THE DILLINGER ESCAPE PLAN、最後の来日。ベン・ワインマンの日本ラスト・インタビューをここに。

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――TDEPは、2017年いっぱいで解散が決定しています。通常のアルバムに伴うツアーというのは、作品をプロモーションして、次の活動に繋げていくためのものですよね。でも今回は解散ツアーで、明確な終わりが前提にあります。終わりに向かっていく…というのは、どんな感覚なんでしょう?

ベン:とはいっても、1本1本のライヴはあまり変わらないのが正直なところなんだよね。観客としては「もうこれで見納めなんだ」ということもあって、いつも以上にクレイジーに盛り上がったり、感傷的になっていたりするかもしれないけど…。このツアーも、今のところは「次はあの国か」っていう感じで、まだまだ終わりを意識できていない。普通のツアーと同じで、続きがある感覚なんだ。でも日本でのライヴが終わったら、残りはあと4、5本しかなくなるから、じわじわと終わりに向かっているような気持ちになるのかもしれないな。それと、世界中をツアーで廻るという、すごく名誉で特権的なことをずっと続けてきたけど、もうそうする理由がなくなってしまうことになる。だから、もしかするともう二度と訪れない国や街だってあるかもしれない。そう考えると、少し感慨深く思うところはあるね。

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――TDEPの結成メンバーはベンのみですが、バンドの結成はあなたの地元であるニュージャージーですよね。古くはMISFITSに始まって、SKID ROWとかTHURSDAYとかMY CHEMICAL ROMANCEとか、有名なバンドを輩出した土地です。でも、僕が不勉強なだけかもしれませんが、たとえばニューヨークやカリフォルニア、スウェーデンといった地域のように「ご当地サウンド」のイメージがあまりないように思えます。実際のところ、ニュージャージーにはどんなハードコアやパンクロックのシーンがあったんでしょう?

ベン:たしかに、ほかの地域の人たちからはあまり見えないかもしれないな。でも、地元のシーンというのはたしかにあった。昔から、いろんな場所でライヴをやったものだよ。地下室だったり、バーやパブの跡地だったり、ちょっとしたホールみたいなところもあったし。ステージのない、フラットなフロアでのライヴもよくやった。だから場所には事欠かなかったね。俺は90年代からそこにいるけど、すごくアンダーグラウンドで健全なシーンだと思う。そもそも、ニュージャージーはニューヨークとかフィラデルフィア、ボストンにワシントンDC、カナダなんかから車ですぐ行けるくらいの距離にあるから、色んなところからバンドが来てくれたし、地元のバンドもほかの土地に呼んでもらうことができたんだ。週末に車でほかの地域に行ったり、移動しながら毎日ライヴをやる、一週間くらいの短いツアーをやったりね。だからニュージャージーは、バンドにとってはなかなかいい場所だったってわけだよ。でもカリフォルニアとか、西側はどこに行くにも遠いからね。あっち側のバンドは、LAだけに留まったりとかが多いように思う。俺たちみたいに東側のバンドは、あちこちでプレイすることができた。そのぶん、いろんなものが混ざり合って、君が言うように「ニュージャージーといえば」みたいなスタイルが生まれなかったのかもしれないな。実は俺の地元は、マンハッタンから45分くらいのところなんだ。だから昔からCBGB’Sには通ったし、ブルックリンやロウアー・イースト・サイドのような、小さなクラブがたくさんあるところにもよく行った。だからニューヨークのシーンからは強く影響されたね。

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