コロナ禍を経た「現在」を出し切った新作『HAZE』を引っ提げたG-FREAK FACTORY、大規模全国ツアーを開始

前作『VINTAGE』(2020年)からの4年、コロナ禍という世界規模のパンデミックを経て「今思う/感じること」を歌い切った新作『HAZE』をリリースしたG-FREAK FACTORY。レゲエもパンクもハードコアもジャズもブルースもフォークも飲み込んだ、穏やかで優しく、そして時代もカテゴリーも越えていく普遍的な強さを持つ曲ばかりが集まったアルバムだ。
リリースから少し経ち、来年5月までに全国各地に赴くツアーに乗り出したばかりの彼らだが、今回ツアー開始直前に茂木洋晃(vo)にインタビューを実施。飾り気のない、正直な言葉でこちらに相対してくれた。

Interview by MOCHI

Special Thanks:BADASS

――新作『HAZE』を出した後、9月に『山人音楽祭2024』を開催しましたが、いかがでした?
「準備段階からの疲れが、開催当日にピークになるのが避けられないスケジュールだったものだから、自分たちが演奏する寸前はもうフラフラだった(笑)。いろんなバンドが自分たちでイベントをやっているけど、主催のやつらはこうなっているんだなっていつも思うよ。とにかく9月に入ってから、睡眠とか全然足りなかったし、トラブルも問題も全部あって…今まではそれをないがしろにしていたから、次はもっとちゃんと、みんなが健やかにやれるようにしようって思ったね」


――2023年にコロナ禍の行動制限が終了して、ライヴやイベントも以前と同じように開催できるようになりました。とはいえ厳しい行動制限を経たわけだし、お客さんの雰囲気とか、変化を感じることはありましたか?
「コロナ禍によって、それまでは音楽に依存していた人たちにどれだけ助けられてきたのかに気付いたね。行動制限がある中でもライヴに来てくれていた人もいれば、足が遠のいてしまった人もいて、お客さんがある程度の入れ替わりはあったと思う。でも離れた人も、コロナが明けてから一度は来てくれているはずなんだよね。そのときにバンドが縮こまったパフォーマンスをしたらガッカリするだろうし、そう思われたら負けだからさ。なおさらガムシャラにやらなきゃダメだと思った。ほかにも、コロナ禍中に最初のステージを踏んだ若いバンドや、初めてライヴハウスに来たお客さんもいるわけだよね。その人たちはモッシュなんか当たり前ではないわけで。だから今はいろんな価値観が混ざり合っている段階だし、一概にコロナ前のライヴハウスが正解だとは言い切れない。今の時代にやるなら、全部飲み込んで“来てよかったな”と思ってもらえるようにやるしかないと思う」


――以前は茂木さんも、ライヴではステージからフロアにダイヴしたりもしていたじゃないですか。そういったことがまたできるようになっても、やる時の気持ちは同じではないはずですよね。
「コロナ禍以降、一回もフロアには飛び込んでいない。TOSHI-LOW(BRAHMAN/vo)もよく飛び込んでいたけど、それが予定調和みたいになるんだったらやめようって話をしたんだよね。でも、以前フロアに飛び込んでいた俺たちは、そこがどれだけ暑くて、酸素もなくて、正直ステージよりきつい場所であることを知っているわけ。だからそこから俺よりも大きい声をあげている奴とかいっぱいいることには感動するし、感謝の気持ちを心から言える。そういう人によって俺たちは生かされているから、大事にしたいなと思うよ。バンドマンがステージに立つなんて、すごく楽なことだよ。何を上からやっているんだよって(笑)。大事なのは前でもなくコロナ禍中でもなく、今なんだっていうのは変わらない」


――コロナ禍中でも、G-FREAK FACTORYのほかにソロでのリリースや上州弾語組合での弾き語り、茂木洋晃トリオと複数のチャンネルで活動していましたよね。バンドに還元できたこととかはありましたか?
「茂木洋晃トリオは、地元のシンガーソングライターといっしょに遊んでいるやつなんだけど(笑)。弾き語りは、いっしょにやってもらったブルースの大先輩にギターを教えてもらったりして…とにかく自分とギターだけでその場の空気を作っていくっていう、その心意気だけでもすごいことだと思ったし、いろいろと勉強になった。音楽ってその場の空気を作って支配できるかどうかの勝負でもあるんだけど、だからって上手にやろうとしても、空気なんか作れないんだよね。理屈じゃないし、邪心を捨てて、いかに空気を支配することを今も学んでいるところ。まだまだギターが足枷になっちゃっているから、全然ダメだったていう時もあるけど、50歳手前にしてまだそう思って恥をかけるのは幸せなことだと思う。おかげで、メンバーへの今までとは違った感謝も生まれたしね。少しずつできるようになってきているから、もっと内側の人間らしい、芯みたいなものでステージに立ちたいよ」


