90年代終わりから2000年代前半にかけ、UKの地下音楽シーンにて活動した、MAHUMODOというバンドを知っている人はいるだろうか。ロンドン拠点ながらDEFTONES、FAR、WILL HAVENというサクラメント御三家からの影響を強く感じさせるサウンドで、異彩を放つ存在だった。そのMAHUMODOは2003年に解散し、ギタリスト二人はDEVIL SOLD HIS SOULを結成、新たに活動をスタートさせる。MAHUMODOの路線を引き継ぎつつも、よりメロディアスなヴォーカルとエレクトロニクスを取り入れることで、メタルコア/スクリーモとポストメタルの両軸へアプローチし、作品をリリースするごとに人気を高め、2018年には来日も実現した。
そのDEVIL SOLD HIS SOULが、正式な音源としては実に7年ぶりとなるアルバム『LOSS』を4月にリリース。ヴォーカリストの交代と出戻りを経た新旧ツインヴォーカル体制のお披露目であり、これまでなかった挑戦的な要素も取り入れた意欲作となった。元々彼らのことを知っていた人はもちろん、envyに代表される激情ハードコアのファンにも響きそうというか、ぜひ一度聴いてみてほしい好盤ということで、リチャード・チャップル(g)にインタビューを慣行。MAHUMODO時代のことも含め、彼らのこれまでと今を紐解いた。
Interview by MOCHI
Translation by Sachiko Yasue
――DEVIL SOLD HIS SOUL(DSHS)として日本ツアーを行ってから、すでに3年が経とうとしています。あのときのライブは素晴らしいものでしたが、自身では日本に対して、どのような思い出がありますか?
「日本でのツアーは、バンドを初めてから最高と言える経験だったよ。それまで、僕たちは全員日本に旅行でも行ったことがなかったから、どんなことが起こるか全然予想もつかなくて…なんていうか、夢を見ているみたいな感じでさ。人はすごく優しく親切で、ライヴに来てくれた観客も、ステージにものすごく集中してくれた。別の世界に来たみたいだった。そのときは東京と大阪しか行けなかったけど、次はもっといろんな場所に行って、たくさんライヴをやりたいって、メンバー全員で話していたんだ」
――少し昔話をさせてください。リチャードとジョニー(・レンソウ/g)は、DSHSの前にMAHUMODOをやっていましたよね。UK出身のバンドながらDEFTONES、FAR、WILL HAVENといったバンドの影響を強く感じさせるバンドでした。MAHUMODOが活動していた時期は、いわゆるニューメタルのムーブメントが落ち着いて、UKからはLOSTPROPHETSやRAGING SPEEDHORNといったバンドが登場し始めていましたよね。当時、MAHUMODOはどんなシーンで、どんなバンドと活動していたんでしょうか?
「MAHUMODOをやっていたとき、僕らの地元のシーンは今とはまったく違っていたね。ニューメタルっぽいバンドが多かったけど、そこから新しいヘヴィな音楽へと移行していく時期だったと思う。当時はFIREAPPLE REDやSTOOPI、LATCH、MATAHARI、LANDMINE SPRING、EARTHTONE9といったバンドとよく対バンしていて、すごくいい感じだったんじゃないかな。でも多くのバンドが解散してしまったり、次に来始めていたトレンドに合わせたようなスタイルに変わっていった。僕たちはその流れに反抗して、トレンドに流されない自分たちのスタイルを確立しようと模索しようとていたよ」
――MAHUMODOは2003年に解散し、ヴォーカルのメーディ(・サファ)は*shelsで、リチャードとジョニーはDSHSで活動を開始します。*shelsは自主レーベルで完全DIYな活動を展開する一方、DSHSはよりプロフェッショナルな活動に進んだように思います。MAHUMODOが解散した理由には、そういった活動に対する考え方の違い等があったのでしょうか?
