マーク・コズレク。現存するソングライターの中でも屈指の作曲家だ。
彼がキャリアをスタートしたのはジョージア州アトランタ。その後、カリフォルニア州サンフランシスコに引っ越し、あの伝説のRED HOUSE PAINTERSを結成した。そして、デモを二作品つくり、1992年にロンドンの4ADと契約し、一気に世界進出を果たした。
当時、4ADが持っていた「退廃的、耽美系、ゴス、ニューウェーブ、ポジティブパンク」といった流れ(バウハウスやコクトー・ツインズが所属)とそれは方向性がある程度一致していたので契約もスムーズだったのだろう。
が、今考えるに、無名に等しい、しかもカリフォルニアのアメリカのバンドと4ADが契約するというのも先見の明があるというか、なんというか。
マーク・コズレクは当時から徹底的に耽美的に作りこまれた音、アートワークによって、自分の世界を提示していた。
初期はネオ・アコースティックなテイスト、中期はスローコア、後期にはアメリカーナ〜Alt-Countryと音楽性を変えているが世界観は一切ぶれていない。
暗く、深く、美しい。
一枚、おすすめをあげるなら最後の作品「Old Ramon」だろう。鬱病にかかったニール・ヤングのように、美しく儚いが、ゆったりとした曲達で構成された名作中の名作だ。
その後、RED HOUSE PAINTERSは解散し、マーク・コズレクのソロプロジェクトともいえるSun kil Moonが結成された。
Sun kil Moonとは試合中に命を落とした韓国のボクサーの名前からとられている。太陽が月を殺すという意味ももちろんあるであろう。
1stアルバム「Ghosts of the Great Highway」が発売された時、私は震えおののいた。このように完璧な美しい音楽が存在するのかと。
周辺の皆もこぞって、Sun Kil Moonのこのアルバムを聴きまくっていた。
鬱病になったニール・ヤングが希望を少し取り戻したようなサウンドで、プロダクションも素晴らしく、アメリカンロックとしても超一級といえる。
この作品で一級品のメロディーメーカーであることを証明したのち、マーク・コズレクはメロディを書くということにあまり興味を示さなくなり、
アルバムを連発するも「演奏と歌詞を楽しんでくれ」と言われているようだった。
その後、3rdアルバム「April」を発売し、マーク・コズレクは来日した。
渋谷のタワーレコードでインストアライブがあるというので行ってきた。しかし、、、私の知っている曲は一曲も演奏されなかったように記憶している。
それはマーク・コズレクなりの「遊び」なのであろう。インストアライブが終わったあとで、握手をしてサインをもらった。
私は「あなたに影響をうけてバンドをやっています」と伝えた。マーク・コズレクはニヤっと笑って「頑張れや」といった。多分その後には「俺の知ったこっちゃないけどな」と付く感じで。
そういう男なのだ。