いよいよ来日まで少し。インタビュー後編をお送りします。Fuckin Go!
インタビュアー:安藤直紀(Kowloon Ghost Syndicate / Tokyo Unlearned)
LIVEAGE(以下L): 遅くなったけどそのバンド名のエピソードはすごく興味深い。ピーターパンスピリット! 当時のバンドにはそうした願望を含んだ名前が多かったと思う。Republic of Freeedom FightersやPuritan、Evergreen、The End of Century Party、Encyclopedia Of American Traitor、Racetraitor、どれもみな現実に対する皮肉やその世界の中での純粋な願望をまとった名前。多分コンセプトは一緒なんだよね。自分の純粋さに対する忠誠と、外側の現実世界に対する嫌悪があって、その上で名前を考えてる。そしてスペルミスの話もヤバいw インターネット前の時代は本当に大変だったよね。コミュニケーションに金も時間も取られてさ。俺は当時どうやってスマホとGoogleMapなしにべニューに辿りつくことができたのかわからない。
そして確かにその頃誰もポストロックという言葉を口にしてなかったように思うね。今までになかったようなことをやるのは新しいことで試みた人は非常に少なかった。そもそもそうしたことをやろうって考える人も少なかったんじゃないかな。
envyのメンバーと話した時のことを思い出すんだ。彼からMOGWAIという単語が出てきて、俺は「MOGWAI? OK。お前がMOGWAIをすごいと思うのはわかった。素晴らしく美しい? それはきっといいバンドだろうな。けどそれにenvyが影響されるってマジかよ?、、、美しいenvy?何を言ってるのかわからないぜ」って感じ。今から考えれば、彼に見えていたものが俺には見えていなかったってことだ。そして現在の状況がある。
City Of Caterpillarとenvyってお互いにハードコアの中で何か違うことをやろうとしていたと思うんだよ。既存のものとは違う”オルタナティブミュージック”の中でオルタナティブであろうとするような。アプローチは少し違うんだけど、偶然にも近い道を辿ったよね。
それで、俺は90年代にパンクロックの中で非常に重要な変化があったと思うんだ。
1番めは「パンクブーム」ね。これはグランジの興隆と産業ロックの衰退ってところまで含む。
2番めはショービズマインドの侵略に対するカウンターね。
3番めは俺たち自身に対する内省だ。
で、この3番目がこの音楽の進化を理解するうえで一番大切なんだけど、このパンクコミュニティにいる人の何人かは、現状に飽き足らず常に自分自身を(このシーン自体のことも)疑い続けてる。つまり「オルタナティブであるとはどういうことか」「俺たちは何について叫んでいるのか」「どんな価値観を守り続けるべきなのか」このリストはいつまでも続くことになるんだけど。
例えばSam McPheeters(Born Against/ Mens recovery Project)はアジテーションと皮肉な問いかけを通じてハードコアの倫理観について問いかけていた。Mark Anderson(Positive Force D.C)などは政治的な議論と音楽を融合して意味のある形にしようとした。パンク版のライブエイドみたいなね。GRAVITY RecordsのMatt Andersonをはじめとした多くの人はいろんなものを手作りし、自分たちのあらゆるものを自分たちでこなそうとした。こうした行為は全て一つの情熱から生まれている。それが「俺たち自身に対する内省」なんだよ。本当にこれが正しいのか?って。そして自分たちのやっている音楽でも同じことが起きた。何人かはこの音楽の在り方に疑問を持ち始めたんだ。「今までと異なる形を取ったきわめて攻撃的な音波」いわば「新しいスタイルのハードコア」を探し始めたんだよ。
君たちはグラインドコアのバンドにいて、またポップパンクバンドにいて、Pg.99にもいて、そこである時閃いて、この音楽になったんじゃないか、と思ってるんだよ。君たちの歌詞から察するに、何かしらの閉塞感を感じててそれらを打破したかった、その閉塞感は社会に対してかもしれないしハードコアシーンに対するものかもしれない。だから君たちの音楽は決まりきったお約束をなぞる「ザ・ハードコア」からの逃避でもあるだろうなって。
で長くなったけどここからが次の質問だ。同じ時代の空気を吸っていた人間としてのね。君たちは当時のシーンをどういう風に見ていたんだろう?君たちがDIYの価値観に深く根差していることは知ってる。そしてグラスルーツな活動の感覚も持ち合わせているよね。君は人々の情熱的な部分も見ていて、逆にひどいことも見ているはずだ。君たちは何らかのことを信念として持ち、同時ににその閉塞感から逃げるために投げ出したこともあると思う。
例えば俺自身に関していえば「本当の自立」というものを求めていた。これが「俺たちの(俺の)」音楽で、これが「俺たちの(俺の)」言葉で、これが「俺たちの(俺の)」遊び場だって。それが俺自身を形作る。で、この90年代のハードコアに起きたムーブメントは今でも心の深くに爪を食い込ませている強烈なものなんだ。日本はほかの国とも状況が違ったけど、当時の日本は酷かったと言いたいわけではなくて、俺自身がこの国のハードコアの中で新しい何かを求めていたってことね。
それできっと君たちの中にもあるそうした感覚がCity Of Caterpillarの新しいスタイルへと導いたんじゃないかと思ってるんだ。
Jeff Kane(以下J):そんなに大層なことを考えていたわけじゃないよ。ただ友達と新しい音を作り上げたかったんだよ。聞いたことのないものをやりたかった。それだけよ。
Kevin (以下K):その過程でいろんなストーリーがあった。MonotonashhfuckはEngineDownのJonathanを迎えてしばらく練習してたこともあるぜ。素晴らしい音をぶちかますヤバいドラマーだった。最終的にRyanに決まったんだけどさ。Ryanもやばかったからね。
そしてもう一つのクレージーリッチモンドストーリーだ。Pg.99のDocument 7のボーカル録りでノースヴァージニアの向かっていた時に、EXPLODERが俺のバンでツアーをしたいと言ってきた。俺がドライバーとしてね。もしそうしてたら俺もEXPLODERのジャパンツアーに同行していたんだぜ。その代わりに俺はPg.99のベースとしてアメリカツアーをすることになった。いろいろなことが思い出されるよ。