――たしかに、規模もジャンルも関係ない普遍性というか、その場出てきたり、鳴ったりしただけで空気が変わる人や曲は存在しますよね。
「俺にとって “ダディダーリン”がそれに近い曲なんだよね。ただあったものを並べただけっていう感じだったのに、後から何回手直ししようとしてもしっくりこなくて…あまりにも時間をかけず、産みの苦しみもなくて申し訳ないくらいでさ。でも目を閉じて、ヘッドホンで爆音で聴いてみると自然と涙が出てくる。それで“俺が泣けるんだから大丈夫だ”って判断して、リリースした。だから本当にまったく売れないどころか、自分たちの心にしまっておく曲でもかまわない。そんな曲ができたって、財産だよ。ステージでメンバーと演奏するときは特別な気持ちになるし、内側にどんどん入っていけるというか…そうじゃないとできない曲なんだよね。レゲエでも、パンクでも、ギターロックでも、どれでもないところにいる。手法じゃなくて湧き出てくるものって、本当にボーダレスになるんだなって思う。そんな曲をまた作りたくて挑戦しているんだけど、あんな奇跡みたいな曲はなかなかできないね(笑)」


――今回のアルバムですが、制作をスタートしたのはコロナ禍が終わってからだったんでしょうか?
「シングルはコロナ禍に作っていたけど、アルバムに関しては、本格的に着手したのは2024年の1月からかな。それで4月までに一気に7曲を作って、ゴールデンウィークにレコーディングしたから、コロナ禍に作ったっていう認識ではないんだよね。コロナ禍に出したシングルは、もろにコロナについてだったんだけど、アルバムの曲をまとめて作ったとき、それまで書き溜めていた歌詞がひとつも使えなくて、全部消した。世の中も、俺自身も3歳年を取って価値観が変わったから、潔く今感じる言葉で書こうと思ったんだけど、きつかったね(笑)」


――3年の間にどう価値観が変わったのか、変わるきっかけがなんだったのかは聞いてもいいでしょうか?
「身体を2年前にぶっ壊して入院して、食事制限をけっこうやったんだけど、すごくきつくてさ。ダイエットとか美意識のためでもなく、普通でいるためにそれをやるって、かなり大変だなって思った。でもその中で、俺はリッチというものの概念にたどり着いたのさ。どれだけ金を持っていても、貧しい人っていっぱいいるんだよ。本当に患っているときって、幸せを感じないし、面白いことにも笑えないんだよね。だから心まで蝕まれないように身体をビルドアップして、身体に取り入れるものにも気を遣って、一回でも多く笑いたいって思った。心をリッチにするには身体が絶対に必要だから、心のために節制ができる。それを知ってから、すごく楽になったね」


――普通でいるって、すごく難しいことですよね。コロナ禍以前、最中、以後でも概念は変わりましたし、普通でいることの圧力が常にあるというか、暴力になり得ることもあるし。
「よく“普通こういうときは~”とか言う奴っているじゃない。その度にお前の普通と俺の普通は違うんだって思うし、普通を盾にしやがってって思う(笑)。長生きしたいわけじゃなくて、濃く生きたいなって思うよ。でも心が弱かったら、生きる時間が長くても濃くはならないもん。そこは気付いたことだな」


――となると「コロナ禍中に感じたことを表現した」とか、いわゆるアフター・コロナを謳ったアルバムとは、まったく違うと言えますか?
「そうだね、全然違う。コロナ禍から、コロナ禍が明けたとされている今までのマインドだね。書き溜めていたものがひとつも使えなかったということは、当時のことは何も残っていないわけで、自分が宙ぶらりんだったということ。でもその状態で今、本当に心から言えることが書ければそれでいいと思ったんだよね」


