10月14、15日の2日間にわたり、7年ぶりの来日公演(東京公演に至っては10年ぶり)を行った、カナダのスクリーモ守護者、SILVERSTEIN。渋谷CYCLONEという300人キャパの会場に、両日ともに熱心な観客が詰めかけ、とにかく濃密なステージを繰り広げた。
今回は『MISERY MADE ME』(2022年)リリース時のインタビューに続き、シェーン・トールド(vo)にインタビューを慣行。2日目のサウンドチェック後に実施ということで会場を訪れたところ、シェーンは前日のライヴを引きずっての若干お疲れモード&時間を間違えていたものの(笑)、そこは長いキャリアを持つプロ。しっかり質問にも答えたうえで、ライヴもバッチリこなしていた。
前回はアルバムのことに加え、Skramzと区別されるようになったスクリーモのことも聞いたので、今回はバンドの出自やこれまでの裏話を質問してみた。
Interview by MOCHI
Translate by Laura Chan
Live photo by Mayukh B. Banerji
Special thanks:Hayato Imanishi(Realising Media), MARINA(T.M.Music)
――少し疲れているように見えますけど、体調は大丈夫ですか?
「昨日の疲れはちょっと残っているけど、悪くはないよ。大丈夫。日本に着いてから、本番までにオフの1日も取れたからね。ツアーは長年経験してきたことだから、始まればある程度大変だということはわかっているし、対処法も理解しているつもり。日本は好きだし、東京でもう1日過ごせたら最高なんだけど」
――今回の日本公演の契約に「観光のためにオフを1日作る」とあったそうですね。行きたいところややりたいことがあったんでしょうか?
「契約書に入っていたというのは知らなかったな(笑)。俺の場合、オフの日はむしろしっかり休んで長旅の疲れや時差ボケから回復して、しっかりとよいライヴをやるために設定しているんだ。バンドがステージ上で、疲れた様子をファンに見せるのもよくないしさ。それに日本には何度も来たことがあるから、有名なところや観光スポットはけっこう行ったことがあるんだよね。東京に来るのは久しぶりだから、今回は軽く街を散策しつつ、美味しいヴィーガンラーメンを探したり、ほかにも美味しいものを食べたりするつもりだったよ。で、実は日本円で3000円近くする、めちゃめちゃ高いコーヒーを見つけてさ。値段にも驚いたけど、今まで飲んだ中で一番美味しいコーヒーだったかも。高いだけあったよ(笑)」
――今回は7年ぶりの日本公演となり、初日はソールドアウト、2日目の今日もチケットが残り少ない(※結果的に当日券も売り切れ)状態です。アルバムをリリースした際の、日本でのプロモーションも以前ほどではなかった中、この結果にバンドとして驚いていますか?
「全然驚いていないよ。俺たちは日本には何度も来ているし、長い間すごく熱心に応援し続けてくれているファンベースもあるからね。実際昨日のライヴも、来てくれたみんながすごく盛り上がってくれた。何も心配していなかったし、すごく良い感じだね。同じ街で2公演もできるのは珍しいことだし、楽しいよ」
――今回の公演を主催したCyclamenとは、彼らがカナダをツアーした際に、SILVERSTEINのフェスに出演したことがきっかけだったと聞いています。
「うん、彼らに出会ったのは2016年だね。俺たちのStay Warmっていうフェスに出てくれたんだ。今回はHayato(Imanishi/vo)がオファーをくれて日本に来ることになったんだけど、カナダでも日本でもいっしょにやれるのはうれしいよ。世界中をツアーして、いろんな国に友だちができて、以前とは違う場所でまた再会できることは、バンド活動の醍醐味のひとつなんだ」
――今回のライヴのセットリストは、他の国のツアーと同じらしい…と、熱心なファンも事前に調べていたようです。実際どうでしょうか?
