「この世界の片隅に」を観て、なぜ、こんなにも涙がこぼれるのか。

この世界の片隅に

話はかわるが、うちには「光線」という謎の機器があり、怪我をしたりするとすぐ、その「光線」を母が照らしてくれた。この「光線」というのは正式名称は「黒田光線」という。

光線

黒田光線

原爆で負傷した患者の皮膚などを治癒するために活躍した器具である
http://kuroda-kousen.com/about.html
2つのカーボン(4桁の番号が振ってある)の組み合わせであらゆる病気に効くというのである。
眉唾ものであるが、大学病院などでも使われてたりする。これは被爆した広島ならではの器具である。
簡単に説明すると、カーボンをクロスさせて電気で発光させる、そうすると太陽光に似た光線がでるというのである。それによって、治癒を早めるのである。
JOJOの奇妙な冒険でいう波紋(オーバードライブ系)に効果は似ている(汗)
いまだに実家や姉の家では大活躍である。
うちの母は私を産んだ時に股関節が悪くなり、大学病院でこの光線と出会い、それから愛好者となった。
15万円くらいであるが、なかなか興味深い器具である。

その後、中学校受験(なんと附属なのに附属小学校の半数が附属中学校に入れないのだ)でパワーを使い果たした私は、中学、高校とまったく勉強しなかった。
そして、一浪してなんとか法政大学に入り、さらに左の流れに巻き込まれていくのであった。。。
入学初日にヘルメット被った活動家がその辺に沢山いたり。立て看板には「沖縄、絶対奪還!」など書いてあったり。。
新歓祭ではいきなりENVYが演奏していた、学祭ではSWIPE(There is…の前身バンド)がでたり、灰野敬二さんが普通に演奏していたり。。。

しかしそういった中で「三島由紀夫」文学と出会い、本当の右翼、左翼というものについてよく考えるようになり、現在に至っている。
三島由紀夫

上記のような事がこの映画を観たあと、だんだんと頭のなかに数珠つなぎに思い出されてきた。
海田市という世界の片隅でしょぼいながらもなんとか、大きなランドセルを背負い、自分の居場所をつくり生きてきた自分がみえた。

涙が流れるのは戦争の悲惨さというよりも、世界の片隅で懸命にいきる「すずちゃん」
誰もが世界の片隅で「すずちゃん」のように生きてきたはずだからだ。

志半ばで死んでいった、同じ学校の生徒の彼ら、彼女らにも「この世界の片隅に」の「すずちゃん」とおなじ青春があったはずだ。

日本に住む、誰の心の中にでも広島長崎というものは存在しているとおもう。自分がどういったスタンスの人間であれ、忘れてはいけない事だ。

現在の広島は原爆当時の焼け野原から一転、一から街が構築、整理され、非常に綺麗な街になっている。行ったことの無い方は、一度、旅行におすすめしたい。(注意:広島のヤンキーは怖いです)

あと、とにかく「のん=能年玲奈」の演技が素晴らしい作品であった!

ああ、また、完璧に自分語りになってしまった(汗)

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