オハヨーございます。
編集のY氏から
「コラムを書いて欲しい」
「内容はなんでも良いから書いて欲しい」
「内容はなんでも良いからライブについて書いて欲しい」
「内容はなんでも良いからアメリカツアーの想い出を書いて欲しい」
と、なんでも良いと言うわりには、かなり限定された発注が来たので、早速書いてみたい。
これを読んでる人は、ワタクシメのことを知ってる人だけであろうから、自己紹介は省くが、ワタクシメがハードコアバンドをやっていて最初にアメリカツアーをしたのは2001年…つまり15年も前のこと…。
ハッキリ言って、細かいことも大きなことも忘れていることが多い(老)。
最初にアメリカツアーに行ったのはExclaimというバンドのボーカリストとしてだった。
今でも日本のハードコアバンドは世界中のアンダーグラウンド・シーンでは人気があって、世界中をツアーするのは容易なはずだ。
もちろんワタクシメが現役ハードコアバンドのメムバーだった頃も容易だった。
ExclaimはSound Pollutionというアメリカはケンタッキー州のレーベルから音源を出していたので、アメリカツアーをブッキングしてもらうのも容易だったのだ。
ここまでで「容易」という言葉を3回も使ってしまうくらい容易なのだ。
ところで、ワタクシメが海外に行くのは、これが殆ど初めてと言ってよかった。
なぜ初めてじゃなくて、殆ど初めてなのかと言うと、3歳くらいの頃にイギリスとフランスに観光旅行に行ってるのだが、当然のように殆ど記憶にない。
ワタクシメが3歳の頃というと、つまり1977年。
1977年のイギリス!ロンドン!まさにパンクが誕生し猛威をふるっていた頃である。
もしかしたらピストルズやクラッシュやダムドのメムバーと街ですれ違っていたかも知れない。
あの時の燃え上がるロンドンのヒリヒリとした空気…全く覚えていません(塩)。
そしておフランスはパリーのホテルでレディオを聴き流していたところ、やたらとエルビスが流れていた…エルビスと言っても、コステロではなくプレスリーのほう。
何故だろうと、英字新聞を読んでみたところ、プレスリーが亡くなっていたのだ…!
と、親が言ってました。
1977年8月16日…ワタクシメはパリーにいたのだ…。
それがどうした?という意見もあるだろうが、初めての海外旅行の想い出は続く。
1977年当時の日本の便器の色と言えば、白が一般的だったのだが、パリーの便器の色は違った。
黒!黒だったのだよ!
これは衝撃的で、今でも瞼を閉じて幼少時のロンドン〜パリーの想い出を手繰り寄せると、黒い便器が脳裏に浮かぶのである。
「黒い便器」
なんか松本清張の著作ぽい字面だな…と今、フッと思いましたね、ええ。
それはともかく、バンドでのアメリカツアーの想い出ですね。
Exclaimのアメリカツアーはブッキングまではゴタゴタしつつも容易だったんですけど、その後が大変でしてね〜。
ほら2001年てアレがあったじゃないすか。
9.11が。
Exclaim御一行様がアメリカに旅立つ日が10.11って決まってたから、丁度1ヶ月前にあのテロ事件でしょ。
こいつぁ中止かね…なんて思ったけど、やっぱりアメリカは広いやね。
テロのあったニューヨークでは我々はライブやらないから関係ないのね。
「Exclaimのアメリカツアーは中止しないぞ!来い来い!」
と連絡があって、何事も無く決行されることになりましたね、ええ。
このテロのおかげで飛行機代も交渉したら安くなりました。
で、更にもっと「コリャまいったな!」な問題が噴出しましてね。
アメリカツアーは一応Exclaimのアルバムを引っさげてのツアーだったんですけどね。
さっきも書いたように、Sound Pollutionというアメリカのレーベルからリリースするんで、テストプレスがアメリカから送られて来るワケですよ。
盤面を見てみると、なんかおかしい…曲間の溝が広すぎる…。
でプレイヤーに乗っけて、針を落とす…あぁ…あぁ…なんてことだ!
我々の想定した曲順じゃない!!なんたることだ!!プレスミス!!
原因はリーダー兼ベースのマッツァンが間違えて、マスタリング前のマスターテープをアメリカに送ってしまっていたのだ…(白目)。
慌てて本来のマスターテープをアメリカに送ろうとしても、時既に遅し…。
ツアー用のファーストプレス分は既に出来上がっていたのでした…(塩)。
そんなワケでミスプレスのアルバムを引っさげてアメリカツアーをすることになるのが、出発前から決定(塩)!待ってろよ!アメリカのキッズども!!
あ、日本を出発する前に字数が尽きたな。
以下次号。
みんな股ね〜。
“ohayo mountain road” photo by 平野太呂