デビュー前からBAD BRAINSの来日公演をサポートする等、ハードコアシーンと密に関わりつつも、今やメインストリームに食い込むほどの存在感を見せつけているG-FREAK FACTORY。不変の「DREAD ROCK」と、地元である群馬県への愛を掲げながら活動フィールドが広げ続け、2022年に結成25周年を迎えた、もはやベテランの域に達したバンドである。
そんな彼らも2020年以降は多くのアーティスト同様、新型コロナウィルスの影響で活動が鈍化。誰もがまだまだ先が見えない状況のなかで必死にもがき続けるなか、バンドの司令塔である茂木洋晃(vo)がソロ活動を開始するという一報が飛び込んできたのは、2021年12月のことだった。そしてリリースされたソロ第一弾のタイトルは“MASKER”。明らかにコロナ禍を反映したこの曲を、なぜバンドではなくソロでのリリースに踏み切ったのか。その経緯から“MASKER”に込めた想い、そしてローカルにこだわり続ける理由まで、茂木に話を聞いた。
Interview by MOCHI
――2020年に本格的なコロナ禍が始まってもう2年になりますが、G-FREAK FACTORYはアルバム『VINTAGE』をリリースし、ツアーファイナルはZepp Divercity Tokyoで実施。山人音楽祭も2020年は見送ったものの、2021年12月には2デイズで開催しました。もちろんやれたことよりもやれなかったことの方が多かったと思いますが、この2年をどう感じていますか?
「こんな状況になっちゃったけど、不思議と落ち込んでいなかったんだよね。そもそも俺たちは金のために音楽をやっているわけじゃないしさ。でも今は時間の感覚が明らかにコロナ前と違うし、自分のアイデンティティを守りつつ、いろんなものと戦わなきゃならないから大変だよね。それはもう、音楽というよりも人としての部分だと思う。俺も矛盾と空回りとモチベーションがずっと渦巻いていて、コロナの前よりもできていることを探すのに精一杯だった。この2年間で何を得ることができたのか、価値観というかマインドは少なからず変わったから。だから世の中のものを一度チャラにして、今できる現場の構築や勝負をして、その価値を上げなきゃいけないと思う。そう考えたら面白いよね。何かに依存していなくて、本当に強いやつしか残らないだろうし。他力本願じゃなくて、自力本願。そうじゃないと、自分が奮い立たないんだよね。そういう意味では、バンドマンとしてよりもいち人間としての新しいチャンネルというか、ベクトルが手に入ったなと思う」
――最近はバンドだけでなく、小学校にヘルメットを配る安中ヘルメットプロジェクトというボランティア活動をやっているそうですね。
「ヘルメットプロジェクトは前々からやりたいと考えていて、始めるためにローカルで色々動いてはいたんだよね。それがコロナ禍によって、時間が使えるようになった。バンド活動がほとんどできなくなるとは想像できていなかったし、ヘルメットプロジェクトは空いた時間でできるだろうと思っていたんだけど、実際はリハーサルどころかメンバーになかなか会うこともできなくなったなかで、ヘルメットプロジェクトが心の支えになったんだよね。だから、バンドとまったく別のことをやっているとは思えない。全部が少しずつ実っていくっていうかね。意図せず種を撒いて、水をやって育てていたみたいな感じかな」
――普通に生活していて、自分の子どもや親戚以外で、小学生に会う機会ってそうそうないじゃないですか。でもボランティアで自分から小学生に会いに行くことで、何か感じることはありましたか?
「子どもって、未来だと思うんだよね。正直ヘルメットプロジェクト始めたとき、俺は子どもたちに“こんな息苦しい国に生まれて、これからもっときつい時代が来るのに、かわいそうだ”みたいな目で見ていた。でもそういう目で接していたら、こっちが火傷するわけ。自分たちがかわいそうとか哀れとか、子どもたちはなんとも思っていない。そこで考え方が変わったね。むしろ俺らにイタズラしてくるような子を見ていると、こっちがエネルギーをもらっちゃうし、最後にありがとうございました!なんて言われた日には、デレデレだよ(笑)。みんな溌剌としているし、ぶっ飛ばされるし、かっこいい存在だと思うよ」
――20年以上のバンド活動のなかで、ソロをやるという発想はずっとなかったそうですが、なぜ今になってソロ名義で活動することになったんでしょうか?