――その時代やこれからに対する考えを反映させたという点では、コロナ禍こそあったけれど、これまでのアルバムと特別大きく変わったわけではないということですね。
「今までは、俺は昔アメリカで差別されながら暮らした経験や、日本に帰ってきたときにこの国の平和ボケに危機感を覚えた経験から、自分のアイデンティティやイズムを作り上げて、日本人に向けて日本語で“このままじゃやばいぞ、こうなっちゃうぞ”っていうのを伝えたくて歌っていた。そしてそれがいよいよ本当のことになってしまって、2019年頃の俺は、これからどこにいくんだろう、っていうところだったんだよね。そこで自分のことが整理できないままコロナ禍になって、3年経ってアルバムの制作が始まった。だから今の自分が、世の中がすごいスピードで変わっていく中で、ぐちゃぐちゃになっているのを出した感じかな。実際コロナ禍で、世の中も危ないくらいの速さで変わっていったよね。以前はどんどん新しいテクノロジーが出てきて、特に日本の技術はすごいんだというのがあったけど、便利さの追求によってたくさん歪みを生んでしまっている。今後、AIと人間が対峙しなければならない時が必ず来ると思うんだよ。AIは人間と違って疲れないし間違えないし、文句も言わない。国同士の争いも今までは経済だったけど、これからはどっちがより強いAIを持っているかになるはず。そうなると、最終的には人間が用なしになってしまう。テクノロジーが進むにつれて、生身の弱さを露呈していくわけ。核兵器以来の、人間が作り上げたヒューマンエラーであって、絶対に作っちゃいけなかったか、作ってもこれはダメだっていう線引きをするべきだと思う。そこに対峙しなければならない時は絶対に来るし、だからこそ対峙していく曲を作りたいと今は思っているよ。音楽っていうのは、ずっとカウンターとして時代と一緒にめぐっているから、死ぬはずはないだろうし」


――世の中の変化に翻弄されながら、短期間で7曲を一気に作ったということですが、ほとんどが茂木さんの作詞と作曲で、バンドがアレンジをする形ですよね。制作の体制はどうだったんでしょうか?
「今回はレコーディングの工程もあって、歌詞よりも曲を先に作ったんだけど “この曲はここを立てよう”とか“このパートはおいしいよね”とか話しながらアレンジを加えて、それをまたみんなで見直してっていう作業だった。それぞれ持ち場をしっかりやったから、このスピードでできたんだと思う。俺もネタの大筋を渡せば、絶対に悪くなることはないと、メンバーのことを信用していたからね。そのネタも本当にこれでいいのかなっていうくらいのものもあったけど(笑)、どこまで化けるかが楽しみなくらいだった。メンバーはちゃんと形にしてくれたし、それをサポートするエンジニアの力量もすごいなって思った」


――短い期間の中で、工程も意識しながらの作曲とはいえ、曲そのものは練りこまれていますよね。例えば“WHO UNCONTROL”では2ビートにもうっすらシンセが鳴っていたり、かと思えば違和感なくジャズやレゲエになだれ込んだり…。細部までキーボードやシンセ込みでアレンジが行き届いていて、かつ全員の引き出し、テクニックが発揮されていると思いました。
「キーボードを入れれば、ギターといっしょにウワモノが増えるわけだけど、みんな歌のラインに当たらないところを探しながら、自分の色やセンスを表現してくれたと思う。まだその段階では歌詞もないのに(笑)。2ビートに関しては、俺たちは安易に使わないぞっていうか、ほかとは違う独自性で勝負をしたい気持ちがバンドを始めた時からずっとあったせいで、避けてきたものだったんだよね。でもコロナ禍は、2ビートで走るようなバンドには厳しい時代だっただろうし、逆に今から2ビートのバンドになっても面白いななんて冗談で言ったりもしてさ(笑)。それに新しく入ったドラムのLeoに、2ビートならどのくらい叩けるのか聞いたら“200bpmよりちょっと下くらいですかね…”って言うから、じゃあ204でいくぞって決めた(笑)。これをやればこうなるっていう正解はないし、俺たちは特定のこういうバンドをやろうぜって集まったわけじゃなくて、全員雑食であれもこれも好きだし、どのジャンルのバンドのこともリスペクトしている。その中で自分たちの正解を出すっていうのは難しいけど、手を変え品を変えて、トライアンドエラーを繰り返しながらみんなの感覚がちゃんと散りばめられていれば、それが一番いいよね」


――今話に出たLeoさんですが、どんないきさつで加入したんでしょうか?
「PxOxN(渡部“PxOxN”寛之)が辞めることになった時、あいつの代わりなんていないだろうし、かといってヘルプのメンバーを入れるのもどうかな…て、手詰まりみたいになっていたんだよね。でもKiuっていうブランドの社長が“うちにドラムをやっている社員がいるんだけど、一回やってみてもらえないか”ってLeoを紹介してくれた。実際にいっしょにスタジオに入ってみたらすごくて、PxOxNにはないものも持っていたし、バンドにとって起爆剤になってくれたらいいなと思ったね。今の世の中、ロックなんかよりももっとキラキラしたものなんかいくらでもあるのに、26歳のやつがスティックを持ってステージに立っているって、すごくかっこいいよ。LeoはほかにBaja(バハ)っていうバンドをやっていて、今年のフジロックにも出ているんだけど、たぶんG-FREAK FACTORYとはまた違う表現をやっているんじゃないかな」


