【前回迄のあらすじ】
編集Y氏に、昔のアメリカツアーの想ひ出を書いて欲しいと依頼された筆者。
10年以上前の薄れた記憶を手繰り寄せると「黒い便器」が浮かびあがった…しかもそれは40年近く前の記憶だった…。
「黒い便器」「テロ」「ツアー中止?」「重大なプレスミス」…日米間の様々な思惑が渦巻くなか、果たして筆者はアメリカツアーに出発することが出来るのであろうか?
さて、ワタクシメが在籍していたExclaimのアメリカツアーに関するコラムなワケだが、ここでまた重要なことを思い出した。
このツアーに関するレポートが日記形式で『DOLL』2002年3月号と4月号に掲載されている。
つまりこのツアーの流れが知りたきゃ、古本屋でDOLLのバックナムバーを買って来て読んだ方が早い…と。
なんならmission undone誌のようにこのDOLLをPDF化して読んでもらった方が良いんじゃないかと…編集Y氏に提案したいところであります。
というワケでDOLLを読み返して色々と記憶がよみがえった。
アルバムを作った時はギターは宮本君でしたね。で、アメリカツアーの話をつめてる時に辞めちゃったんだ。家庭の事情だったかな…?そんなにたいした理由でもなかったかな。
でもすぐに盟友バンドであるCHARMのギター、ウガ君が入ってくれて、問題なくアメリカツアー話をつめていった。
アメリカ東部を廻る時はHellnationというケンタッキーのバンドと一緒で。
このHellnationのKenがSound Pollutionというレーベルをやってて、そこからExclaimはアルバムを出したワケ。
で、アメリカ西部を廻る時は、これまた盟友バンド大阪のJerry Roll Rock Headと一緒。
JRRHとはスプリット7インチも作って、おおいにアメリカツアーを楽しもうじゃないか!と、どんどん話をつめていってたんですな。
じゃあもうそろそろアメリカへと旅立ちますか…いや、待て!
ここでアメリカツアーを今後するであろうバンドや個人の為に一つ。
Exclaimは日本を出発する前に楽器類は全てアメリカに送っていた。
テロの後だったので面倒な検査を避けたいのと、集団で楽器を持って入国すると、アメリカで楽団として仕事をすると思われて「労働ビザ」が必要になり、下手すると入国が出来なくなるのだ。
だから入国する時は他人同士を装い、観光客として入国審査を受けないといけないのだ。
少なくとも2001年はそうだった。今はどうなんでしょうね。
海外のインディバンドが、個人の招聘で来日した時に日本の入国審査で「バンドで演奏しに来た」と言ってしまい、労働ビザが無いために入国出来ない…なんて話を時々聞きますね…。
そうそう。今回のツアーの段取りやり取りを色々としてくれたのは、ライターの竹内明君でしたね。
彼は英語がペラペラでアメリカのハードコアシーンに顔もきいていたので、とてもお世話になりました。しかもとても面白い好人物です。
彼のおかげでツアーが容易になったと言えましょう。
よし!じゃあ飛行機に乗ります!成田から、まずはシカゴへ行きます!
ここで飛行機に乗って驚いた。
飛行機の座席。エコノミー席はエコノミー症候群なんて病があるぐらい狭く息苦しい…そう思ってました。
しかし!テロの影響か?アメリカに行く人なんてほぼいないのですね〜。
テロが9.11、我々が出発したのが10.11…まだひと月しかたってませんから。
なので搭乗人数は我々以外は数名しかいない。
なんなら1人につき座席一列全部使えるくらい。
座席列の前の方に少し広い場所があるので、そこで皆んなで車座になって、花札や飲酒を楽しんだのでした。
大きな声を思わず出すと、CAの人に注意されましたが…なにしろ客がほとんどいないので、CAさんものんびりしたもんでした。
ところでここまで全然写真が無いのだが、もちろん撮っていなかったワケではなく、ツアーリポートをDOLLに書く為に編集部に渡したきり返してもらっていないのだ。
とりあえずフィルムはあるのだが…今でも現像って出来るのかな?
次回までには用意できればいいな…と。
脱線に次ぐ脱線の当コラムだが、飛行機は脱線も無くシカゴはオヘア空港に到着!やったぜ!
さぁここで緊張の入国審査だ!テロの後だけにライフル持った迷彩服の警備員が立ち並ぶなか、審査には身ぐるみ剥がされ肛門に指まで突っ込まれることを覚悟していたが、意外なほどあっさりと通過。
う〜ん初めてのアメリカ!空港もバカみたいにデカい!
シンシナティ行きの国内線に乗り換えるのだが、その搭乗口まで電車に乗って移動。
そう空港内に電車が走っているのだ!
とか言ってたら、もう字数がつきましたね。
完全マニア向けの当ハードコアコラム…こんなのでは連載打ち切りか?と恐れながらも、以下次号。
みんな股ね〜。
Ohayo Mountain Road Photo by 平野太呂