SOUL ASYLUM “デイブ・パーナー”インタビュー!!!80年代ミネアポリスPUNKシーンを紐解く鍵がここに!

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LIVEAGE : Twin Tone Recordsでの最初のアルバム二枚はHusker DuのBob Mouldのプロデュースでしたよね。彼との仕事はどうでしたか?

デイブ : ボブはとてもDIYなやつで、HUSKER DUは単独ライブとかバンバンやっていて、とても独立的なバンドだったよ。それを手本にしていたところはあるかな。誰にも頼らず、誰に何も言わせない、命令する奴もいない所で自分たちもやりたかった。
タダでライブに出演したり、ビール一杯の為に演奏もした事があるし、どこにでも足を運んでいたよ。徐々にミネアポリスから外に出るようになりREPLACEMENTSとHUSKER DUについていってそこから自分達も活動範囲を広げて行ったんだ。そんな中ボブはいつも、お前らはすぐにメジャーと契約するよなんて冗談っぽく言う事があって、自分はそんなことは絶対ないって答えてたんだけど、とてもポジティブに自分達を大きく励ましてくれた。パンクシーンに違和感なく溶け込めたのもボブのおかげだよ。
HUSKER DUとも一緒にツアーをよくやっていて楽しかったよ。

LIVEAGE : 日本のパンクファンはSoul AsylumとThe ReplacementsとHusker Duをミネアポリス3羽ガラスと呼んでいるんですが、お互いのバンドの関係はどうでしたか?

デイブ : 初めはチームみたいな感じだった。どのバンドも当時のミュージックシーンの中にいると意識がありミネアポリスの多くのバンドが皆で1つのSHOWを作り上げることが多く、ある時は客席にはタイバンしているバンドのメンバーしかいない時もあった。HUSKER DUがコンピレーションカセットをいくつか作って一つ目は”Bare Foot Pregnant”っていうタイトルでそれに参加させてもらったのが実際に初めてSoul Asylumが音楽として手掛けた作品かもしれない。それは14バンドぐらいのコンピでHUSKER DU主催のものだった。2つ目は”KITTEN”っていうREPLACEMENTSのマネージャーでTwin Tone Recordsを立ち上げた1人のピートが手掛けたものだった。この辺からHUSKER DUとREPLACEMENTSが違う方向にお互い歩き始めたんだ。HUSKER DUはSSTに所属していたから、当時は皆が皆、お互いにいちゃもんをつけたり、ふざけ合ったりもしてとても楽しかたけど皆、飢えていた。皆お金は無かったし、何かを餌にクレイジーな事をしていた時代だ。自分はそんなミュージックシーンが好きだったんだ。仲間意識は強かったかな。

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デイブ・パーナー

LIVEAGE : The ReplacementsとHusker DuはSoul Asylumより早くメジャーレーベルと契約しました。それはあなたにとって、どんな影響を与えましたか?

デイブ : ある角度から見ると実験的な視点で彼らを見ていたかもしれない。すごくいいメジャーレーベルと契約して、影からあいつらどういう風に次は動くかみていたよ。それを見ながら自分達の向かう方向を探していた。どっちが先に契約したかは忘れたけどとてもエキサイティングな時代だったよ。まあボブは相変わらずどうせお前らはすぐどこかと契約するからみたいな感じで、自分はそんな事あり得ないって感じだったけど、そういったミネアポリスのバンドが内輪で何か大きなことを一緒にやれてたのはとても楽しかった。そこか皆んな外に出るようになってNYやカリフォルニアに出て行くようになった。優秀なマネージャーと一緒に仕事をするようになり、とても緊張感があったがとてもエキサイティングでチャレンジングだったよ。

LIVEAGE : Soul Asylumがメジャーのコロンビアと契約したときどんな気持ちでしたか?

デイブ : まず2つアルバムを作ったかな、A&Mで、掛け持ちでやっていたおかげであまりナーバスにならずにすんだかな。Twin Tone Records/A&M掛け持ちさ。A&Mとプロ意識を向上させ、Twin Tone Recordsではインディーズの要素を保ち両世界のいいところを同時進行でやれていたかな。
インディーズのファンも残ってくれて、A&Mのおかげでカリフォルニアの人たちも好きになってくれて、ただA&Mは自分達をどうしていいか分からなくなってしまったみたいだったけど、A&Mから2枚アルバムを出してそれからデモテープを作ってバンドを売りに出だしたんだ。そこで他のレーベルも興味を持ってくれて、6社ぐらいからオファーがあってコロンビアはその中でも最もやる気があって、自分達もそれを感じ取る事が出来て、まあコロンビアはパンクバンドが欲しかったんだよね。他のレーベルもパンクバンドがいっぱい所属していたし、とてもエキサイティングな時代だったよ。

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