「この世界の片隅に」を観て、なぜ、こんなにも涙がこぼれるのか。

この世界の片隅に

私の通っていた小学校には「平和教育」という活動が時々あり、原爆ドーム、原爆資料館にはよく行った。
小学生の修学旅行も長崎の原爆資料館を尋ねるという徹底ぶりであった。
長崎の平和祈念像はちょっと筋肉質すぎて、当時、「北斗の拳」や「男塾」に夢中な小学生に人気であった。

長崎の平和の像

平和祈念像

そんな平和教育であったが、「アメリカを憎む」という教育は一切されておらず、「戦争を憎む」ように育てられた。
当時の広島は日教組の力が強く、広島大学の附属の学校であっても先生はみな左よりだった気がする。

もちろん、はだしのゲンは小学生の必読書であった。
はだしのゲンは漫画であったが、日本中の小学校の図書館で読める。
はだしのゲン
ただ、注意してもらいたいのが、はだしのゲンは少年漫画ではじまっているが、
後期はプロパガンダ漫画となっている。小学生には初期のみを読ませるべきだと私は考えている。後期は左の色が強すぎるので、もう少し大きくなって自分で政治的な事が判断できるようになってからが良いと思う。
ちなみに掲載されていた媒体であるが、どんどん左によっていき、内容も天皇批判から共産党バンザイの世界になっていく。

1973年 – 1974年 – 週刊少年ジャンプ (少年マンガ雑誌)
1975年 – 1976年 – 市民(左派系オピニオン雑誌)
1977年 – 1980年 – 文化評論(日本共産党機関誌)
1982年 – 1985年 – 教育評論(日教組機関紙)

その「はだしのゲン」の映画(いくつかあるが、アニメだった気がする)にも広島大学附属小学校の学生が声で出演しており、その映画を講堂でみんなで観たのを覚えている。私も声で参加したかっなぁと悔しく思ったものだ。

その被爆した登録有形文化財の講堂であるが、私はそこで、高校生の時にヘヴィメタルを演奏した。
体育祭の前夜祭で全校生徒(約400名)を前に、METALLICA、MEGADETH、 GUNS’N’ROSES、Mr.BIGなどをかましてやったのである。
被爆した講堂はどう思ったであろうか。当時の敵国の音楽をギンギンに演奏してしまったのである。。。

広島の高校は体育祭や文化祭の打ち上げを元安川という原爆ドームの横の川のほとりでやる学校が多い。
他校から聞いた話ではあるが、夜中に騒いでいると、元安川から大量の人の顔の霊が浮かんで来たという証言もある。元安川には8月6日に多くの被災者が熱さの為、飛び込み、そのまま息絶えてしまった。まだ、川の底には救いきれていない人骨が眠っているという話もある。

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