「そうだね。今はセットリストは基本的に固定しているよ。昔は30分あるかないかくらいしか時間をもらえなかったから、その都度やる曲を変えたりしていたんだ。今はツアー中の照明とかのプログラムに合わせる必要があるし、長めのセットをやれるようになったおかげで、やりたい曲、ファンが聴きたいと思っている曲はだいたい入れられるしね。だからどこの国でも、基本的には同じ曲をやっている。昨日は機材の問題でできなかった曲があったけど、今日はそれも追加する予定だよ(※2日目のセットに“Poison Pill”と“America Dream”が追加された)」
――でもSILVERSTEINくらい長いキャリアで作品数も多いバンドだと、ファンからのリクエストも多かったりするのでは?
「ファンからのリクエストはたしかにあるし、無視しているわけではないよ。でも、俺たちも100曲くらいレパートリーがあるからね。基本的にはどの曲もできると思うんだけど、やっぱりいきなりというわけにはいかないんだよ。やるなら事前に記憶から掘り起こして、少しでも練習というか、確認が必要だしさ(笑)」
――個人的には“Discovering The Waterfront”を聴きたいんですけど、最近はやっていないんですか?
「やっぱりそのアルバムが人気だから、今のセットでも3曲を入れているけど、タイトル曲は入れてないなぁ。とはいえ何度も演奏してきたからね。次に日本に来るときの参考にするよ。それでいいかな(笑)?」
――わかりました(笑)。ちなみに現在バンドのマネージャーを、ドラムのポール・コラーが務めているそうですね。あなたたちもベテランですが、敢えてセルフマネージメントを選ぶというのは、やはり意思決定の早さや、自分たちの思う通りに活動するという面を意識しての、ある種DIYなスタンスからでしょうか?
「実は、以前外部にマネージャーを雇っていたときも、ポールは対外的な交渉や管理を担当していたんだ。メンバーの意見を取りまとめて、外部のマネージャーに伝えたりね。バンドというものは、マネージメント会社に所属していた方が大物っぽいというか、ちゃんとしていると見てもらえる側面がある。例えば楽器メーカーにエンドースメントの相談をするときも、メンバーから直接連絡すると“タダでギターをください!”って言っているだけに思われてしまうことがあるし(笑)。そういう意味でも、プロフェッショナルとして扱ってもらうのにも役立つから、マネージャーを雇うバンドもいるんだ。でも俺たちももう長くやってきて大人になったし、ポールはほかのバンドのマネージメントも担当するようになった。だからポールがそのままSILVERSTEINのマネージメントも担当するのが、当然というか理にかなっていたんだよね。実際、メンバー、マネージャー両方の視点からバンドのことを見て、素晴らしい仕事をしているよ」
――少し昔話を聞きたいんですが、SILVERSTEINはVictory Recordsからデビューする際に、同郷のGRADEからの後押しがあった…というエピソードを聞いたことがあります。ただ情報のソースがないので、確認のためにも、バンドのデビューの経緯を教えてもらえますか?
「それは何割かは本当というところかな。当時の俺たちは、良いデモ音源が録れたから、色んなレーベルに送るためのプレスキットを作っていたんだ。GRADEのメンバーとは元々知り合いだったんだけど、ドラマーのチャールズ(・モニス)が、Victoryにも送ったらどうだと言ってきた。でも俺たちにとって、Victoryはハードコアの中でも名門のレーベルだし、どうしようかなって感じだったんだよね。Victoryにも大量のデモが届いているだろうし、俺たちが送ってもチェックしてもらえないんじゃないかって思っていたし、正直ちょっと尻込みしていたのもあった。それでチャールズがVictory側に“知り合いがデモを送ると言っていたから、確認してほしい”と伝えてくれたんだ。“このバンドと契約するべきだ!”とかじゃなくて、ちゃんと受け取るように話しただけ。そうしたら、Victoryのオーナーのトニー・ブランメルが電話をくれて、その後わざわざカナダまで会いに来てくれたんだ。それで契約が決まった。プレスキットを送ってから2か月やそこらで、すごく早く話が進んだのを覚えているよ」
――Victoryからは4枚のアルバムをリリースした後、移籍することになりましたよね。でも当時から、いろいろなバンドがVictoryとトラブルになって、中には裁判沙汰に発展することもありました。僕もVictoryは歴史的に非常に重要なレーベルでありつつ、問題も多いのかと思っていましたが、あなたたちとしてはどうだったんでしょうか?
