■アルバムコンセプトについて
・PoSに対してはリスナー側も想像と理解を求められると思います。記事を読んでくださってる読者の方に向けて、改めて今作のコンセプトを教えて頂けたらなと思います。
Yuki:アルバムタイトルの邦題は「客観的世界の不在」というのですが、人間含めた生物は皆それぞれ固有の知覚世界を持っていて、自分のいるこの世界も自分中心にみて知覚したものの中で意味を与え「世界」を作っていることから、その自分が認識しないものは世界に存在していないとも言える。あらゆる動物はみな独自の環世界を作りながら、その中に浸って生きているというヤーコプ・フォン・ユクスキュルが唱えた「環境世界」を知ったことがキッカケでした。
この環世界の概念を説明するのにマダニの例を用いられているのですが、視覚・聴覚がなく、嗅覚、触覚、温度感覚のみで栄養源の血液にありつくために、木の上で獲物の接近をずっと待ち、温血動物の哺乳類が下を通過するところに落ちていきます。このマダニにとって、動物から出る酪酸のにおいと温血動物の体温だけが「実在する世界」と言われているんですよね。
人間も人それぞれ自分だけの感覚、価値観や思考基準の中で物事を見て判断し、それが現実と受け止める。
そういう者同士生きていれば、時には衝突し喧嘩になったりもするし、合致すれば仲間にもなったりする。
ある人にとっては良いと思うことも、ある人にとってはそうじゃないかもしれないし、そうした色んな価値基準を持った人たちの集合体で世界が構成されていると思うとこの世界は面白いなと思えてもきました。
・凄くシンプルな部分でも例えば辛い物が死ぬほど苦手な人もいれば、辛い物が大好きって人もいるし、音楽も色んなジャンルをそれぞれに良いと思う人がいて、その時点でそれぞれの世界に対する感じ方が違いますよね。
Yuki:そうですね。人それぞれの趣味嗜好から感覚、思考の違い、善悪のジャッジが人の数だけあって、利己が強くなるとそれを尊重できなくなり、その規模が大きくなると国同士の紛争や戦争問題に発展してしまうこともある。
これは前作のアルバムから続いているテーマなんですが、人としてそれぞれの「正義」の基準があってそれぞれの悪があって、皆それを絶対だと思ってしまう。利己的になるほどそれがぶつかり合うし、世界に統合性がなくなってしまうんじゃないかと憂いたり。そんな中で自分が様々な価値観に振り回されそうになったり、善悪の判断で人を許せない気持ちになったりすることから、自分の世界の受け止め方や生き方を探していました。
でも環世界を知ることで、もしかしたら私自身が抱いてきた善悪なんてそもそも無いのかなって思えてきたんです。
客観的に「存在している世界」と思っていたものが、実はそれは自分の思考が作り上げたもので、世界はその集合体に過ぎないのだとしたら、客観的視点というのは一体どこにあるのか。「客観的視点も必ず誰かの視点」とすると、この世界は客観的存在などないのかもしれないとふと思ったのです。そしてそこに気付けたら人は自由になれるのかなとも思ったんですよね。