「MAHUMODOの解散は、メンバー同士の視点の違いから来たものだったんだ。だから、メンバー全員がフラットな関係でいられるバンドを作る必要があった。それぞれ考えたアイデアを持ち寄って、みんなでシェアして、しっかりと話し合えるようなね。それでDSHSが始まった。君の言っていたことを少しだけ訂正すると、僕たちの最初の2作品は自分たちで制作費を捻出したし、これまでほぼ全作品をジョニーのプロデュースのもとで、自分たちでレコーディングをしてきた。だからDIYな活動からスタートしたと言えると思うよ。そのなかでプロフェッショナルでありつつ、熱意を持ってバンドをしっかりとサポートしてくれるレーベルと出会うことができたから、契約してきたんだ」
――DSHSでもMAHUMODOのサウンドを発展させていきますが、エレクトロニクスを取り入れる等、よりアトモスフェリックな要素を強めつつ、ヴォーカルもメロディをより際立たせたアプローチに進みましたね。
「僕たちは結局のところ、強烈でパワフルなリフのある、ヘヴィな音楽を作るのが好きなんだよね。でも、そこにストリングスやサンプリングを取り入れることで、スケールが大きくて、シネマティックなレイヤーを重ねることができると気づいたんだ。そのうえで激しいスクリームや舞い上がっていくようにメロディックなヴォーカルを加えることで、以前よりも美しく、かつ地の底に叩き落すようなヘヴィなサウンドを作りたい、というのが結成時に思っていたことだった。表現方法が変わってきた部分はあるけど、最初に考えていたこと自体は今も変わっていないよ」
――DSHSはリチャードとジョニーを核にしつつ、何度かメンバーチェンジをしていますが、なかでも大きかったのは、2013年の初代ヴォーカルのエド(・ギブス)が脱退し、ポール(・グリーン)が加入したことだと思います。エドはその後2017年に復帰し、ポールとのツインヴォーカルで活動することになりましたが、改めてエドの脱退、そして復帰の経緯や理由を教えてください。
「その頃は、ミュージシャンとしてのキャリアと、普段の家庭生活の両立が難しくなってきて、バンドの立て直しが必要な時期だったんだ。自分たちのやってきたことを振り返って、これからどうやって続けていくべきなのか、ちょっとわからなくなりかけていたんだよね。それでエドはバンドを抜けることを選んだ。僕たちも全員、バンドの将来についてすごく不安だったんだけど、幸運にもポールを迎えることができたんだ。ポールがポジティヴなエネルギーをもたらしてくれたおかげで、大変ではあったけど、全員でバンドにまたしっかり力を注げるようになった。その後『A FRAGILE HOPE』(2007年)のリリース10周年記念のツアーをやることになったんだけど、エドにバンドに戻ってきてもらったらどうかと、ポールから提案してくれたんだよ。それでツアーからエドも正式に復帰して、ポールとのツインヴォーカルでやっていくことになった。今の僕たちは、間違いなく最高のランナップだよ。なんていうか、スーパーグループって感じで(笑)」
――これまでのDSHSはミドル~スローテンポでじっくりと展開していく曲がほとんどでしたよね。しかし新作では“Beyond Reach”をはじめ、明らかにスピード感のある楽曲が増えています。もちろんこれまでのDSHSらしさもより研ぎ澄ませているので違和感はありませんが、制作にあたっての青写真はどのようなものだったのでしょうか?
「今までもそうだったけど、僕たちはアルバムを作るにあたって、こうしようという青写真や計画は考えないんだ。自分たちなりのサウンドと、作曲方法がちゃんとあるからね。とはいえ、ヴォーカルが二人いる状態での制作というのが、まったくの新しい挑戦だったことは間違いないよ。とにかく、自分たちにできる限りのことをして、最高の10曲を書くことだけを考えるようにした。なんだか新しいバンドに生まれ変わったような感覚があったから、そのせいもあるのかもしれないね。制作を通して学ぶことがたくさんあったし、すごく楽しかったよ」
――また『LOSS』というタイトルに反して、霧が晴れていくような明るさというか、上へ上へと昇り詰めていくようなサウンドが特徴的ですね。アートワークのを見ても、これから雲が切れて光が差すのではないかと思わされます。タイトルや、それに込めたコンセプトがあれば教えてください。
「人は誰でも喪失(Loss)に対応して、見つめて、それから何かしらを学ばなければならないし、生きていくうえで逃れることはできないよね。でもときに、喪失から得た経験が、人生を前進させるときの支えになることもある。このアルバムは聴いてくれた人によって違った意味を持つだろうけど、それぞれの道の途中で何かしら役に立ってくれたらうれしいと思う。だから君の解釈も理解できるし、間違っていないよ」
――不思議なことに、エドの歌とメロディは昔のDSHSの要素を確保しており、ポールの歌はDSHSの新しく、挑戦的な要素を引っ張っているように感じられました。だからこそバランスが取れているのではないかと感じましたが、ボーカルパートは、エドとポールが考えているのでしょうか?
「うん、ヴォーカルはエドとポールの二人に任せたんだ。二人だけで、ものすごく長い時間をかけて作っていたよ。1曲のなかでのお互いの歌とスクリームの組み合わせはもちろん、アルバムを通して聴いたときのバランスも難しかったみたいだし、プレッシャーも大きかったと思う。彼らの友情と努力が実って、結果としては素晴らしいものになったね」
――ちなみに“Tateishi”とは日本の地名から取ったのでしょうか?
「そう、僕たちが日本に行ったとき、泊まったのが立石だったんだ。いいところだったから、思い出を曲のタイトルにしてみた(笑)」
――2018年、DSHSが日本でライヴを行ったのは、本当に驚きでした。新作で、初めて日本での正式なアルバムリリースとなるので、これから時間がかかりつつも、日本でバンドの名前がより広く浸透していくかと思います。
「僕たちもコロナのせいで、バンドのリハーサルやツアーをすることができなくなってしまった。世界中のみんなと同じように、いろいろなことをストップせざるを得なかったんだ。どちらにしても、今は新しい様式に沿って生きていかなければならないよね。この大変な時期に自分を鼓舞して、インスピレーションを得て、また新しい曲をすぐにでも書き始めるつもり。でもとにかく、またツアーに出てライヴをやれるようになることを祈っている。もちろん日本にも、この新しいアルバムをもってまた行きたいと思っているよ。僕たち全員、日本のファンのみんなにはものすごく感謝しているし、日本行きは常に僕たちのやらなければならないことのリストの、上のほうに書いているからね。まだ状況的に難しいかもしれないけど、実現できるように頑張るつもりだし、その日まで、みんなも体にはくれぐれも気を付けて!」
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