YER’s エリュウの だからソリあげて、その後むき狂う vol1

Eyuu Sasaki

1.

「歯糞(はくそ)食べるからアカンよ!」

約三十年前、「鳥を飼ってみたい」という小学生の僕に、オバが放った言葉だ。

鳥を飼う事に対する禁止の理由として
「世話ができないから」や「死んだ時、悲しいから」等ではなく、「歯糞を食べるから」。
それがこの世で最も有名な公理だという態度で断言するオバを目の前にして、
絶句するしかなかったのを覚えている。

そもそも「歯糞」という初めて聞くにも関わらず、その意味するところが過不足なく
汲めてしまう、この救いようのない語感は何なのであろうか?

「いや、食べへんよ・・・」
数々の言葉が浮上する中、どれも決定打にかけるため、なんとも内容のない反論をする。

「あんた・・・」とオバが半ば呆れたようにいう。
「あんた、鳥は歯糞、大好物やで」

「品格」というものを極限までそぎ落したような「歯糞(はくそ)」という言葉の響きに、
クラクラしながら考える。
――歯糞、大好物やで。「歯糞」と「大好物」の新進気鋭の邂逅。
もしこのコピーを冠せられることがあれば、如何なるモノでも、その商品価値を瞬時に
失うだろう。「大好物やで」という言葉の前は、ハンバーグやカレーであってほしいと切に思う。

いや、大好物であってもよいが、そもそも一体、誰のそれを、いつ、鳥が食べるというのか?
鳥が仮にそうだとしても、鳥を飼った人は、その事に対して一切の回避策を
もちえないというのか?

そんな事に思いを巡らせて沈黙していると、そこに婆ちゃんがやってきた。
異変を察知した婆ちゃんが聞く。

「なんや深刻そうに。どしたん?」
「この子、鳥飼いたいんやと。歯糞食べるからアカン言いやったんやよ」
「食べへんよ」婆ちゃんの同意を得ようと、僕はもう一度同じ言葉をやや強めに繰り返した。

その言葉がまるで聞こえなかったように、
「やっぱり、あれは食べるんか…」と婆ちゃんが妙に得心したように言う。孫の全否定だ。

二人の鳥類に対する認識のあり方と、
自分のそれとの間に横たわる一生埋まる事はないであろう深い断絶に落胆しながら、
それでも鳥を飼いたい僕は反論する。

「いや、、、ばあちゃん、でも鳥カゴにちゃんと、入れといたら、、、」

僕が言い終わらない前に、オバが強引に割り込んで婆ちゃんに答える。

「そう食べる。食べるときに、こんなんされる」

歯茎をむき出しにし、手の指で模した鳥の顔をせわしなく上下左右の歯にぶつけて説明する。
婆ちゃんが心底びっくりしたという感じで「ほんまか?ほんまか?」と言いながらオバを見る。

「馬場のちい子さん、こんなんされてた」

婆ちゃんの反応の良さに気をよくしたのか、
馬場のちい子さんとやらに扮するオバの熱演がはじまった。

鳥から逃れようと、顔を色んな方向に向けるが、
その都度指で形作った鳥のクチバシは執拗に追いかけてきて、
逃れられないという苦悶の表情を再現しているのだ。

「ぎやぁ、やめてぇ!」

剥き出しにした歯茎を、自分で叩いて、「やめて」と叫ぶ大人の姿は相当異様だ。

「こりゃ、たいへんやわ!」婆ちゃんが心配そうに言う。

オバのテンションは最高潮をむかえ、熱演を通りこして狂気を帯びはじめている。

指で形づくった鳥が歯茎を打つ音質も相当太いものに変わっており、
これが本当なら馬場のちい子さんの存命の可能性も絶望的と
言わざるをえないのではないかと思えてくるほどだ。

激しく頭を振り続けるオバの口の端からは、唾液がだらしなく出ており、
もはや化け物に限りなく近い存在になっている。
どちらかというと歯糞を食べる習性をもつのは鳥ではなく、
実はオバなのではないかと思えてくる光景だ。

小学生の僕が思い描いた楽しい鳥の飼育像とは、似ても似つかぬ、
30代の女性の狂演に、婆ちゃんはとても納得したという様子で
「ほぉか、ほぉか」とうなずいて見入っている。
この寸劇から一体何を得られるというのであろうか?

2016年11月現在、オバも婆ちゃんも健在だ。馬場のちい子さんについては全くわからない。

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