ギャレット・クラン(Texas Is The Reason) 来日直前インタビュー!!

Garrett Klahn

Interview by Yoshinobu Yada and Fumiaki Tsurui
translation by Junko Hanzawa
All photo by Joe Leonard

LIVEAGEとSOONでギャレット・クラン(Texas Is The Reason) の日本ツアーの最終日・東京アンチノックをオーガナイズする。そこで、ギャレットにインタビューを試みることにした。質問はLIVEAGE矢田とSOONツルイ君で考え、翻訳とギャレットとのメールのやりとりは90年代のニューヨークでTexas Is The Reasonのメンバーと友人であったジュンコさん(HHH gallery)にお願いしたので非常にスムーズであった。
私の知る限り、日本の音楽媒体がTexas Is The Reasonのメンバーにインタビューできた事はほとんどないはずだ。Texas Is The Reasonは短命のバンドであったし。ギャレットの後のバンドのSoleaのインタビューはほとんどセルジー(Samiam)が答えていたし。非常に貴重なインタビューができたと自負している。ジュンコさん本当にありがとう!!それではファッキン GO!!!

はじめまして、LIVEAGEというPUNKメディアの編集長で、DIRTY SATELLITESというバンドのYoshiと、SOONというバンドのFumiaki=Tsurui(再結成したTEXAS IS THE RESONをアメリカに観に行っています)です。この二人が日本ツアー最終日の東京のオーガナイザーです。

まずはじめに日本に来ると決断してくれてありがとう!
また、このインタビューを受けてくれてありがとう!
今日は過去を振り返ったり、PUNK/EMO的な質問が多くなると思いますが、宜しくお願いします。

———————————————-
TEXAS IS THE REASONについて
———————————————-

ーーまず、Shelterと108のメンバーに誘われて、一緒にバンドをやろうと言われたときはどう思いましたか?しかもCopperではBassなのにVocal/Guitarとして誘われたましたよね?

ギャレット:自然な成り行きだったんだ。シーンを通じてお互い友達としてすでに知り合っていたから一緒にバンドをやるのも変じゃなかった。実は初期のTITR (Texas Is The Reason) では、僕はギターを弾いてないんだよ。ボーカルだけ。3ヶ月目からギターと一緒に歌い始めたんだ。

ーーバンド名はMisfitsの歌詞から、アルバム名はJohn Lennonの最後の言葉からですよね?
こういっったアイデアは誰が出していたんですか?

ギャレット:Norman(ギター)がバンド名としてどうかなとアイデアを思いついたんだ。その時の電話は今も覚えてるよ。最初はノリ気じゃなかったんだけど、他のメンバーに合わせたんだ。それからどこかで ”DYKWYA (Do you know who you are) がJohn Lennonが死ぬ直前の最後の言葉だったと読んだことがある。その他のすべてが自分たちに関連したことであるように、一番の繋がりはドラマだったということ。僕らは常に物事のドラマチックな側面に引き込まれ、それがバンド名やアルバムタイトルに反映されていたんだ。

ーーTEXAS IS THE REASONは当時の90’s emoの中でもオリジナリティの塊であり、誰もがこのサウンドに夢中になりました。個人的にはQuicksand, 初期Sunny Day Real Estate, GamefaceとイギリスのRideの影響を感じるんですが、実際にはメンバーはどんなバンドを参考にしていたんでしょうか?

ギャレット:ほとんどの時間をツアーに費やしていたから、移動のバンの中で過ごす時間は多く、つまり音楽を聴く時間も多かった。もちろん僕らも第二次のブリティッシュ・インヴェイジョンに夢中になったね。Oasis、Verve、Supergrass、Stone Roses、大好きだったし、今でも大好きだ。Dischord Recordsの音はどれも愛されてた。と、同時に僕はそのころTom PettyやThe Black Crowes、Neil Youngをよく聞いてたんだ。もしかしたら自分たちの素晴らしいラジオ局が持てるほどだったかもね。

ーー曲はどういった工程でつくられていましたか?歌詞を書いているのはGarrettなんでしょうか?

ギャレット:おそらく他のバンドとそう違わない方法で曲は作られていたと思うよ。誰かがリフ、ドラムパターンを思いついて、みんなで肉付けしながら近いところまで持っていく。で、家に持ち帰っていらない部分をそぎ落とし、メロディーを作って歌詞を書く。歌詞を書いたのは全部、僕だったけど、曲は4人全員で全部作ったんだ。

ーー当時、よく対バンしていたバンドや仲の良かったバンドを教えてください。

ギャレット:いいバンドと一緒にステージにあがれて本当に恵まれてたね。1997年の最後のツアーはThe Promise Ringと一緒に回った。Sense Fieldともよく一緒に演奏したね。最初のヨーロッパツアーはSamiamと。Gamefaceとは2度も一緒にUSツアーを回ったね。

ーー再結成は2006年、2012年〜2013年、今年の悲しいニュースでしたがJohn Bunch(SENSE FIELD)の追悼ライブでしていますよね。2006年は10周年、2012年はRevelation Recordsの25周年でした。2012年はRevelationのJordan Cooperから再結成の打診があったのですか?再結成の際に障害になるものはなかったのですか?

ギャレット:TITRというバンドの世界ではほとんどの事がそうだったように、再結成ライブは有機的に急に起こったんだ。2006年はちょうどアルバムをリリース10周年記念だったこともあってね。2012年のRevelationのショーは、ただのRevelationのショー。だからレーベルのファミリーである僕らはもともとプレイするつもりだった。Revelationのショーのあと、なんとなくDiscographyのために録っていた未発表の2曲を出すタイミングなんじゃないかと思ったんだ。2013年の再結成後の最後のツアーはかなり綿密に計画を練ったんだ。短い期間の中で可能な限りあちこちの場所を回ろうと。それから僕らの友人だったJohn Bunch (Sense Field) が亡くなった時はね、誰がなんと言おうと追悼ライブにでざるを得なかったよ。

texas is the reason

ーーWilliamsburgでのショウの1曲目は”Antique”でしたね(僕(ツルイ)は感動して泣きました)、
 最後は常に”Jack with one eye”ですがショウでの曲順は誰が決めていたのですか?

ギャレット:セットリストにはいつもかなりの力をいれていれてたんだ。なんせ僕らは14曲しかなかったからね!大抵はリハをやった時に良かった音のもので組むんだけど。でもこれだけは確実に言えるよ。ドラマーのChrisがすべてのセットリストを書いてた。最初のライブの時からずっとそうだった。

ツルイ

ツルイ(SOON) & TEXAS IS THE REASON at サンフランシスコ 2013年

ーー再結成ツアーで一緒に回ったバンドはどのようにして選んだのですか?

ギャレット:嬉しいことに、一緒で回ったバンドはすでに仲の良かったバンドだったり、大好きなバンドばかりだった。”ファミリー・ビジネス” に近い形をずっと取るようにしていたからね。

ーーJohn Bunch(Sense Field)の訃報には本当に驚きました、John Bunchとのエピソードがあれば教えてください。

ギャレット:もちろん皆ショックを受けたよ。本当に惜しい人を亡くしたと思うし、ベネフィットショー (追悼ライブ) は彼のそばでやりたかった。何年もの間、彼の存在はたくさんの人の生活に関わっていたし、彼の音楽と彼の声はいつまでも僕らの中に残ってるよ。

1 2 3