THE DILLINGER ESCAPE PLAN、最後の来日。ベン・ワインマンの日本ラスト・インタビューをここに。

THE DILLINGER ESCAPE PLAN

text by MOCHI
translation by Sachiko Yasue

THE DILLINGER ESCAPE PLAN、解散―。その一報を耳にしたとき、とにかく驚いた。THE DILLINGER ESCAPE PLAN(TDEP)といえば、Convergeと双璧を成す、カオティック・ハードコアの顔役。ひとつの時代の終わりを、痛烈に感じずにはいられなかった。
彼らの、頭のネジがすべて吹っ飛んだかのような破天荒すぎるパフォーマンスに触れて「とんでもないやつらだ」と思わない人はいないだろう。同時に、ハードコアにジャズ/フュージョンの要素をぶち込んだ、たしかなテクニックに裏打ちされたサウンドは、異形でありながらも不思議なまでにキャッチーで、多くの人に開かれたものだった。だからこそ、マイク・パットン(FAITH NO MOREほか)やNINE INCH NAILSといった大物とも邂逅できたに違いない。本当にすごいやつらは、些細な壁などやすやすと飛び越えていくのだ。しかし、彼らはデビュー以来続けてきた永遠の計算を、やめることを選んだ。
その彼らの最後の来日公演が、10月の終わりに、東京2デイズという形で開催された。僕も2日目の渋谷サイクロン公演に足を運んだが、素晴らしかった。さすがにかつてほどの暴れっぷりこそなかったが、常識で考えれば充分にハチャメチャだったし、同時に円熟味というか、キャリアを積んだからこその風格が見て取れた。TDEPがTDEPたる所以を堂々と見せつけ、彼らは自分たちの終わらせるため、次の街へと旅立っていった。
その渋谷サイクロン公演の当日、唯一のオリジナルメンバーであるベン・ワインマン(g)が、インタビューに応じてくれた。直前になって、マネージャーから取材時間を半分に減らされるという事態が起こったが、とにかく聞けるだけのことは聞いた。シーンに多くの可能性を提示したバンドの解散は残念でならないが、未発表曲を完成させてリリースする計画もあるとのこと。ベンはもちろん、メンバー全員の前途が明るいことを願うとともに、TDEPという不世出のバンドが語り継がれることを、祈るばかりだ。

――LIVEAGEの望月と申します。今日はインタビューの時間を割いてくれてありがとうございます!まずは月並みな質問ですけど、TDEPが日本にくるのは9年ぶりになります。久しぶりに来て、いかがですか?

ベン・ワインマン(以下ベン):最高!最高としか言いようがないよ。何年もの間、日本にはずっと戻ってきたかったんだからさ。こうしてまた来ることができて嬉しいし、チケットもほぼソールドアウトだ。たくさんの人たちが、まだ俺たちのことを求めてくれていたことがわかって幸せだよ。

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――今回の日本公演を企画したRealising MediaのHayato Imanishi氏(Cyclamen)とは、彼が以前UKで別のバンドで活動していたときにも対バンしたことがあるそうですね。そうして、自分たちが世界中で蒔いた種が実るというのは、感慨深いところもあるのではないですか?

ベン:あぁ、彼のバンドとは昔いっしょにやったことがあったよ。君が言うとおり、これはすごいことだよね。以前日本に来たときは、Extreme the DojoとFuji Rockに出るために1年に2回も呼んでもらったことがあったし、前回来たときはAT THE GATESのリユニオンをサポートした。俺たちは、日本とはすごくいい関係を築けていたんだけど、その後は日本でのアルバムのリリースも少なくなってしまった(注:全作品リリースされていたが、なかにはメンバーが知らなかったものもあったらしい)。それもあって、俺たちは期待されていないというか、もう日本には来ることができないんじゃないかと思っていたくらいだよ。でもHayatoが花を咲かせてくれたおかげで、最後にこうして戻ってくることができた。彼には本当に感謝しているよ。

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