3.
先日、地元の図書館に行き時間を潰しているとマルクス・アウレーリウスの『自省録』という本が目に飛び込んできた。マルクス・アウレーリウスとは第16代ローマ皇帝だ。
なにせ「ローマ皇帝」の「自省」だ。仮に中身が白紙でも、深読みしてしまう代物だ。
僕は一時期、道に落ちているウンコを見るとご飯にのせて食べる事を想像してしまい、嗚咽するという癖がついてしまっていたので、それ以来「ウンコを見ても何も想像しない」という事が「自省」といえば自省になっている。
しかし、当たり前だが、皇帝の『自省録』の中を見ると、そういった事は書かれておらず、深淵な哲学が展開されていた。
彼によると「死」とは自然による万物の変化と解体であり恐れる必要がないという。
少し長いが引用しよう。
「(・・・)肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である。人生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却にすぎない。しからば我々を導きうるものはなんであろうか。一つ、ただ一つ、哲学である。(・・・)なににもまして死を安らかな心で待ち、これは各生物を構成する要素が解体するにすぎないものと見なすように保つことにある。もし個々のものが絶えず別のものに変化することが、これらの要素自体にとって少しも恐るべきことでないならば、なぜ我々が万物の変化と解体とを恐れようか。それは自然によることなのだ。自然によることには悪いことは一つもないのである。」
(『自省録』マルクス・アウレーリウス 神谷恵美子 訳 1982 岩波書店 カッコ内は引用者略)
「哲学」で「死」と「万物」「自然」ときた。何というか、メロディックパンクのサビに
おけるコーラスで「♪オーオーオー スリパーアウェイ レディオ♪」みたいな安定感ではないか。「スリパーウェイ レディオ」が何なのかよく分からないが、レディオで締めれば大体の事が解決するのは周知の事実だ。
どこでこの皇帝の一節を引用すればモテるか考えながら読み進めていると、「死」にまつわる話は、異様なテンションへと進んでいった。
「(・・・)ヒッポクラテースは多数の病人を癒してから、自分自身もわずらって死んだ。カルダイオイ人たちは大勢の人間の死を予言(予は予と右側が象)したが、そのうちに運命は彼らをもつかまえてしまった。皇帝アレクサンドロスや英雄ポンペーイウスや皇帝カーイウス・カエサル等はいくたびも都市全体を殲滅させ、幾万もの騎兵や歩兵をこなごなに切りまくったが、彼らもまたいつの日にか人生から去って行った。ヘーラクレイトスは宇宙の燃焼についてあれほど多くの研究をなしたが結局体の中に水が一杯たまり、牛の糞にまみれて死んだ。」
(前掲書、カッコ内は引用者略、補足、下線部は引用者強調)
ちょっと待ってくれ、と思うのは僕だけではないはずだ。
何なんだ。最後のスターリンの歌詞みたいな一節は。
ヒッポクラーテスからカエサルまでは分かる。ヘーラクレイトスはどうしたというのだ?そもそも「宇宙の燃焼についての研究」というのが、何なのかよくわらないが、そんな凄みある研究から始まる一文の終わりに、どうやったら「牛の糞にまみれて死んだ」が来ることを想像できるだろうか?「真っ赤なバイク」から始まれば「崖から海に落ちた」だし、「浮気な女」から始まれば「サナトリウムに逃げた」だろう?しかも“あれほどなしたが結局”がこの悲劇をよりシリアスなものにしているように感じる。
註釈がついていたので、巻末まで慌ててページをめくり説明を求めた。引用しよう。
「ヘーラクレイトス:紀元前約500年の哲学者。(・・・)(万物は流転す)は彼の有名な言葉。彼は万物の起源は火にありとした。ストア哲学における物理学的思想は一部分彼の説を取り入れたものである。伝えらるるところによれば、ヘーラクレイトスは晩年水種病にかかり、医者たちのすすめで牛糞を体中に塗り、日光浴をした。医者たちの説によれば、牛糞の熱によって、病人の体内に充満している水分が蒸発する筈であったが、病人はこのために死んでしまったという。」
(前掲書、カッコ内は引用者略)
悲劇は終わらない。「万物は流転す」と語る著名な哲学者が、なぜ医者に進められるがまま牛の糞を体中に塗りたくって日光浴しているんだろうか?この男はさんさんと降り注ぐ太陽の光を浴びながら、一体何を考えていたのだろうか?
近所の人に「何をしているんですか?」と聞かれた時に、糞にまみれた男が、まばゆい太陽光に目を細め「天気がいいもので・・・」と答えた瞬間の悲しみが2,500年の時を超えてせまってくるのを感じないだろうか。
ここまで読み進めていると、なぜだかよく分からないが、ふと考えは曾祖母の事に及んでいった。もし晩年のひいおばあちゃんが、牛の糞にまみれたヘーラクレイトスに出会ったらなんと言っただろうか?と。やはり「おめでとうございます」と声をかけただろうか?
答えはどこにも向かわない。けれど、ただ、この時のヘーラクレイトスにかける言葉として、「おめでとうございます」はとても適切な言葉にも感じるのだ。
そして祖母と曾祖母とのやりとりの思い出と、ローマ皇帝の「死」に関する哲学に、うっすらと繋がりが見える気がするのだ。それが何かを言い当てようとしたとき、まるで宇宙が燃焼するように青白い炎を出して消えていった。
僕は宇宙の燃えカスを払うように本を閉じて立ち上がった。
とても静かな休日の図書館を見渡してみる。
多くの人が過去から来た言葉と、今対話しているのが見えた。
その空間に向かって僕はローマ皇帝の荘厳さで、呟いてみる。
「一つ、ただ一つ。結局、みんなウンコの話ではないか」