めます」と言っていた。思い立ったが吉日的。
上司は、思いの外、残念がってた。意外と評価してくれていたことと、しょうがないけどバンド頑張れと言ってくれたのが嬉しかった記憶。

愛するカノジョのために就いた初めての仕事は1年にも満たないうちにアッサリと辞めてしまったし、辞めると言う相談を一切せずに、辞めると会社に告げたことを事後報告。本当に身勝手クンクンくん。

そのあとはバイトしながらのバンド生活を送る。

1度は就いた仕事を簡単に辞めて、バイトしながらバンドをやるという身分でお付き合いさせて頂く上で、カノジョと約束したことは
・同棲している部屋の家賃や生活費はシッカリ折半しキッチリ払います
・26,7才になったらちゃんとした仕事に就くからそれまではバンド優先のためにバイトします

だった記憶。あとは、バイトでも手取で20万以上絶対稼ぐと決めていたなぁ。

そんなこんなで、バンド活動に集中して、ツアー回ったり、音源出させてもらったり、それでも全く有名にはなれず鳴かず飛ばずだったけど、その時があったからあのままサラリーマンやってたら出来なかった色々な経験も出来たし、出会いもあったし、バンドとしても人間としても今の土台にもなったとても大事な期間だったなぁと思える。

そうこうしてたら27才。約束の時。

1 2 3