「そうだね。契約前から、オーナーのトニーはちょっと変わった人だ、という噂を聞いたことはあったよ。でもVictoryは、俺たちと契約したいと言ってくれた唯一のレーベルで、しかも大手だったのも事実。たしかに在籍中はいろいろな問題があった。アルバムが売れているのに、ちゃんと売り上げの清算がされなかったり、雑に扱われたり…トニーからひどいことを言われたこともある。正直大変だったし、契約した4枚のアルバムをリリースし終わったら、別のレーベルに行こうとは早い段階から決めていた。俺たちはそこまでいかなかったけど、君の言う通り裁判を起こしたバンドもいたし、当時のVictoryはどのバンドともうまくいかなかったんじゃないかな。だからいい環境だったとは言えないけど…アルバムをリリースしてリスナーに届けてくれたし、Victoryのおかげで今俺たちが活動を続けていられることも間違いない。そのことはちゃんと認識していなければならないし、感謝しているよ」
――先ほど、GRADEのメンバーとは元々友だちだったという話がありましたが、カナダではそういった世代の違うバンド同士の関わりや、後輩のフックアップというのは、けっこう盛んなんでしょうか?
「いや、俺たちより先輩のバンドたちから、すごく協力や後押しをしてもらったということはなかったんじゃないかな。さっきのGRADEの件も、チャールズの口添えの一言と、カイル(・ビショップ/vo)が1stアルバムでゲスト参加してくれたくらい。カイルの参加もプロデューサーの提案で、俺たちのアイデアじゃなかったしね、俺自身はバンドがある程度の知名度を得てから、Verona Recordsを立ち上げて、COUNTERPARTSやDEAD AND DIVINEといったバンドのアルバムをリリースした。ローカルなバンドを応援してのし上がるきっかけを作ることは、個人的にも大事なことだと思っているし、パンクロックの倫理にも即しているからね。でもそれも昔の話だし、正直、今のカナダのシーンがどう…というのはわかっていないんだ。シーンそのものがあるのかどうかもね。音楽の聴かれ方や、プロモーション方法も変わったしさ」
――カナダといえば、SILVERSTEINのほかにもALEXISONFIRE、COMEBACK KID、CANCER BATSなど多数バンドがいますよね。同時期ではないかもしれませんが、SUM 41やSIMPLE PLANといった大物も存在します。でもそれぞれ違うスタイルで、いわゆるカナダらしいサウンドというものを想起しにくいイメージですが、当事者のひとりとしてどうですか?
「カナダっぽいサウンドと言えるかはわからないけど、GRADEの影響はすごく大きかったよ。GRADEを代表的なバンドとして評価している人は少ないけれど、時代の先駆けになった存在だと思う。俺たちはもちろんALEXISONFIRE、BOYS NIGHT OUTなんかはGRADEからすごく影響を受けた。同じエリアだとMONEENもいたの、覚えているかな。当時はいいバンドが集まる熱いローカルショウがすごく多くて、ライヴの水準がすごく高かったんだよね。ある程度しっかりとした演奏ができないと、ほかのバンドのステージに打ちのめされて、恥をかくような感じだった。そのおかげで、みんな頑張って作曲と練習をして、切磋琢磨していたよ。俺たちの世代は素晴らしいシーンを作っていたと思う。もちろんアメリカのカリフォルニアやニューヨークといった地域の大きなシーンのことは知っていたけど、当時のトロントも負けていなかったんじゃないかな。でも、当時はそのシーンの素晴らしさに気付いていなかった。今振り返ると、SILVERSTEINはすごく魅力的なシーンから生まれたバンドだと思うし、その一部に慣れたことは誇りだよ」
――SILVERSTEINと近い時期に出てきたカナダのバンドで、STUTTERFLYがいましたよね。今名前が出たバンドともまたスタイルが違う、少しニューメタル寄りのバンドだったので、カナダのシーンの層は厚いんだなと思っていました。
「知っている!すごく久しぶりに聞いた名前だね。たしか2004年かな?のWarped Tourでいっしょにやったのを覚えているよ。バンクーバーのバンドだよね(※実際はケロウナ)?たしかアルバムをリリースしてから、別のバンドになったと思うんだけど」