――26歳となると、茂木さんたちとは二回りくらい年が離れているわけですけど、お互いに慣れるまで時間はかかりましたか?
「最初の数本はぎこちなかったけど、Leoはものすごく学習能力が高いんだよ。理屈じゃないところにアガるタイプでもあるから、楽譜では表現しきれないところでも、俺の動きをじっと見ながらタイミングを狙ってくるようになった。ずっと前からの友だちみたいな感じだし、それに対して上からも下からもない。シンプルにリスペクトなんだよね。ほかのメンバーも教育しているようにも見えないし、すごく自然だね。50歳手前になって、20代のやつとバンドをやれるなんて俺たちも幸せだし、素敵な話だと思うよ」


――歌詞についても、メッセージ性を含みつつ、解釈の余地が多くあると思います。例えば「変わらなければ老いてくだけ」という一節は、音だけだと「置いていく」とも取れたりとか、そういった言葉選びが多用されていますよね。
「その通り(笑)。聴いた後で歌詞を読み返して、新しい解釈に気付いたら面白いよね。ハッキリ言ってそうで言っていない、ギリギリのところが好き。自分でも“このことを書こうとしていたのに、こうにも取れるぞ”ってなるくらいだし(笑)。何曲も書いていると、言いたいことはだいたい言い切ったんだよね。20代のときに考えていたことと大筋は変わっていないけど、酸いも甘いもわかってしまったし、さらにコロナ禍で極論が分かってしまった。今まで言ってきたことの前提があって、今の時代と対峙して…その中でこの歳になって、こんな青臭いこと書けないなって消したこともあるし。だから難しいんだよ、日本語って。本当に難しくて美しい」


――メッセージついて、よく「投げかける」とか「ぶつける」とか言うじゃないですか。茂木さんも昔はそういった面があったと思うんですが、どんどん相手に考える余地を作るようになったというか、メッセージをもって対話しようとする印象が強くなってきているんですが、自分ではどう思いますか?
「それ、この間も言われたんだよね。“昔はもっと言い切っていたし、絶対こうだからついてこい!みたいなイメージでしたよね”って。自分では自覚がないんだけど、少なからずそう感じる人がいるのなら、そうなんだって思った(笑)。実は俺、コロナ禍はインストの音楽ばっかり聴いていたんだよね。インストのすごいところって、いつ、どこで聴いても、自分を主人公として音楽をはめられること。でも曲に歌詞と歌が載った瞬間に言葉が支配するし、下手な言葉のせいで曲そのものが潰れかねない。それだけ言葉って強いんだよ。だから歌は本当によくなきゃいけないと思ったね」


――この記事が出るころには、来年5月まで続くツアーが始まっていると思います。お話しいただいたことを踏まえて、どんな気持ちでツアーに臨むんでしょうか。
「特に変わってないけど、その土地のライヴハウスやバンドがどうなっているのかは気になるね。必ずその土地で、今どんなバンドがいるのかは、自分でチェックするようにしている。でも俺たちはツアータイトルとか引っ提げて行くわけだけど、ローカルバンドは別の理由でステージに立っているわけよ。だからどれだけ磨いていっても、その土地のやつらに勝てるわけがない。逆にローカルバンドはツアーバンドに負けちゃいけないって思うし…音楽って“勝ってないけど負けてない”が続いていくから。その土地を選んで、そこで意地張っているバンドはすごく好きだよ。その姿勢だけでも気になるし、いろいろ教えてほしいから自分から話に行くし、絶対にライヴも観る。そういう姿勢とか執念とか、意地とかを感じた時に、バッチバチにやられるんだよね。特に俺がいる群馬は東京にも近いから、上京して負けて帰ってきた奴ばっかりでさ。でも俺たちは遠回りこそしたけど、まだこうしてバンドをやれているし、ローカルで続けてきたからこそできることとかを、これから先も生涯をかけて証明し続けなきゃいけないと思う。バンドを始めたことも、やり続けたことも、この場所でやっていたことも、正解だったと思いたい。それが一番でかいモチベーションかな」

<Album Information>

G-FREAK FACTORY『HAZE』

初回限定盤(CD+DVD):BDSS-0062
通常盤(CD のみ):BDSS-0063

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G-FREAK FACTORY “HAZE” TOUR 2024-2025 Schedule:https://g-freakfactory.com/contents/live/tour

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