我々のような零細レーベルの招聘だからなのか今だにメディアはDUB TRIOの来日に全く注目していないし、spike shoesはバンドとしてまだまだエクストリーム界隈から相手にされてないのを肌で感じているのだが(あ、上記全くもって恨み節無いです!ホントに!)、幸い自分が育ったバンドシーンや影響を受けた音楽が「長い物には巻かれるな」「大きな存在に媚びるな」「自分を持て」「自分自身でやれ」と刷り込んでくれたおかげで悲観的な気持ちは無く、むしろ燃えて来る。
ただお客さんが来ないのは切ない。これはもう本当に切ない。それとこれとは絶対に別の話。
DUB TRIOは日本という未開の地・神秘の島国に大きな大きな期待を抱いてやってくるに違いない。
そこでパラッパラのスッカスカの会場では申し訳ないと思うのだ。
一番悲しいのが「え~?!DUB TRIOって日本来てたの?!」の類だ。
聞けばクラブミュージック界隈にも彼らのファンは一定数いるらしい。
多分、いや完全に自分達の発信力はそこまで及ばない。
ツアー経費もパンパカパンで広告宣伝費をかけるのも難しい。
もしこれを読んでいる貴方の友人・知人にDUB TRIOのファンだったり、好きになりそうな人がいたならば、どうか来日を伝えて欲しいです。
少し経緯も話したい。
実は1年以上交渉には時間をかけた。
遡ること2018年6月にspike shoes結成25周年を記念したイベントを地元仙台で組み、そこでサプライズゲストとして彼らを迎える計画があったが、スケジュールや経費の折り合いが付かず頓挫。
やはり壁は高かった。
イベントは最高の形で幕を閉じ、いつしか俺達も彼らを日本に呼んで生でライブを観たい、なんて願望も記憶から遠退いていた。
しかしある日事態は急変する。
突然彼らからコンタクトがあったのだ。
要約するとStuからのメールは「今度ウチら新しいアルバム出すんだっちゃ!ほいで日本さも行けんでねーかなって感じだよ!良い知らせだべ?!」という内容だった。
OiOi!あの超思わせ振りなツンデレ感と超遅漏レス再開デスカ?と多少躊躇った。
エージェントが出て来てツアーの話を打診して来ている。大いにビビる。
しかしメンバーとレーベルを一緒にやっているSはここからが速い・強い。(極端に裏方に徹したがるタイプなので名を伏せております)
そうだ。
長いことバンドをやって来たがまだ経験したことの無い事が残っていた。
海外アーティストの招聘。3日間以上のロードツアー。
正社員&自営業及び経営者、メンバー全員子持ち。
バンドを辞める理由なんぞいくらでもあるこの生活サイクルの中でずっと頑張って来て、よくぞあの時間の無い中でこんな事やったな、あんな事やったなという自負は多少なりともあるが、今回の挑戦は常軌を逸してる。
たかがそれぐらいと他人には鼻で笑われるかもしれないが少なくとも俺達には簡単じゃない。
で、想像してみた。
「DUB TRIO&spike shoesでJAPAN TOUR」
・・・まぼい。まぼ過ぎる。(まぼいmeanカッコイイ。SDCスラング)
「やらいでか!!!!!」
覚悟を決め、スックと立ち上がったのだった。
仕事はどうする? ワイフには何て言う?
完全な見切り発車であったが俺達はもうプリングルスだった。
各会場には条件付きで優待してもらっている。シンプルに考えたかった。
仙台はツーマンで行こうと思った。会場はバーランで歴史を刻みたかったし。
普段こういう裏話はしないけど、こういう機会なので。
東京は「あらかじめ決められた恋人たちへ」と「WRENCH」にお声をかけさせてもらった。
会場を宇宙空間にしたかった。しかし残念ながら双方共にスケジュール合わず。
どちらのバンドからも「凄く出たかった」という返信と激励をいただき心の芯がボワッと熱くなるように嬉しかった。
集客力無いくせに美学はありましてね。
駄目ならじゃあ次はあのバンド、んで駄目ならハイ次、とはならんのですよ。
一個一個のアクションは愛情深く持って起こしてるつもりだし、理想とかけ離れ血が薄くなっていくぐらいならば清水の舞台からダイブの単騎突撃ですわ。
(過去同じ理由で東京ワンマンを代官山UNITで敢行したイカレた田舎者達)
名古屋・大阪はあのDUB 4 REASONしかいないと思っていた。