「俺はバンドマンであるけどミュージシャンではないし、バンドマンが片手間でソロを出しました、みたいな感じになるのは嫌だったんだよね。でも、今のマインドはコロナが空けたら絶対に残せないなと思って、ヘルメットプロジェクトにどっぷりだった2020年の秋くらいから、デモ音源を1週間にひとつ作るのをやってみようと思って。駄作でもいいし、ワンフレーズだけでもいいから、とにかくやろうと。それで今回の“MASKER”っていう曲ができたときに、ソロで、群馬のローカルの奴らといっしょにやったらどうだって言われて、乗った!と、意外と簡単に落ちたね(笑)。でも今のマインドを世の中にアピールしていくには1年後では遅いし、ましてやバンドのメンバーと共有できているものではないからさ。責任は自分で取るし、ここでやらなきゃ一生やらないだろうって思った。例えばライヴで、俺はヴォーカルだからステージで自分の考えていることをMCで話すよね。それを見ている人からは、バンドの言葉ともみなされる。でもメンバーは“茂木はこう言っているけど、俺はちょっと違うんだよな”と思っているかもしれない。だから俺が思っていることを、正しいかはともかく、なんの気兼ねもなく言いたいんだよね。だからマインド含め、コロナがなかったら作らなかったであろう曲というものができたなら、自分の責任でやればいいんじゃないかなって思った」
――責任という言葉が出てきましたけど、バンドのメンバーを巻き込みたくない、みたいなものとは違いますか?
「巻き込みたくない、とは違うかな。ソロのためにバンドを疎かにしているわけではないし、これがバンドのためになったらいいなとも思うしね。デモも、PCに新しくアプリをいれて、TAKUMA(10-FEET/vo,g)に朝まで教えてもらったりしながら、前よりは作るのも慣れてきたし。ギターも練習したんだけど、やればやるほど自分が不甲斐なくなって、ひとりでやっている奴らにどんどん惹かれていったんだよね。何の後ろ盾もなしに、ひとりで路上なんかでやっている奴の根性とか、かっこいいなって思った。俺もギターを持ってやってみたんだけど、そういう奴らには絶対に勝てない。自分がビビっているのも伝わっちゃうし。でも、それがすごく楽しい。この修行みたいなものは、世の中がまた普通に戻って、バンドでもライヴがやれるようになったとしても続けていこうと思っている」
――たしかにバンドを長くやっていて、人前で歌うことこそ慣れているけど、勝手がまったく違いますよね。
「バンドを長くやっていれば、無意識のうちに引き出しもできるし、多少調子が悪くてもこなせちゃう部分があるんだよね。でもひとりで、誰も助けてくれない現場って、めちゃめちゃ怖いよ(笑)。あるとき、俺が用事を終えて群馬の駅に帰ってきたら、路上でG-FREAK FACTORYの曲をやっている奴がいてさ。そこに俺が出てくるからご本人登場!みたいになって(笑)。しかもこっちは何の準備もないのに“一緒にやってください”ってぶっこんできやがる。それでやってみたら、そいつらのほうが上手いわけ。嬉しくもあったし、悔しくもあった。で、今はそいつらと上州弾語組合っていうのを作って、平日のライヴハウスを、例えば毎週火曜日の夜を押さえちゃって、いっしょにセッションするとかをやっている。そういうのって、コロナでもなければ絶対なかったと思う」
――今回のソロをプロデュースしたmabanuaさんとの関係について、教えてください。
「群馬でやっている奴がいるっていうのは知っていたんだけど…ラジオの公開録音でセッションする機会があって、それで知り合った。2018年には山人音楽祭にも出てもらったよ。で、今回はこういうデモができたんだけど、よかったらプロデュースしてくれない?って相談したら、ぜひ!って言ってくれたんだ」
――編曲で茂木さんとmabanuaさんがクレジットされていますが、プロデュースの過程としては、茂木さんの頭の中にあるものを具現化していく形だったのか、ふわっとしている状態のなかでmabanuaさんが導いてくれた形なのか、どちらでした?
「まさに後者だね。この曲は骨ができていたから、どう肉付けをしていくかっていうプロデュースだったと思う。例えば“これだとちょっとハイファイすぎるんだよな…”とか、そういうことをmabanuaに伝えると、すぐに理解してやってくれるし、“これとこれは残して、あとはmabanuaなりにやってみてほしい”って言えば、ちょっとTHE BEATLESを意識してみた、とかいって予想を越えるものを出してくる。俺は楽譜も読めないし理論的なこともわからないけど、mabanuaは裏付けをもってバシバシ決めていく。でもmabanuaも人間味のあるやつだから、楽しく雰囲気よく会話しながら、脱線やじゃれあいをしながら作った感じだね(笑)。あと、歌のアドバイスはものすごくしてもらった。キーもその場で変えてくれたし、3パターンくらい歌って、どれがベストかを瞬時に判断していたし、一緒にハモリのラインを探してさ。そうやって新しいものができていくのはワクワクしたね」
――作詞や歌の表現において、バンドのときと違いはありますか?