――メンバーチェンジして、SECRET & WHISPERというバンドになって、日本のLOUD PARKにも出演しましたよ。その後SHREDDY KRUEGERというバンドになったけどほぼ解散状態で、今は一部のメンバーがTIDEBRINGERで活動しています。SECRET & WHISPERも再結成するようです。
「そう、SECRET & WHISPERだ。彼らのアルバムはすごくよかったよね。でもぶっちゃけ、その後のバンドのことは知らなかったし、バンド同士の繋がりはほぼないんだ。というのも、トロントからバンクーバーまではものすごく遠くてさ。お互いの街でライヴをやる機会はほとんどなかったし、Warped Tourでいっしょになっただけというのも、そのせいだよ」
――アメリカの西と東で、音楽のスタイルもシーンも違うのと同じような感じですか?
「そうだけど、アメリカとカナダはインフラも、国としての規模も違うんだ。例えばロサンゼルスからニューヨークまで、車で移動しながらツアーをしようとする。そうすると、間にそれなりの規模の街がいくつもあるから、30本くらいあちこちでライヴをやりながら目的地を目指せるんだ。で、ニューヨークでライヴをやったら、往路とは別の道を行って、また各地でライヴをやりながらロサンゼルスに戻れるだろ?アメリカではそうやってたくさんライヴをやって、バンドを鍛えてファンベースを作っていくんだ。でもカナダの場合、トロントからバンクーバーまで行くにしても、ライヴができるような街は4ヶ所くらいしかないし、往復で同じルートを通るしかなくて、ライヴを増やせない。だから昔から、カナダのツアーはすごく大変なんだよね」
――最後にこれからのことを聞きたいんですが『MISERY MADE ME』はそれまでよりも音楽性を広げた作品で、あなた自身「それまでのルールを取っ払って作った作品」と言っていましたよね。ということは、次の作品ではもっと幅を広げることもできるし、逆に初期のスタイルを踏襲することもできると思うんですが、何か考えていることはありますか?
「さすがに、次にどうするかはまだわからないよ(笑)。でもまた色々試して、曲を作りながら方向性を決めようと思っている。それに、結果的に『MISERY MADE ME』はそれまでの作品とまったく違うというわけでもなくて、ちゃんとSILVERSTEINらしい要素がたくさんあっただろ?例えば超ハードコアな“Die Alone”と、バラードの“Misery”は俺が作った曲だけど、昔のアルバムに入っていてもおかしくないと思う。アルバムを作る時は、前と同じことを繰り返すようなことはしたくないから、過去に作ったものを踏まえながら、アイデアを発展させていくことが大事なんだ。『MISERY MADE ME』と、直近の『A BEAUTIFUL PLACE TO DROWN』(2020年)や『DEAD REFLECTION』(2017年)には音楽的な繋がりは感じられるけど、初期の作品と比べるとまったく違うよね。ある道をずっと途切れることなく歩いてきたら、ここにたどり着いたと考えているんだ。だからSILVERSTEINが最も影響を受けたのは、SILVERSTEIN自身だとも言えるんじゃないかな。『MISERY MADE ME』はすごくパワフルで、自分でも好きなアルバムだし、制作するのも楽しかった。今予定しているツアーが終わったら、次の制作にフォーカスすることになるだろうけど、またスタジオに入るのが楽しみなんだ」
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SILVERSTEIN:https://twitter.com/silverstein
Mayukh B. Banerji:https://twitter.com/forzadelpassato
Hayato Imanishi(Realising Media):https://twitter.com/hayatoimanishi
MARINA(T.M.Music):https://twitter.com/marina_133photo