<<序文>>
私は1996年に上京し、大学入学と同時に東京のアンダーグラウンドのパンク/ハードコア/EMO/D.I.Y.のシーンに夢中になった。今までの私の文章を読んでくださった人は「その時代を神格化しすぎじゃないか?」と思う人もいるだろう。
そう、一度しかない青春時代にどっぷりつかったこの文化。今でも色あせないで記憶に残っている。
1996年の前にはネオハードコアテイルの時代があってNUKEY PIKES, BEYONDS, GOD’S GUTSに夢中になった人もいる。その人達の話を聞くと、やはり彼らは伝説なのだ。
同じく2000年代も伝説はあっただろうし、2010年代の今も伝説は生まれているのであろう。
自分の一番多感な時期にシーンに入っていくと新鮮で光り輝いた時代として記憶に刻まれる。1996年~2000年くらいまでのスタジオライブのシーンもドキュメンタリー映画化という話も聞いたりする。自分の中ではかけがいのない時代だ。
今回はそんな時代に存在したバンド札幌のNEXT STYLEの中心人物ヒグさんにインタビューすることができた。前編としてヒグさんの職業である美容師についてインタビューをアップしている。今回は前日の打ち上げで喋ったことを朝8時からもう一度話してもらった。
Interview by Yoshinobu Yada
Photo by Katsuki Mitsuhashi
LIVEAGE : NEXT STYLEが初めて音源だしたバンドですよね?NEXT STYLEは何年結成ですか?
ヒグさん : 93年かな。
LIVEAGE : じゃあ、bloodthirsty butchersやGOD’S GUTSは既にいましたね。
ヒグさん : そうだね。俺は菅野(BONE SCRATCH~THE CARNIVAL OF DARK-SPLIT)やPLUGのメンバーが同い年なんだけど、”北見”っていう札幌から離れたところ出身なんだ。
網走刑務所のほう。オホーツク海のほうだね。北見でジャパコアで思いっきりやってたのさ。なまらモヒカンとかでジャパコアをやってたのさ。DEATH SIDEとか聴いて。
中3で”BLOODY SUMMER TOUR”観に行って。ベッシーホールまでの道に迷ってパンクのお兄さんに聞いたのさ。
「OUTOとか今日、やりますよね?」「え、君行くの?」みたいな?
でスケボー持っているお兄ちゃんに連れてってもらって。
高校辞めるまではそこにいたんだ。そこから旭川っていう道央の美容学校に行って。
それで高2で学校辞めて、ある日、菅野から「MINOR THREAT」のビデオが送られてきたんだ。すでに俺はYOUTH OF TODAYとかUNIFORM CHOICEとか聴いてたんだけど。
なぜか俺の彼女、当時アメカジで。けっこうお洒落な彼女で。アメリカのベースボールキャップかぶってて。
で、MINOR THREATのビデオを観たら、短パンでハゲでTシャツでこれ「アメカジじゃん!」ってなって。ブーツ履くのやめてバッシュ買ったさ。
その時、札幌では谷口くんがGOD’S GUTSやっているの知っていて。
で”YOUTH NEVER IN DESPAIR(札幌のUSコアを集めたコンピ)”のコンピがでていて。
旭川からSTORM OF MOSHを観に行って、MISFITSのTシャツ着てさ(笑)
eastern youthの吉野くんとか最前列でモッシュしてて。
みんなで「吉野くんのモッシュ、キレッキレだな!」とか言ってさ。
で、ちょっとして、札幌に引っ越して、SLANGのKOちゃんに来ましたって。
学選手(fOUL)とかもJOIN HANDSやってて。
「AGNOSTIC FRONTがどったらこったら」とかみんな言ってて。
自分もすぐバンド組んだ。”USE NO HOOKS”ってバンドやって。
その頃もう、谷口くん(SPITFIRE~GOD’S GUTS~現FUCKER)は東京行っちゃってて。
FORTHCOMING WINDって全員女の子のバンドもいて「EGG HUNTやばいよね? GRAY MATTER最高!」とかいってて。頭おかしいよね(笑)
藤山くんのFACE OF DEATHもやばかった。USE NO HOOKSが解散してNEXT STYLEに藤山くんを誘った。
肝になるのは、3つ上のFACE OF CHANGE世代かな。なまらかっこいいんだよ。
Revelationから直でTシャツ買ってたりして。
ボーカルがすでにギバちゃん(柳葉敏郎)みたなクリーンカットしていて、UNIFORM CHOICEのバンドT着てやってて。
GOD’S GUTSとかはすでに先にいってて、俺はよくわかんなくて。
ANBBとかBLACK FLAGみたいなバンドもいた。