「作詞のやり方はいっしょだね。でも表現となると、バンドだったらフロアとのせめぎ合いがあるし、演者が作る空気とフロアが作る空気が合わさって大きなものになっていくし、それを狙うよね。でも“MASKER”をやるときはそうじゃないんだよね。今のマインドがそのまま出ているし、MCじゃなくて曲で堂々とやれているのは、いいと思う」
――今回のジャケットは、G-FREAK FACTORYの『島生民』のアートワークと同じ人が描いたそうですね。
「そう、もうめったに描かないんだけど、ぜひお願いと思って曲を渡したら、OKしてくれた。あのジャケットの子どもがコロナ禍のなかで成長していて、真昼間だった『島生民』に対して、今回は少し暗闇のなかにいる感じで描いてほしいってお願いしたんだけど、ほかにも太陽がマスクをしていたり、子どもの周りに目がいっぱいあったりさ。すべてにメッセージが込められているから、そういう細部を見てもらいたいね。群馬のローカルでスクラムを組んだことも含めて」
――バンドはもちろん、イベントでも今回のソロでも、茂木さんはずっと群馬にこだわり続けてきましたよね。その強いこだわりというのは、どこから来るものなんでしょうか?
「もう執念だよ(笑)。たしかにもっと早い段階で東京に出ていれば、色々なことが違ったかもしれないし、ローカルでやってきたことで、だいぶ遠回りしてしまったと思うこともあるよ。でもそれが、今もローカルでやり続けていこうとしているモチベーションにもなっているんだよね。年齢的にも、これだけ時間を使ってきちまったんだから、ちゃんと正解にするというか示しをつけないと、東京に出ていればよかったと後悔するかもしれない。そういう様を見せていかないと、ローカルは終わると思う。それに、中央の奴らが集まっているなかで、地方の奴がひとりだけ参加して、1等賞を取ったらすごいドラマじゃない?そういうミラクルみたいなものが好きなんだよね(笑)」
――今回の“MASKER”リリースの後に、同じく群馬のシンガーソングライターの岩崎有季さんと“野営”でコラボしましたね。ソロは今後も続けていくつもりですか?
「そうだね。有季ともまたやってきたいと思っている。ソロでライヴをやるときも、一緒に来てもらったりしているしね。ソロの第二弾も、ぼんやり考えていきたい。今回“MASKER”で、このくらいのスピード感でできるんだって分かったからさ。そうやって一瞬を切り取れるのなら、肩の力を抜きながら、できたから出しましょう、こういう曲ができたんですけど、どうですか?こういうのもやってみよう、みたいなスタンスでできたらいいなって思うね。あと、ソロを出してから、ライヴのオファーをすごくたくさんもらっている。地元はもちろん長野、広島、大阪、東北と…バンドよりも費用がかからないっていうのもあるんだろうけどさ(笑)。“MASKER”のほかにG-FREAK FACTORYの曲をブルースっぽくアレンジしてやってみたりもしているし、すごく面白いよ。PAもいなければセッティングも全部自分でやるし、バンドも最初はこうだったなって思い出した。それに知識欲も高くなっていて、楽器のプレイや曲だけじゃなくて、“こいつはここでどうするんだ?”って、人間的なものをすごくよく見ているね」
――ソロももちろんですが、2022年で25周年を迎えたG-FREAK FACTORYについては、なにか計画はありますか?
「ダラっと25年だけどね(笑)。今までは20周年だからどうとか考えていなかったんだけど、25周年はいろんな人から言われて、それで考えるようになった。だから今いろいろと仕込んでいるし、ほかにも『VINTAGE』のツアーは半分がコロナのせいで行けなかったから、それはどれだけ時間がかかってもやりたいと思っている。あとは去年の山人音楽祭をやった高崎芸術劇場で、今度はワンマンがやりたいね。高崎芸術劇場は音響もしっかりしているし、あそこでワンマンをやるのはドラマとしてもいいことだし、バンドにとってもチャレンジだしね。かつ、山人はまたグリーンドーム前橋に帰りたい。そういう1年で“25周年でした”って言いたいな。今やったことの正解は、明日や明後日に出るものじゃないし、ブレたなって思われたら終わりだから、慌てず急ごう…って感じかな。バンドではできないこともいっぱいあるけど、バンドじゃなきゃできないこともある。その住み分けだし、挑戦だね。ずっと」
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