Arise in Stability『犀礼/DOSE AGAIN』リリースインタビュー。9年の末にたどり着いた進化の果て

2004年の結成以来、国内メタル/ハードコア・シーンでも指折りのテクニックと変拍子を駆使した楽曲構築力で、存在感をアピールしてきたArise in Stability。彼らの1stアルバム『記憶喪失者の描く未来/The Future That Amnesiac Draws』(2011年)は、「日本からのBETWEEN THE BURIED AND MEへの回答」とも言える国産プログレッシヴ・メタルの名盤だ。
彼らはその1st以降、The RabiesやANGAGEMENTとのスプリットEP『The Heretics Proof』(2015年)をはさみつつ、3度に渡るメンバーチェンジにより、バンドの若返りと更なるテクニックの向上を実現。そして現体制としては初にして、実に9年ぶりの2ndアルバム『犀礼(さいらい)/DOSE AGAIN』をリリースしたところ。これがMESHUGGAHやCYNIC、DREAM THEATER、KING CRIMSONといったプログレッシヴ・メタル/ロックの先達からの影響を消化しつつ、SHAI HULUD以降の叙情派ニュースクール、果てはJ-POPや初期ヴィジュアル系の要素をブレンド。一方で2010年代にシーンを席捲したDjentや、それに付随するマスロック/フュージョンメタルに毒されることなく、日本で、彼らにしか生み出しえない独自の路線を突き詰めた会心作に仕上がっている。真の意味でプログレッシヴかつ挑戦的でありつつ、楽曲のタイムレスな強さが追及された、新たなマスターピース誕生の瞬間だ。
今回のリリースにあたり、メンバー全員にインタビューを実施。アルバムをより深く紐解くためのヒント、そして出来栄えに対する確かな自信を語ってくれた。

Interview by MOCHI
Photography by Kazuki Yokota

――まずはこの9年間を振り返ってみたいのですが、このバンドを長く続けてきた3人にとって、この期間はどんなものでしたか?

Hosuke Taniguch(vo)「俺は普通かな。次の音源を出すまでにそのくらいの時間はかかるだろうと思っていたし、動き始めれば早いのはわかっていたから。モチベーションも全然下がらずに、ずっと一定だった」

Suguru Yamashita(ds)「俺は前のアルバム出した後、“もっとここをこうすればよかった”っていう納得できない部分が出てきて、そのリベンジをしたい気持ちがずっとあったかな。結果9年経っちゃったけど、ようやくメンバーも安定したし」

Hosuke「Yusukeが入るまでは曲を増やそうって感じもなかったもんね。そんな余裕もなかったし。ようやく納得できるものを作れる体制になったかな」

Masayoshi Onodera(g)「9、10年前を思い返すと、自分たちの実力不足を気合でカバーしていたような感じがします。それはそれでバンドとして大事なことではあるけど、その気合って維持するのも大変だし…僕的には前作の後、自分の曲をガンガン作るんじゃなくて、一歩引いたところから、メンバーが持ってきたものを生かそうっていう気持ちが出てきたんですね。でも結局、メンバーは二人辞めちゃった(笑)。だから今回のアルバムは変に引くのではなくて、改めてギアをドライブに入れて作ったという感じですね」

Suguru「自分たちのやりたいことに実力がまったく追い付いていなかった頃を経て、今回ようやくちゃんとしたレコーディングができたのかなって思いますね。1stを未熟なまま出すバンドはたくさんいるから、そんなものかもしれないけど」


――9年かけて、次の段階にたどり着いたということですよね。

Masayoshi「この9年間のもうひとつの変化は、曲がどんどん難しくなっていったことなんですよね。辞めていったメンバーはそれぞれの事情があると同時に、技術的についていけなくなったんだと思います。今となってはそれもわかるというか、僕も立場が違えばそうなっていた可能性はあったなと。そして結果的にプロが加入して、俺のやろうとしていることって難しかったんだなってようやくわかりました(笑)」


――逆に、HosukeさんとSuguruさんがよく付いてきたなって思います。

Suguru「なんか意地みたいなものがあったからね」

Hosuke「1stに納得していないのは、三人ともいっしょだからね。もう1枚作らないと気がすまないというか、あれをキャリアの最後にしたくないっていう気持ちが絶対にあった」



――2015年にKodai Kaneyasu(b)が、2016年にYusuke Hiraga(g)が加入しました。二人とも20代と古参メンバーよりも格段に若いし、Yusukeはプロとして活動するミュージシャンでもあります。彼らが加わったことで、どんな変化がありましたか?

Yusuke「僕は作曲もするから、アルバムに僕の成分が入っているのは大きいでしょうね。曲を簡単にしようとは考えなかったけど、もっと間口が広いというか、親しみやすい曲にしたほうがいいだろうとは思っていたので、そこはかなり意識して作曲には参加しました」

Kodai「これが初の固定バンドなので、細かいところまで音作りとか合わせ方にこだわるのも、初めての経験ばかりでした。やっていくなかで成長していったというか、バンドってこういうものなんだって知りながら、自分のプレイをどうバンドに生かすかと、弾き方も工夫するようになりましたね」

Masayoshi「新人教育に近いんですけど、例えばKodaiに“それは違うよ”と上から目線で指摘したものの、自分もできていないんじゃないかと気づくことがいくつもありました。彼らといっしょに、むしろバンド全員が成長していった感じはありますね」


――リズム隊、ギター隊それぞれ、相方が変わったことは大きかったのでは?

Masayoshi「昔は僕も頑固な部分がありましたけど、それだと自分がやろうとしていることしかできないし、バンドのいいところとは、メンバーの考え方の違いを受け入れることで、自分の予想を超えるものが生まれることだと思えるようになったんです。だからYusukeが作ってきた曲に対しては、彼のタイム感に合わせるために、“あいつがこういうフレーズを弾いているから、こういうアクセントになるはずだ”と自分の体に叩き込んでから取り組んだんですよ。それもある意味自分にとっては挑戦だったし、楽しかったですね」

Suguru「Kodaiは吸収が早いから、バンドにもすぐ馴染んでくれましたね。おかげで演奏面もカッチリしてきたし、あとは経験と場数を積むだけだなと思いました。ちゃんとこっちに合わせてくれるし、苦労はあまりなかったですね」

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